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谷あひの杉むらとよむ谺かな 芥川龍之介の俳句をどう読むか46

山がひの杉冴え返る谺かな

 伊太利人だって言葉の意味を求めているのに、日本人は「ふーん」で済ませている。

冴返る身に沁々とほつき貝

 に関しては既に書いた。

 漱石の「冴え返る」についても既に書いた。

  この句には「高野山」の文字が添えられている。


高野山

 さて「山がひ」とはどこだろうか? 「」というからには、芥川は「やっほー」とでも叫んでみたのだろうか?

 高野山で叫べば杉が冴え返る前に坊さんや観光客がたくさん振り返るのではないか。

 そう思えば人事句であり、滑稽でもある。


新刊書総目録 : 内務省重要納本の実査記録 昭和3年 下半期

 大変立派と褒められている。

 ところで芥川の紀行には高野山の文字は見えず、高野山にいつ行ったものかは定かではない。

 つまりこれが写実だという確信が持てない。高野山の不動明王に関する言及はあるものの高野山で叫んだかどうかは定かではないのだ。

 晩年に私と萩原朔太郞君と芥川君とで、本郷で晩飯を食べての歸途、神明町の小さい喫茶店にお茶を喫みに這入つて行つた。端なく芥川君と萩原君との間に議論が起り、議論の嫌ひな僕は二人の樣子を見ながら煙草をふかしてゐた。萩原君は蕪村が芭蕉より面白いとか偉いとか云ひ、芥川君は芭蕉の方が偉いと云つた。萩原君は芭蕉の發句が觀念的であるといふと、芥川君はそんなことはない、この句はどうだ、ではこの句はどうだ、この句にも觀念的なところがあるかと立ちどころに六七句くらゐの芭蕉の句を、覆ひかぶせるやうに續けさまに讀んで、猛々しく突つかかつて行った。その勢ひは恰も芭蕉が親兄弟か何かででもあるやうな語調であつた。逝去二ヶ月程前だつたので勢ひが勢ひ立つと血相を變へるやうなところがあつたのである。それほど芭蕉の發句は當時の芥川君に好かれてゐた。

芥川竜之介の人と作 上巻 室生犀星 編三笠書房 1943年

 根拠のないところを妄想で埋め合わしても仕方のないことだが、何か手掛かりを求めて芭蕉の句を眺めてみる。芭蕉データベースを見ると、高野山らしき山の句はなく、「谺」の句の趣もまるで違う。「山」の句はいくつもあるけれど「山がひ」の文字はない。

夏山や谺にあくる下駄の音
くれくれて餠を谺の詫寢哉

 芥川の句が凛としているのに対して、芭蕉の句は剽げている。

明治俳諧五万句

谷の寺初東雲のこだまかな    夷吹

 この句の味わいが近そうだがおそらく因縁はなかろう。

山廬集 飯田蛇笏 著雲母社 1932年

 この飯田蛇笏の句も「こだま」と「冴え返る」が接近していて面白いが関係なかろう。

 仕方なく「冴え返る」の句を読んでいたら、

明治俳諧五万句

ふぐり重き病なりしが冴返る    碧梧桐

 という句が出てきて、急にいろんなことがどうでもよくなる。大丈夫なのか、碧梧桐!

 よくよく考えれば芥川の私小説論においては小説の背後に事実のあるなしはどうでもいいことになっていた。であれば実際高野山に行った行かないの話も俳句においてさえどうでもいいことにならないものか。

明治俳諧五万句


明治俳諧五万句

 これは文藝以外の藝術、― たとへば繪畫を考へて見れば、誰も高野の赤不動の前にかう言ふ火を背負つた怪物は實際ゐるかどうかなどと考へて見ないのでも明らかであります。實際又「譃ではない」と言ふことは何か特に文藝の上には意味ありげに見えるのに違ひありません。ではなぜ意味ありげに見えるかと言へば、それは文藝は他の藝術よりも道德や功利の考へなどと深い關係のあるやうに考へられてゐるからでありませう。

(芥川龍之介『「私」小説小見』)


芥川竜之介集 新潮社 1927年

「不動明王は虚構なので感銘を受けない」と考えるのが馬鹿げたことであると『「私」小説小見』にあるという話がネット上にあるが、すごいなあ、大阪大学。徹底して芥川を読まないつもりなんだな。誰も間違いを指摘しないんだ。指導教授は平気なんだ。大阪大学って国立じゃないのか。こんなものをネットで晒してしまうんだ。大学名を冠して。

