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三島由紀夫の『愛の渇き』の普段見なれない言葉とか、あれこれ

 三島由紀の『愛の渇き』を再読した。随分久しぶりに。
 しかし本当に読んだのか?

 ちょっと確かめてみよう。



第一章



半毛の靴下      つまり半分化繊?

殷賑     また出た。よく使うね。

街娼《ひっぱり》 引張女郎、夜鷹、つじぎみ、やぼち。

│破落戸《ごろつき》 ならずもの

更紗  本場はインド。

│繊弱《かよわ》さ

沛然  はいぜん 雨が激しく降るさま。霈然とも。

朱欒  ザボン 見ないな。朱欒、香欒、謝文、ブンタン、文旦、ザンボア、ボンタン、ジャボン。

│家群《いえむら》   伊幣牟良(イヘムラ) …古事記だよ。古いな。

澎湃 ほうはい  水がみなぎり逆巻くさま。

迂路 うろ 回り道

茶樹  チャノキ 


浩瀚   書物などの量の多いさま。また、書物が大部であるさま。なのだけど一般に広大なさま。これも使いにくい言葉だ。

ひょうたんなまずに受け流し この瓢箪鯰、やたらと谷崎潤一郎が使うので感染ったのかな。三島は一応川端康成に師事しながら、その一方で谷崎潤一郎のことを「大谷崎」と呼んで尊敬していたし。

揣摩  しま  最近使われないね。

走禽類  ダチョウとかそういうやつ。

碁笥  ごけ  案外読めない。

犀利  サイリ  三島を一言で言い表すと犀利。

第二章


嫁菜 ヨメナ 野菊

草生 くさふ クソウと読んでも間違いではない。

辨疏 いいわけとルビが降られることが多いけど、三島はベンソ。硬いって言うか、くにゃくにゃしたくないんだね。

詫ち言 かこちごと 

貪婪 どんらん とんらん たんらん

柩布


舌たるい  近代は「舌怠」が使われることが多く近世では「したたるい」が多いような気がする。 

索漠  心を慰めるものもなく、味気ない、ものさびしいさま。索莫、索寞とも。

噴湯


半外套  ハーフコート?

らしゃめん│奴《め》  明治の文明開化の折、外国人の現地妻として提供された日本人女性のこと。古いな。戦後ならパン助、洋パンじゃないのか。

遵奉  こうした言葉は硬質というより大げさに見えるよね。

ジャンパア

指尖 ゆびさき 医学用語では音読み。

ジャミと呼ばれる屑筍  じゃみ くず のこりもの。

櫺子窓  

(1)れんじ(櫺)。欄干(手すり)や窓に一定の間隔でとりつけた格子。「櫺子レイシ」(れんじ=連子)「櫺子窓れんじまど=連子窓」「櫺軒レイケン」(れんじの手すり)「櫺檻レイカン」(れんじのてすり」「櫺牀レイショウ」(れんじの手すりのあるベッド)

https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/0046f6ce69c5d3e71a7c291eb2cbbf78

碁盤縞


むらすずめの花
  これ群雀、むれすずめ じゃないかな。金鶏児・金花。

第三章


窓を展いて ひらいて

泛んでいる うかんでいる 三島はこの字を結構使うね。

《はっ》とさせる 音はフンだし、意味はくちびる、くちさきだし。驚きは眼に現れるものだし。

当り狂言   評判がよく、客の入りのよい芝居狂言。十八番程度の意味か。

│涵《ひた》して  カン うるおす ひたす うん。意味はあっている。

│魚籃《びく》 ぎょらんと読んでも間違いではない。

印形 いんぎょう 呉音で読むのは人形 童形 形色とか少ないよね。使用例は浄瑠璃とかだよ。古いな。

揮毫 きごう 筆を振るう

絣のアッパッパ

戦後だよね。


鍛鉄 ロートアイロン

※もっこそのものを見たことのない人の方が多いよね。

https://sakura-paris.org/dict/%E5%BA%83%E8%BE%9E%E8%8B%91/content/17120_888

見│戍《まも》る


※ほこがまえだけど戌とは別の字だよ。

隠沼《こもりぬ》 かくれぬ  あ、下、みごもりにかかるぞ。

残肴 ざんこう 

│庶幾《ちか》い 庶幾はともにこいねがうこと。

熟柿 じゅくし ずくし、じゅくしがき。

晴れやかな秋空が点綴された椎の梢からは、今年はじめて聞くように思われる百舌の叫びが落ちて来たが、これに気をとられて、雨の名残りの水溜りにとられた美代の足が、悦子の裾に泥を跳ね上げたので、悦子は、あ、と言って手を離した。
 美代は突然地面に│蹲踞《つくば》うた。そしてさきほど自分の涙を拭いたセルの前掛で、悦子の裾を丹念に拭いた。

