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寒垢離やから堀端の荒法師 夏目漱石の俳句をどう読むか87
医者が運転していた車にひかれて死亡。万引きGメンが万引き。そうしたどこかだらしないニュースが流れては忘れられていく日々にうんざりしている暇はない。まだ私は日曜日に偽装した金曜日を生きるしかないのだ。忘れてはならないのは割引クーポンの期限が今日までということだ。今日は何があっても南ではなく北に行かねばならない。
寒月やから堀端のうどん売
寒月や薙刀かざす荒法師
何か無理に時代をつけたような、そして人を驚かすような句である。解説には「から堀は水のない堀」とある。国立国会図書館デジタルライブラリー内で「から堀」はどこそこから「堀」という文字列でしか見つからない。
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昔はそういうものもあったのであろうが、いつまであったものか。江戸時代には既に城は本来の戦闘機能を失い、空堀そのものも実用的な意味や存在価値を失っていたのではなかろうか。
なんなら薙刀かざす荒法師はそのまま五条大橋の弁慶だろう。岩波の解説では「荒々しい僧」とある。あらあらしいのは勝手だが薙刀をかざされてはかなわない。
ここで夏目漱石が平安時代にタイムスリップしたとまでふざける必要はなかろうが、とにかく「うどん売」も江戸以前の古い「うどん売」と見た方が良いだろう。少なくとも明治の「うどん売」ではない。
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単なる言葉遊びか隠された意味があるのかは判然としない。ただ大阪と京都の感じがあるばかりである。
寒垢離や王事盬きなしと聞きつれど
解説には「王事盬きなしは王室に関する事柄は堅牢でなければならぬゆえに、王事に勤めて力を尽くすこと」とある。
また『詩経唐風』「鴇鳥」に「王事盬きことなし、」とあるとされるが、
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どうもうまく見つからない。この句は先日の幼帝の句との関連で見るべきか。王と言ってみたり帝と言ってみたりして少々ややこしいが、寒垢離で神仏に祈祷しているのでさらにややこしいことになっている。
この句は「皇室のことは抜かりないように聞いているけど寒垢離で神仏に祈祷しているのか……もろいやないかい」と呆れているような感じに受け止められる。してみると「寒垢離」だけにどうも清国の話ではないように思えてくる。
この時期の極東アジアは世界各国から狙われていて、世界各国が帝国主義、植民地政策を進めていたわけだから、清国にせよ、日本にせよ、今とは比較にならないくらい剣呑な時代でもあったわけだ。
そんな中、結局神頼みしか手がないというのは情けない話だが、これは時代が変わっても基本的には変わらないことなのかもしれない。
寒垢離なんかしないで自前の強力な軍事力を持てよ、という批判の句と解釈しておこう。
絵にかくや昔し男の節季候
解説には節季候の説明があり歳末の門付けの一種とある。そういわれてみると最近ではこうしたたかりのようなものはNHKと町内会くらいなものだが、昔は坊さんが経を読んだりして色々たかっていたようだし、獅子舞でもたかりだ。
今でも新宿駅なんかには偽者の托鉢坊主がいる。本物はまあ見かけなくなった。
この句においても「昔し男の」とあるので明治のことでもなさそうだ。
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岩波の解説では「羊歯の葉を差した編笠をかぶった異装の男がニ三人一組となり」「ああ節季候節季候、めでたいめでたいと唱え、米や銭を貰って歩いた」と書かれているけれども、そのいで立ちや掛け声は様々だったようだ。
節季候は、笠の上にシダの葉をさし、赤い布で顔を覆って目だけ出し、尻っぱしょりをして「せきぞろ、せきぞろ」と叫びながら、戸別に物を貰って歩く。天下公認の乞食。
と山梨県立大学のサイトにはある。
また「俳句では年末の行事のようになっているがここでは正月中いつでもやってくる」として時期もまちまちのようだ。
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一茶の時代は現実にあり、明治には早すたれていたものと見える「せきぞろ」、これを句に読む意図としてはかなり剣呑な時節柄の句に古色をつけた句を混ぜて紛らわしくする煙幕の役割があったのではないか。
ほら弁慶ですよと、昔の話ですよと。
まあ昔の風情をいつくしむというところもあるのか。
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