芥川龍之介の文芸観 : クローチェ美学からの影響関 係を中心に


https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/54390/mra_047_051A.pdf

 まあ、それはそれとして「譃ではないことに芸術上の意味がない」としたら出鱈目な引用にも価値があるのだろうか

 室生犀星の菅笠批判も「いくらなんでもそんなことはないだろう」「古い色をつけすぎだ」と嘘の部分に関する批判であった。伊香保に菅笠の女はいなかったかもしれない。

 同じ意味で芥川は高野山で叫ばなかったのかもしれない。

 そもそも人が冴え返ることはあっても杉が冴え返ることはないので嘘である。「譃ではないことに芸術上の意味がない」のだとしたら碧梧桐のふぐりが実際に重くなっていないとしても、

ふぐり重き病なりしが冴返る

 という句には価値があるのである。

山がひの杉冴え返る谺かな

 には木を倒すような物凄いところはない。ただの景色でもない。かなり冴え返っている句だ。「冴え返る」の中では碧梧桐の次にいい句だ。

 そういうわけで、この句にはどこか茂吉テイストもあり、

歌集ともしび 斎藤茂吉 著岩波書店 1950年

  芥川の句の谺も「かなしき音」だったのではないかと今気がついた。

歌集ともしび 斎藤茂吉 著岩波書店 1950年

 木霊と書くと木の返しのようだが谺とかくと地の響きかと思える。

歌集ともしび 斎藤茂吉 著岩波書店 1950年

 山がひの杉の根元は暗いと気が付かされる。

歌集ともしび 斎藤茂吉 著岩波書店 1950年

 谷あひの杉むらもさびしき姿だ。

歌集ともしび 斎藤茂吉 著岩波書店 1950年

渓中とも言い換えられるなあ。

白桃 : 歌集 斎藤茂吉 著岩波書店 1942年

 なんにしてもはざまなんだ。

白桃 : 歌集 斎藤茂吉 著岩波書店 1942年


あらたま 斎藤茂吉 著春陽堂 1921年


あらたま 斎藤茂吉 著春陽堂 1921年


遠遊 : 歌集 斎藤茂吉 著岩波書店 1947年

 何にしても俳句に比べて短歌は優雅だな。

霜 : 歌集 斎藤茂吉 著岩波書店 1951年


文学直路 斎藤茂吉 著青磁社 1945年

 という具合で、


 この「山がひ」の検索結果14件中2件が芥川、9件が斎藤茂吉なので、どうもこの二人には何らかの関係があったのではないかと疑わざるを得ない。今の私に言えることはこのくらいだ。

山のあいのせはき所なり万葉には山かひともよめりかひはあひ也

古今余材抄 [2]
契沖写

山がひの杉冴え返る谺かな

 この句の解釈としては「山峡の杉の木がこだまで冴え返っているよ」と素直に見ておこう。

山峡にとよむ谺や冴え返る

 と我がことにしていないのが芥川の工夫ということなのだろう。

山がひの杉冴え返る魑魅かな

山がひの杉冴え返る天彦や

山がひの杉冴え返る応え哉

山がひの杉冴え返る木魂かな

 山峡だから谷に牙の「こだま」が映えるか。杉に「木魂」は喧しい。「天彦」は間が抜けていて「魑魅」は穿ち過ぎている。

山がひのふぐり重たき木魂かな

山がひの杉冴え返るふぐりかな


【余談】

 芥川龍之介の自殺の原因に十ほど心当りがあるといふ話を宇野浩二氏からおききしたことがあつたが、当然ありさうなことで、また文学者のやうな複雑な精神生活を持たない人々でも、これ一つといふ剰余なしのハッキリした理由だけで自殺することの方が却つて稀なことではないだらうか
 自殺なぞといふ特異な場合を持ちだすまでもなく、日常我々が怒るとか喜ぶとか悲しむといふ平凡な場合に就て考へてみても、単に怒つた、悲しんだ、喜んだ、と書いただけでは片付けきれない複雑な奥行きと広がりがあるやうである。それにも拘らず多くの文学が極めて軽く単に、喜んだ、悲しんだ、叫んだ、と書いただけで済ましてきたのは、その複雑さに気付かなかつたわけではなく、その複雑さは分つてゐても、それに一々拘泥るほどの重大さを認めなかつたからと見るのが至当であらう。実際のところ、特殊な場合を除いて、これらの一々に拘泥しては大文章が書けないに極つてゐる。

(坂口安吾『文章の一形式』)

いや、「ふーん」の人は晩飯のことしか考えていないかもしれないぞ。

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