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自覚を超越したもの 芥川龍之介の『疑惑』をどう読むか④

 中村玄道はしばらく言葉を切って、臆病らしい眼を畳へ落した。突然こんな話を聞かされた私も、いよいよ広い座敷の春寒が襟元まで押寄せたような心もちがして、「成程」と云う元気さえ起らなかった。
 部屋の中には、ただ、ランプの油を吸い上げる音がした。それから机の上に載せた私の懐中時計が、細かく時を刻む音がした。と思うとまたその中で、床の間の楊柳観音が身動きをしたかと思うほど、かすかな吐息をつく音がした。
 私は悸えた眼を挙げて、悄然と坐っている相手の姿を見守った。吐息をしたのは彼だろうか。それとも私自身だろうか。――が、その疑問が解けない内に、中村玄道はやはり低い声で、徐ろに話を続け出した。

(芥川龍之介『疑惑』)

 多くの人は書いていないことを読む。それはすべての文章が物事のほんの一部しか語りえず、常に場に寄りかかり、省略されていて、不十分でしかなく、やむを得ず脳が情報を補いながら読ませているからだ。多くの書き手はそのことを多少なりとも知っていて、場合によってはその仕組みを利用して書く。仄めかしや匂わせというものはそうした種類のレトリックだ。
 とにかく悲惨なことは起きた。地震で潰れた家の下敷きになった自分の女房を瓦で叩き殺したのだから、これは悲惨だ。これ以上悲惨なことはなかろう。

 そう思います?

 口の中にゴキブリ百匹を詰め込まれて殺される方が悲惨ではないですかと言いたいわけではない。

 中村玄道は小夜を殺したのであろうか?

 瓦で何度も頭を叩かれて意識は朦朧とはしたもののまだ死んでおらず、やはり生きたままじわじわと焼け死んだということはないだろうか。

 申すまでもなく私は、妻の最期を悲しみました。そればかりか、時としては、校長始め同僚から、親切な同情の言葉を受けて、人前も恥じず涙さえ流した事がございました。が、私があの地震の中で、妻を殺したと云う事だけは、妙に口へ出して云う事が出来なかったのでございます。
「生きながら火に焼かれるよりはと思って、私が手にかけて殺して来ました。」――これだけの事を口外したからと云って、何も私が監獄へ送られる次第でもございますまい。いや、むしろそのために世間は一層私に同情してくれたのに相違ございません。それがどう云うものか、云おうとするとたちまち喉元にこびりついて、一言も舌が動かなくなってしまうのでございます。

(芥川龍之介『疑惑』)

 そういうことはなかったようだ。

 中村玄道は妻を殺した。そして小夜は焼かれたのだ。衣服が焼け、丸焦げになっただけで骨になることはなかろう。その姿を中村玄道は見つめていたのだ。それを「妻の最期を悲しみました」で済ましている。焼け跡から丸焦げの死体を取り出すのは炊き出しの握り飯を食べた後であろう。握り飯を食べながら中村玄道は死体の始末ついて考えていたことだろう。火葬場も壊れていただろうから、現実的には土葬しかあるまいと。ならばどこかに穴を掘り、そこに埋めるしかないなと。「妻の最期を悲しみました」で省略された背後にはどうしても片付けねばならないあれこれがある。

 そういわれてみると誰も口に出さないだけでほかにも類似のケースがありえたのではないかと考えてしまう。また関東大震災でも同じようなことがありえたのではないかと考えてしまう。そんなことは誰も書いていないのに、つい考えてしまう。そして書いてもいないのに、校長は男だと思い込んでいる。
 そしてまだ話が半ばだと気が付くと同時に、では何故今になってこんなに流暢にこんな話をしてくるのだろうと実践倫理学の先生の立場になって考えてしまう。

 当時の私はその原因が、全く私の臆病に根ざしているのだと思いました。が、実は単に臆病と云うよりも、もっと深い所に潜んでいる原因があったのでございます。しかしその原因は、私に再婚の話が起って、いよいよもう一度新生涯へはいろうと云う間際までは、私自身にもわかりませんでした。そうしてそれがわかった時、私はもう二度と人並の生活を送る資格のない、憐むべき精神上の敗残者になるよりほかはなかったのでございます
 再婚の話を私に持ち出したのは、小夜の親許になっていた校長で、これが純粋に私のためを計った結果だと申す事は私にもよく呑み込めました。また実際その頃はもうあの大地震があってから、かれこれ一年あまり経った時分で、校長がこの問題を切り出した以前にも、内々同じような相談を持ちかけて私の口裏を引いて見るものが一度ならずあったのでございます。所が校長の話を聞いて見ますと、意外な事にはその縁談の相手と云うのが、唯今先生のいらっしゃる、このN家の二番娘で、当時私が学校以外にも、時々出稽古の面倒を見てやった尋常四年生の長男の姉だったろうではございませんか。

