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芥川龍之介の『温泉だより』が解らない① 国粋的省略法とは何か?

 ともかく、彼の父は尋常の人ではなかった。やはり昔の武士で、維新の戦争にも出てひとかどの功をも立てたのである。体格は骨太の頑丈な作り、その顔は眼ジリ長く切れ、鼻高く一見して堂々たる容貌、気象も武人気質で、容易に物に屈しない。であるからもし武人のままで押通したならば、すくなくとも藩閥の力で今日は人にも知られた将軍になっていたかもしれない。が、彼は維新の戦争から帰るとすぐ「農」の一字に隠れてしまった。隠れたというよりか出なおしたのである。そして「殖産」という流行語にかぶれてついに破産してしまった。

(国木田独歩『非凡なる凡人』)

 これのことか?

『彼人とはだれのことか、』自分おれはここにその姓名を明かしたくない、単に『かれ』と呼ぼう。
 かれは一個の謎である。またかれは一個ひとつの『悲惨』である。時代が人物を生み、人物が時代を作るという言葉があるが、かれは明治の時代を作るために幾分の力を奮った男であって、それでついにこの時代の精神に触れず、この時代の空気を呼吸していながら今をののしり昔を誇り、当代の豪傑を小供呼ばわりにしてひそかに快しとしている。自分はかれを七年以前、故郷のある村の村塾で初めて見た。かれは当時そのとき、村の青年四、五名をあつめて漢籍を教えていた。

(国木田独歩『まぼろし』)

 はたまたこれのことなのか?

暫時すると箱根へ越す峻嶺いから雨を吹き下して來た、霧のやうな雨が斜めに僕を掠めて飛ぶ。直ぐ頭の上の草山を灰色の雲が切れ/″\になつて駈しる。
『ボズさん!』と僕は思はず涙聲で呼よんだ。君、狂氣の眞似をすると言いひ玉ふか。僕は實に滿眼の涙を落つるに任した。(畧)

(国木田独歩『都の友へ、B生より』)

 あるいはこの(畧)という結びの事なのか?

 私には『温泉だより』に出て來る「国粋的省略法」が解らない。

 何でも明治三十年代に萩野半之丞と言う大工が一人、この町の山寄りに住んでいました。萩野半之丞と言う名前だけ聞けば、いかなる優男かと思うかも知れません。しかし身の丈六尺五寸、体重三十七貫と言うのですから、太刀山にも負けない大男だったのです。いや、恐らくは太刀山も一籌を輸するくらいだったのでしょう。現に同じ宿やどの客の一人、――「な」の字さんと言う(これは国木田独歩の使った国粋的省略法に従ったのです。)薬種問屋の若主人は子供心にも大砲よりは大きいと思ったと言うことです。

(芥川龍之介『温泉だより』)

 はて、国木田独歩に「の字さん」というような名前の省略があり、それが国粋的省略法と呼ばれていたかどうか、……そう考えてみて、やはり私には全く記憶がなかった。

畫を好かぬ小供は先づ少ないとして其中にも自分は小供の時とき、何よりも畫が好きであつた。(と岡本某が語りだした)。

(国木田独歩『畫の悲み』)

 名前を略すだけならこのように某を使えば事足りるも、これは誰しもが用いる方法であり国粋的省略法とは言わない。仮に国木田独歩を国粋的作家と見做したとして、彼独自の省略法を指すのでなければ国粋的省略法とは呼ばれない筈だ。

 しかし問題は既に、

現に同じ宿の客の一人、――「な」の字さんと言う(これは国木田独歩の使った国粋的省略法に従ったのです。)

(芥川龍之介『温泉だより』)

 として国粋的省略方が示されていて、

「いの字の内は暑いからねえ。」
「いの字さんて、あのお神樣は本當に、私腹が立つちゃつたわ。」
「どうして?」

『紺暖簾』山岸荷葉 著春陽堂 1902年

『如何です、かの字さん。』
『筑波さん。』かの字は突然筑波に縋つて、
『私貴君に別れませう。』
『え?』

『新緑 下』岡田八千代 (旧姓: 小山内) 著堺屋石割書店 1907年

『やの字さん、ゆ、許して吳れさつしやい。』苦しさは然こそと引呼吸で、咽喉は干乾びて、命欲しさの程も思ひ遣られる。『まツ、まツ、待つてください!』物命欲しさの程も思ひ待つてください!』

『恋女房 : 小説』小栗風葉, 谷活東 合作岡村書店 1918年

 「の字さん」という省略が国木田独歩のオリジナルではないからである。オリジナルと云えばむしろ(畧)として読者にエピローグをゆだねる結びの方が(古今東西に類似の例が皆無かどうかは別として)オリジナルぽい省略法である。
 つまり「の字さん」という省略を芥川龍之介がわざわざ「国木田独歩の使った国粋的省略法」と書いている意味が解らないということになる。芥川は確かにこの省略法で遊んでいる。

 半之丞はちょうど一里ばかり離れた「か」の字村のある家へ建前か何かに行っていました。が、この町が火事だと聞くが早いか、尻を端折る間まも惜しいように「お」の字街道へ飛び出したそうです。

(芥川龍之介『温泉だより』)

 略すことにさして意味のないところ、むしろ略して不自然になるように芥川はこのレトリックを使っている。

 ちょうどこの大火のあった時から二三年後になるでしょう、「お」の字町の「た」の字病院へ半之丞の体を売ったのは。しかし体を売ったと云っても、何も昔風に一生奉公の約束をした訣ではありません。

(芥川龍之介『温泉だより』)

 確かに遊んでいて不自然を拵えている。この不自然は跳ね返って「萩野半之丞」や「国木田独歩」と云ったフルネームのもっともらしさを揶揄っているように見えてくる。

第四の龕の中の半身像は我々日本人のひとりです。僕はこの日本人の顔を見た時、さすがに懐さを感じました。
「これは国木田独歩です。轢死する人足の心もちをはっきり知っていた詩人です。しかしそれ以上の説明はあなたには不必要に違いありません。では五番目の龕の中をごらんください。――」

(芥川龍之介『河童』)

 一般的には芥川は国木田独歩を高く評価していたと言われる。ここで芥川が「轢死する人足の心もちをはっきり知っていた詩人です」と言っているのは、

「なにしろ哀れむべきやつサ。」と巡査が言って何心なく土手を見ると、見物人がふえて学生らしいのもまじっていた。
 この時赤羽行きの汽車が朝日をまともに車窓に受けて威勢よく走って来た。そして火夫も運転手も乗客も、みな身を乗り出して薦こものかけてある一物を見た。
 この一物は姓名も原籍も不明というので、例のとおり仮埋葬の処置を受けた。これが文公の最後であった。
 実に人夫が言ったとおり、文公はどうにもこうにもやりきれなくって倒れたのである。(完)

(国木田独歩『窮死』)

 ……この結びにある「どうにもこうにもやりきれなくって」という箇所を指すのだろうか。
 だとしたら私はやはり、国粋的省略法と「詩人」という表現の中に、芥川龍之介の「ちょっと人の悪いところもある龍之介」の部分が出ているようにも感じる。

 だが分からない。
 さらに言えばこれまでこの国粋的省略法が研究された気配もないのだ。谷崎のハイポーの様に打ち捨てられている。

 これでは駄目だということだけが解る。
 しかし『温泉だより』の謎はこれだけではないのだ。




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