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芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか⑦ 漢字とひらがなを読もう
何故かも何もないものだ
何でも私が人伝に承りました所では、初めはいくら若殿様の方で御熱心でも、御姫様は反って誰よりも、素気なく御もてなしになったとか申す事でございます。いや、そればかりか、一度などは若殿様の御文を持って上った私の甥に、あの鴉の左大弁様同様、どうしても御門の扉を御開けにならなかったとかでございました。しかもあの平太夫が、なぜか堀川の御屋形のものを仇のように憎みまして、その時も梨の花に、うらうらと春日がにおっている築地の上から白髪頭を露して、檜皮の狩衣の袖をまくりながら、推しても御門を開こうとする私の甥に、
「やい、おのれは昼盗人か。盗人とあれば容赦はせぬ。一足でも門内にはいったが最期、平太夫が太刀にかけて、まっ二つに斬って捨てるぞ。」と、噛みつくように喚きました。もしこれが私でございましたら、刃傷沙汰にも及んだでございましょうが、甥はただ、道ばたの牛の糞を礫代りに投げつけただけで、帰って来たと申して居りました。かような次第でございますから、元より御文が無事に御手許にとどいても、とんと御返事と申すものは頂けません。
いやいや、これまでのいきさつをちゃんと読んでいたら「なぜか堀川の御屋形のものを仇のように憎みまして」はないものだ。堀川の大殿様が中御門の少納言を毒殺したのであれば、『邪宗門』が敵討ちものとして『或敵討の話』、『伝吉の敵打ち』、『猿蟹合戦』のグループに分類されてもおかしくないのだ。
しかしタイトルが『邪宗門』なので切支丹ものみたいでややこしい。なんなら『地獄変』の続編なのにタイトルが『羅生門』に似ているのでややこしい。あるいは牛の糞が投げられるので『好色』と併せてスカトロものに分類されてもおかしくないのだ。
それなのに若殿様には引く気配がない。
つまり?
この話者は信用できない
が、若殿様は、一向それにも御頓着なく、三日にあげず、御文やら御歌やら、あるいはまた結構な絵巻やらを、およそものの三月あまりも、根気よく御遣しになりました。さればこそ、日頃も仰有る通り、「あの頃の予が夢中になって、拙い歌や詩を作ったのは、皆恋がさせた業じゃ。」に、少しも違いはなかったのでございます。
こういうことになる。
思えば『地獄変』の話者にも少しおかしなところがあった。
話者は良秀の表情の変化の意味を捉えきれていなかった。この話者というのは全知全能の神様ではなく、ただのお爺さんだ。解ることと解らないこと、気が付くことと気が付かないことがある。
つまり?
・「あの頃の予が夢中になって、拙い歌や詩を作ったのは、皆恋がさせた業じゃ。」に、少しも違いはなかった……これは「個人の感想」に過ぎない。
ということは?
・その噂は申すまでもなく、皆跡方のない嘘でございます。……これも「個人の感想」に過ぎない。
ということになる。若殿様の恋も怪しい。中御門の御姫様と若殿様が腹違いの兄妹という可能性もなくはないということになる。
そこをかけてきたか
丁度その頃の事でございます。洛中に一人の異形な沙門が現れまして、とんと今までに聞いた事のない、摩利(まり)の教と申すものを説き弘め始めました。これも一時随分評判でございましたから、中には御聞き及びの方かたもいらっしゃる事でございましょう。よくものの草紙などに、震旦から天狗が渡ったと書いてありますのは、丁度あの染殿の御后に鬼が憑いたなどと申します通り、この沙門の事を譬えて云ったのでございます。
やはり『邪宗門』はスカトロものであったか。
牛の糞(まり)と摩利(まり)の教をかけてくるとは。
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いや、これは冗談ではなく、この距離感だからね。これでたまたまなんてことはない。芥川という人はそういうことをやってくる作家なのだ。
本人なのか眷属なのか
そう申せば私が初めてその沙門を見ましたのも、やはり其頃の事でございました。確か、ある花曇りの日の昼中だったかと存じますが、何か用足しに出ました帰りに、神泉苑の外を通りかかりますと、あすこの築土を前にして、揉烏帽子やら、立烏帽子やら、あるいはまたもの見高い市女笠やらが、数にしておよそ二三十人、中には竹馬に跨った童部も交って、皆一塊になりながら、罵り騒いでいるのでございます。さてはまた、福徳の大神に祟られた物狂いでも踊っているか、さもなければ迂闊な近江商人が、魚盗人に荷でも攫われたのだろうと、こう私は考えましたが、あまりその騒ぎが仰々しいので、何気なく後からそっと覗きこんで見ますと、思いもよらずその真中には、乞食のような姿をした沙門が、何か頻りにしゃべりながら、見慣れぬ女菩薩の画像を掲げた旗竿を片手につき立てて、佇んでいるのでございました。年の頃はかれこれ三十にも近うございましょうか、色の黒い、眼のつり上った、いかにも凄じい面がまえで、着ているものこそ、よれよれになった墨染の法衣でございますが、渦を巻いて肩の上まで垂れ下った髪の毛と申し、頸にかけた十文字の怪しげな黄金の護符と申し、元より世の常の法師ではございますまい。それが、私の覗きました時は、流れ風に散る神泉苑の桜の葉を頭から浴びて、全く人間と云うよりも、あの智羅永寿の眷属が、鳶の翼を法衣の下に隠しているのではないかと思うほど、怪しい姿に見うけられました。
※「智羅永寿」……「智羅永寿」と申しますのは、昔震旦から渡つて参りました天狗の名でございます。(『地獄変』)
ということで「震旦から天狗が渡った」と「智羅永寿の眷属」の関係がややこしく混線している。「智羅永寿」=「昔震旦から渡つて参りました天狗の名」というのが『地獄変』の説明。今回は「震旦から天狗が渡ったと書いてありますのは」「この沙門の事」とあるので、「この沙門」は「智羅永寿の眷属」ではなく「智羅永寿」そのものであり、『今昔物語』との関係で言えば、鬼は元金剛山の聖人であり出所が異なる。
ここは芥川がわざと「カチッとは繋げまい」としたところであるとは思う。思うが、こうしたデータの整合性(データベースの中で矛盾が生じていないこと)というのはとても重要で、デジタル化を前提にした場合これは困ったことになってしまうのだ。
にょろにょろくんも今後はそういうところに注意してもらいたい。
[余談]
村上春樹さんのジャズ喫茶、千駄ヶ谷時代の「ピーター・キャット」の記事。ミニコミ誌『JAZZ TIMES』No.26(1979年6月25日発行)。同年7月に『風の歌を聴け』が出版される直前のもの。「キャット」の女性スタッフの写真が掲載されているとても珍しい記事(これ以外では見たことがありません)。 pic.twitter.com/dZuMCySGXh
— ジャズ喫茶案内*Jazz Kissa (@jazz_kissajp) June 19, 2023
鼠はそこからか。
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