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芥川龍之介の『古千屋』をどう読むか③ そろそろ読もう
すると同じ三十日の夜、井伊掃部頭直孝の陣屋に召し使いになっていた女が一人俄に気の狂ったように叫び出した。彼女はやっと三十を越した、古千屋という名の女だった。
「塙団右衛門ほどの侍の首も大御所の実検には具えおらぬか? 某も一手の大将だったものを。こういう辱めを受けた上は必ず祟りをせずにはおかぬぞ。……」
古千屋はつづけさまに叫びながら、その度に空中へ踊り上ろうとした。それはまた左右の男女たちの力もほとんど抑えることの出来ないものだった。凄い古千屋の叫び声はもちろん、彼等の彼女を引据えようとする騒ぎも一かたならないのに違いなかった。
古千屋は第二章から登場する。題名からすれば彼女が主人公だ。しかし話は第一章で一旦落ちている感じがないでもない。
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古千屋は(記録上)実在した女である。ネタ元の台詞はこのようなものであっただろう。
我も一手の大將なり如何して實檢に入れさるぞ中々此度の御軍は勝利思ひも寄らず我祟を爲して災を爲さんと詈り
つまり「塙団右衛門ほどの侍の首も大御所の実検には具えおらぬか? 某も一手の大将だったものを。こういう辱めを受けた上は必ず祟りをせずにはおかぬぞ。……」とは、
そな・える【備える・具える】ソナヘル 〔他下一〕[文]そな・ふ(下二) (必要な種類と数を欠ける所なく用意する意。室町時代頃からヤ行に活用する例が見られる)
①物事に対する必要な準備をととのえる。用意する。続日本紀26「兵を―・ふる時に」。「台風に―・える」
②物を不足なくそろえておく。設備として持つ。神代紀上「夫の品物くさぐさのもの悉くに―・へて」。「各部屋に電話を―・える」
③欠ける所なく身につける。自身のものとして保持している。西大寺本最勝王経平安初期点「三十二の相遍く荘厳し、八十種の好皆な円つぶらに備ソナヘたまひ」。「威厳を―・える」「文才を―・える」「住宅地としての条件を―・えている」
④その地位につける。三体詩絶句抄「吾は才能あるものなるに高位高官にも―・へられば」。日葡辞書「ヒトヲクライニソナユル」
なんでわしの首実検せえへんねん。あほちゃうか。わしもそこそこ有名人やんけ。なにしとんねん。これハラスメントやで。首実検せえへんハラスメントや。こないなったらもう、祟るで。祟ってやんねん。覚悟しいや。
という意味であろうか。
つまり第一章の、
直之の首は一つ首でもあり、目を見開いておればこそ、御実検をお断り申し上げました。
という本多佐渡守正純の判断が気に入らなかったらしい。こうなるもう弓矢の故実といっても明確な基準があってそれが共通認識されている訳ではないことが解る。あるいは弓矢の故実などというものはいい加減なものであったということだ。それぞれの流儀や解釈があり、古今伝授のようなわけにはいかないのだ。
井伊の陣屋の騒しいことはおのずから徳川家康の耳にもはいらない訣には行かなかった。のみならず直孝は家康に謁えっし、古千屋に直之の悪霊の乗り移ったために誰も皆恐れていることを話した。
「直之の怨むのも不思議はない。では早速実検しよう。」
家康は大蝋燭の光の中にこうきっぱり言葉を下した。
元ネタでは「団右衛門事は隠れなき健気者。一手の麾も取りし者なり。首は見苦くとも今實檢の法を改め格別に出御あるべき」とあり、つまり現代語に直すと「団右衛門ちゅうやつは勇ましい奴っちゃで。チームのフラッグ任されていた奴やしな。いうたらキャプテンやで。そしたらホタレ首やらなんちゃらいわんと、もう一ぺんルール見直して特別に家康さんにでてきてもらったらどないやねん」ということで、ルール見直し、解釈が改められた感が強い。
芥川の話の方はひょいひょいと軽いが「直之の怨むのも不思議はない」としてやはり本多佐渡守正純の判断を見直している。
夜ふけの二条の城の居間に直之の首を実検するのは昼間よりも反かえってものものしかった。家康は茶色の羽織を着、下括りの袴をつけたまま、式通りに直之の首を実検した。そのまた首の左右には具足をつけた旗本が二人いずれも太刀たちの柄に手をかけ、家康の実検する間はじっと首へ目を注いでいた。直之の首は頬たれ首ではなかった。が、赤銅色を帯びた上、本多正純のいったように大きい両眼を見開いていた。
「これで塙団右衛門も定めし本望でございましょう。」
旗本の一人、――横田甚右衛門はこう言って家康に一礼した。
しかし家康は頷いたぎり、何なんともこの言葉に答えなかった。のみならず直孝を呼び寄せると、彼の耳へ口をつけるようにし、「その女の素姓だけは検べておけよ」と小声に彼に命令した。
家康の耳打ちによつて古千屋は主役になる。やったことは憑依でありやられたようなものでしかないのに。
ここから先はネタ元を離れて芥川の創意が縦横に発揮される。
「そちはどこで産まれたな?」
「芸州広島の御城下でございます。」
直孝はじっと古千屋を見つめ、こういう問答を重ねた後、徐ろに最後の問を下した。