(芥川龍之介『疑惑』)

 いやいやいや。地震でつぶれた家の下敷きになった女房が生きたまま焼かれるのが見ていられなくて瓦で叩いて殺しました……これで十分悲惨な話だし、トラウマになる。実践倫理学の先生に、あの時どうするべきだったのかと質問を投げかける材料として十分なものだ。
 それなのにまだ何かありそうだ。

 N家の二番娘と再婚して静かに暮らすわけではなさそうだ。となるとやはり楊柳観音の意味合いが気になってくる。「もっと深い所に潜んでいる原因」とは何なのか。そして「私はもう二度と人並の生活を送る資格のない、憐むべき精神上の敗残者になるよりほかはなかったのでございます」ということは今はどんな生活をしているのか。身なりはよいからでたらめな生活をしているわけではあるまい。稽古とは何の稽古なのか。N家は何故N家なのか。

 勿論私は一応辞退しました。第一教員の私と資産家のN家とでは格段に身分も違いますし、家庭教師と云う関係上、結婚までには何か曰くがあったろうなどと、痛くない腹を探られるのも面白くないと思ったからでございます。同時にまた私の進まなかった理由の後には、去る者は日に疎うとしで、以前ほど悲しい記憶はなかったまでも、私自身打ち殺した小夜の面影が、箒星の尾のようにぼんやり纏っていたのに相違ございません。
 が、校長は十分私の心もちを汲んでくれた上で、私くらいの年輩の者が今後独身生活を続けるのは困難だと云う事、しかも今度の縁談は先方から達っての所望だと云う事、校長自身が進んで媒酌の労を執る以上、悪評などが立つ謂れのないと云う事、そのほか日頃私の希望している東京遊学のごときも、結婚した暁には大いに便宜があるだろうと云う事――そう事をいろいろ並べ立てて、根気よく私を説きました。こう云われて見ますと、私も無下には断ってしまう訳には参りません。そこへ相手の娘と申しますのは、評判の美人でございましたし、その上御恥しい次第ではございますが、N家の資産にも目がくれましたので、校長に勧められるのも度重なって参りますと、いつか「熟考して見ましょう。」が「いずれ年でも変りましたら。」などと、だんだん軟化致し始めました。そうしてその年の変った明治二十六年の初夏には、いよいよ秋になったら式を挙げると云う運びさえついてしまったのでございます。

(芥川龍之介『疑惑』)

 うむ。出稽古が「家庭教師」に変換されて、結局何の稽古なのか説明されていない。

 そして「東京遊学のごときも、結婚した暁には大いに便宜があるだろう」「N家の資産にも目がくれましたので」とはかなり露骨ではないか。確かに誰でも金は欲しい。しかしお金だけで人が幸せになることは絶対にない。この何年間か、いや何十年か、私は屈託なく大声で笑ったことがない。今渋谷でも池袋でも街を歩けば屈託なく大声で笑っている人たちは沢山いるが、私は笑うことができない。お金はないよりあった方がいい。しかしお金なんて言うものは唯のお金に過ぎない。そんなものを追いかけてどうするのだ。

 それにしても解せないのは「先方から達っての所望だ」というところだ。一体中村玄道と名乗る男のどこに魅力があったのか?

 するとその話がきまった頃から、妙に私は気が鬱して、自分ながら不思議に思うほど、何をするにも昔のような元気がなくなってしまいました。たとえば学校へ参りましても、教員室の机に倚り懸かりながら、ぼんやり何かに思い耽って、授業の開始を知らせる板木の音さえ、聞き落してしまうような事が度々あるのでございます。その癖何が気になるのかと申しますと、それは私にもはっきりとは見極めをつける事が出来ません。ただ、頭の中の歯車がどこかしっくり合わないような――しかもそのしっくり合わない向うには、私の自覚を超越した秘密が蟠まっているような、気味の悪い心もちがするのでございます。

(芥川龍之介『疑惑』)

 芥川作品において内省による自己分析が行われ、自分の心のありようを探っていく語りはそう多くない。そういうものを散々『それから』や『こころ』や『明暗』で見てきた感覚でいえば、むしろ芥川はそういうやり方は避けていたのではないかと疑うほどだ。
 しかし『疑惑』においては、まず、
「しかし私も何を申したか、とんと覚えていないのでございます」「吐息をしたのは彼だろうか。それとも私自身だろうか」「私の自覚を超越した秘密」と尋常ではない精神のありようを見せてくる。「N家の資産にも目がくれましたので」という自己分析はシンプルに完結している。「何か漠然とした不安がありました」でも曖昧ながら自己分析としては完結している。「私の自覚を超越した秘密」ということは単に自分の中に無意識の領域があるのだという意味ではない。超越なのだから、自分の意識ではないところに何か秘密があるというのだ。 

