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岩波書店・漱石全集注釈を校正するベストセレクション④


「日向と云えば山の中も山の中も大変な山の中だ」とは言っていない

 延岡と云えば山の中も山の中も大変な山の中だ、と言われている理由については正確に解釈しなくてはならない。日向と延岡は違う。あたりまえのことだが、こじつけてはいけない。こじつければ何とでも云える。冗談としてこじつけるのは良い。ただ本当にその線引きが出来ない人間には、真面目なものを書く資格がない。人に物を教える資格もない。



大違いの勘五郎ぞなもし

 ここまだは定説がないようなので問題提起しておきたいところ。どうしても時代の風俗は忘れられていく。その忘れられている中で、解ることをきちんと整理していくことが大切だ。


ちゃんちゃんとは、そもそも清国の辮髪人に対する蔑称


 中国は皇帝・民族ごと国が入れ替わる国なので、説明がややこしい。特に差別的な用語はうやむやにされかねない。うやむやにされた結果、曖昧になりかねない。

二十三日の祝捷会は奉天占領祝捷会である

 これはもう好き嫌いでも良し悪しの話でも無い。シンプルに訂正すべき。そして厳しい事を書いてしまうと、こんなものは文学でも何でもなく、ただの常識の範囲内の仕事だ。普通の社会人ならおかしいと思わなくてはならない。おかしいと思わなければおかしい。

 何故印刷前にどうにかならなかったのかという人がいなくてはいけない。


「学芸や物事の奥深い道理。また、それをきわめることによって得られる妙味」と解すべきではなかろうか

 また禅語の解釈になる。どれだけ簡単にするかではなく、どういう意味なのかを説明したいところ。慌てずに、作中の意味を確かめることが重要だ。こう言うところをいい加減にしていると、汚染データが拡大することになる。

天空海濶とはそもそも「空と海が広いこと」「人の度量が、空や海のように広く大きいこと」である

 この注解からは、意味が解っていないことがひしひしと伝わってくる。意味が解っていないのに注解することがどれだけ罪深いことか。

 こういう場合複数人のチームで研鑽して、正しい答えを導くべきであろう。

 でなければ不名誉教授にでもなるしかない。


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