「そちは塙のゆかりのものであろうな?」
古千屋ははっとしたらしかった。が、ちょっとためらった後、存外はっきり返事をした。
「はい。お羞しゅうございますが……」
直之は古千屋の話によれば、彼女に子を一人生ませていた。
はて、塙団右衛門は、出自不詳の人である。
出自は不詳である。尾張国の人で、同姓であるため、織田氏の家臣・塙直政の一族か縁者とする推測もあるが、遠州横須賀衆で浪人となった須田次郎左衛門という人物が本人であるという話や、上総国養老の里の出身で千葉氏の家来だったが、小田原北条氏家臣で「地黄八幡」の旗印で知られる北条綱成に仕えたという話、相州玉縄の住人で玉縄城主となった北条左衛門大夫[6]の徒士となったという話もあり、出身地や素性も定まらない。
ネタ元では古千屋は京都から連れてきたということになっているので、なぜ広島なのかと思うところ。「塙団右衛門ほどの侍の首も大御所の実検にゃあ役がたりんちゅうんか? わしも一手の大将じゃったちゅうのに。こがいな辱めを受けた上は必ず祟りをせずにゃいけんーな」とでも言っていれば話は別だが。
そして塙団右衛門を調べると、広島で雪隠に隠れて尻を撫でる化け物の話があり、そこに塙団右衛門も出てくることが解った。
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ただここに古千屋との因縁が書かれている訳ではない。古千屋と塙団右衛門に因縁があったという話そのものは芥川のオリジナルではなく、「浅からぬ契りをむすびたるもの」といった話は伝わっていたらしい。
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芥川の創意のポイントはここ。
「そのせいでございましょうか、昨夜も御実検下さらぬと聞き、女ながらも無念に存じますと、いつか正気を失いましたと見え、何やら口走ったように承わっております。もとよりわたくしの一存には覚えのないことばかりでございますが。……」
あくまで古千屋の作為を否定し、憑依なのか無意識なのか、責任を曖昧にする。
そして古千屋の処分に関しては不問に付す。
「けれども上を欺きました罪は……」
家康はしばらくだまっていた。が、彼の心の目は人生の底にある闇黒に――そのまた闇黒の中にいるいろいろの怪物に向っていた。
「わたくしの一存にとり計いましても、よろしいものでございましょうか?」
「うむ、上を欺いた……」
それは実際直孝には疑う余地などのないことだった。しかし家康はいつの間にか人一倍大きい目をしたまま、何か敵勢にでも向い合ったようにこう堂々と返事をした。――
「いや、おれは欺れはせぬ。」
昭和二年五月七日という、この作品の書かれた時期について考えると、やはりこの「人生の底にある闇黒」「闇黒の中にいるいろいろの怪物」には何かやっつけではないもの、芥川自身が見ていたものを当て嵌めたくもなる。
しかし私は現時点でこの「人生の底にある闇黒」「闇黒の中にいるいろいろの怪物」の正体は時々村上春樹が見せるあてずっぽうの「やみくろ」なのではないかと疑っている。何故なら、ここでそういう方向に話を持つて行ったこと自体には面白みがあるが、「人生の底にある闇黒」「闇黒の中にいるいろいろの怪物」という表現そのものはさして切れ味が鋭くない。その分リアルではないかと言えなくもないところではあるが、私は騙されはしない。ここは家康が言わされているところであって、ついつい芥川の心情が吐露されている訳ではない。
家康は初めて微笑した。人生は彼には東海道の地図のように明かだった。家康は古千屋の狂乱の中にもいつか人生の彼に教えた、何ごとにも表裏のあるという事実を感じない訣には行かなかった。この推測は今度も七十歳を越した彼の経験に合していた。……
この『古千屋』に描かれているのは古千屋の人生であり、家康の人生である。芥川はまだこの時期においてそんなものを見つめることができたのだ。その事実を矮小化することにはさして意味がなかろう。私小説化して深刻ぶることが批評ではあり得ないことをまだいい続ける必要があろうか。
徳川家康は1543年生まれ、1615年の時点で73歳。翌年死ぬことを家康は知らないが芥川は知っている。そして間もなく自分が死ぬことも知っている。ただ自分の作品を百年間誰一人読まないことを知らなかった。みちょぱの旦那が一歳年をごまかしていることも知らなかった。
マッドフラッド説では、江戸時代は存在しないという。
— 高徳□ (@rilby77738) July 23, 2023
200年前に泥の洪水により、人類は滅びており、
ゆえにこの18世紀の出来事などは、存在していないという。
(歴史のうそ)
ただ、もし存在していたなら、
為政者は、何を隠したかったのか。
それを聞いたので、お話ししたい
↓ pic.twitter.com/G2NHnDrUN2
[余談]
絶対に気が付いていない芥川作品の肝について書こうか書くまいか迷っている。noteは書く場所として適切なのかどうかとも。
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