「見ると、もう誰か来て先へぶら下がっている。たった一足違いでねえ君、残念な事をしたよ。考えると何でもその時は死神に取り着かれたんだね。ゼームスなどに云わせると副意識下の幽冥界と僕が存在している現実界が一種の因果法によって互に感応したんだろう。実に不思議な事があるものじゃないか」迷亭はすまし返っている。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 漱石の影響かどうかは定かではないが(私はむしろそうではないのではないかと考えている。)芥川もウィリアム・ジェームズを読んでいた。それを漱石のように冗談めかして披露することもなければ、本当にその世界観に影響されたようなところが芥川には見られない。漱石の態度は徹底していて、英語が解るには英文学が解らなければならない。英文学が解るには、英文学だけを読んでいるだけでは駄目で、心理学を研究しなければならないとあれやこれやの本を読んだ。ウィリアム・ジェームズやアンリ=ルイ・ベルクソンなどを読むのはかなり後のことだが、漱石の出発点からしてその最大の関心事は人の心だった。

 芥川にはそういう方向性がそもそもない。英文学を極めようともしてなかったし、心理学を掘り下げようという気もさらさらない。しかしながら『芋粥』の利仁の支配、『お富の貞操』の「なんだかすまない」に見られたような極めて独特な、味方によってはかなり先進的な意識に関する知見を持っていた。

 それは時には『保吉の手帖から』や『あばばばば』のようなふわふわした形でも描かれ、『歯車』のような得体のしれないものにも転じた。この『疑惑』においては、捉えきれない気味の悪い不思議として書かれている。

 そういうものが自分にもあるのだろうかと考えてみる。自分の中に無意識はあるだろう。しかし無意識なので意識できない。ただ自分の自覚を超越した何かがあるとは考えられない。超越しているからだろうか。

 それがざつと二月ふたつきばかり続いてからの事でございましたろう。ちょうど暑中休暇になった当座で、ある夕方私が散歩かたがた、本願寺別院の裏手にある本屋の店先を覗いて見ますと、その頃評判の高かった風俗画報と申す雑誌が五六冊、夜窓鬼談や月耕漫画などと一しょに、石版刷の表紙を並べて居りました。そこで店先に佇みながら、何気なくその風俗画報を一冊手にとって見ますと、表紙に家が倒れたり火事が始ったりしている画があって、そこへ二行に「明治廿四年十一月三十日発行、十月廿八日震災記聞」と大きく刷ってあるのでございます。それを見た時、私は急に胸がはずみ出しました。私の耳もとでは誰かが嬉しそうに嘲笑いながら、「それだ。それだ。」と囁くような心もちさえ致します。私はまだ火をともさない店先の薄明りで、慌ただしく表紙をはぐって見ました。するとまっ先に一家の老若が、落ちて来た梁に打ちひしがれて惨死を遂げる画が出て居ります。それから土地が二つに裂けて、足を過った女子供を呑んでいる画が出て居ります。それから――一々数え立てるまでもございませんが、その時その風俗画報は、二年以前の大地震の光景を再び私の眼の前へ展開してくれたのでございます。長良川鉄橋陥落の図、尾張紡績会社破壊の図、第三師団兵士屍体発掘の図、愛知病院負傷者救護の図――そう云う凄惨な画は次から次と、あの呪わしい当時の記憶の中へ私を引きこんで参りました。

(芥川龍之介『疑惑』)

 私という人間の無意識の中にはなく、私の自覚を超越したものに、私のパソコンやnoteがあった。私はすっかり忘れていてもパソコンの中に昔書いたものが残っている。noteでさえもう自分では「こんなこと書いたかなあ?」という記事があり、他人が書いたもののように読み返すことがある。もしも監視カメラに私の姿が映されて記憶されていたとしたら、そこには私の自覚を超越したものがあるかもしれない。

 そういう意味では芥川が空想で書いた『疑惑』の中のエピソード、地震でつぶれた家の下敷きになった女房が生きたまま焼かれるのが見ていられなくて瓦で叩いて殺した男というものが現実にいたかもしれず、その男がたまたま芥川の『疑惑』を読んだとしたら、やはり「それだ。それだ。」という声を聞いたのではなかろうか。

 無意識が外側に記録されていたら、それは自覚を超越したものになりうる。例えば、

 私はまた吹きつけて来る煙を浴びて、庇に片膝つきながら、噛みつくように妻へ申しました。何を? と御尋ねになるかも存じません、いや、必ず御尋ねになりましょう。しかし私も何を申したか、とんと覚えていないのでございます

(芥川龍之介『疑惑』)

 この時中村玄道が妻に云った言葉をアレクサが聞き取っていて、そのデータをアマゾンのサーバーに転送していたとしたら、誰もが耳をふさぎたくなるようなおぞましい言葉が記録されていたかもしれない。

 それが秘密なのではないかと書いたところで、いささか長すぎるので今日はここまで。


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