※いや、上手いなと思って書き抜いただけ。上手いなあ。

意見が岐れて  三島はこの字もよく使う。

旦ツク  ハズバンド、 宿六、 雇い主、 若旦那、 ダーリン、 旦那、 亭主 、 大旦那 、 内の人 、  旦那サマ 

ウビガン


風車売り


脳髄の│失禁《おもらし》

羇絆 きはん きずな ほだし

𧄍望  首を長くすること。 強く待ち望むこと

九十九折

第四章


鑽仰   聖人・偉人の学徳を仰ぎたっとぶこと

吹き降り

岩乗

※深沢七郎も『風流夢譚』でこの字を使っている。

徒爾 とじ 無意味なさま。

※少年時代の詩にもこの字が使われている。『潮騒』でも。

余蘊 ようん のこるところ。

窓の框

│龕《ずし》

│霽《は》れた

元結

饒多

縹いろ

※夕空の色ではないな。鳶色でもあるまいが。橙色かな。

馳駆

奇聳 きしょう 難読らしいです。

宰領

滂沱 ぼうだ。

│仮睡《まどろみ》

勿怪

│老成《ませ》て

第五章


鉄灸

真田紐


オー・ド・コロン

顳顬

│没陽《いりひ》

スネイク・ウッド

│歔欷《すすりな》く

│日外《いつぞや》

│抗《はむか》った

※『潮騒』でも使っていますね。

│陸稲《おかぼ》

凄いぞ三島

 『仮面の告白』に続いて『愛の渇き』を久々に読み直してみた。『仮面の告白』よりも若干ながら硬直な表現が抑えられ、ややこなれた感があるものの、その観念の空中戦とも呼ぶべき屁理屈のぶつかり合いは一層激しく、田舎の風景や農家の暮らしぶりの濃やかな描写とねじれた人間関係が織りなすドラマは、まさに三島劇場というべき大芝居を拵えている。一言でいえば「凄いぞ三島」もう一言付け加えるなら「面白いぞ三島」ということになる。

 悦子という未亡人の渇きがかくまでに生なましく描かれうるのは、そして三郎という無邪気な天理教信者の青年が物欲しげに眺められているのは、まさしく三島由紀夫という作家の禁じられた部分の発露かと易々片付けるわけにはいかない。そんな言葉は脳髄の│失禁《おもらし》に過ぎない。

 彼女はまだ肯おうとしない。われわれが人間の目を持つかぎり、どのように眺め変えても、所詮は同じ答えが出るだけだということを。(『愛の渇き』三島由紀夫)

 おそらく三郎の死体はセッターの老犬マギが、あるいは野犬の一群が、まもなく嗅ぎつけるに違いない。それでも悦子には何も与えられないだろう。どんな贈物も彼女には届かない。脳髄の│失禁《おもらし》に気が付いてしまう人間にとって、何かの罰かと疑ってしまうほど、人生は苛酷なものだからだ。

不可能って何かな?


 悦子の生き難さの謎は、悦子を男性に見立てた時、割とシンプルに解けるとプルーストの読者なら言ってしまうであろうか。口に締まりがなく、端にあぶくが溜まるような老害が言いそうなことだ。悦子の嫉妬、それは確かに不可能であることへの憤りであるかのようにも思える。

 しかし夫を腸チフスで亡くした後、その父親に身を寄せようという悦子のふるまいは、単に三島由紀夫をゲイだのホモだのと括ったところで解かれる筈もないことは言うまでもない。

   ここでも三島は戦争を我が事と捉えられない性的人間を描いている。しかし悦子はただ性的人間であるばかりか、性的な不能者なのだ。自棄バチの三郎の求めに応じることができない。千代はやすやすと三郎とまぐわい、その他の人々も平然とまぐわうが、悦子と弥吉はどうもその手前で逡巡している気配がある。理屈で考えれば当然なことだ。欲望と肉体の齟齬を不可能と言ってみることは慎まなくてはならない。しかし悦子が三郎を鍬で殴り殺すことは、もう少し真剣に受け止めてもいいかもしれない。三郎は大阪から買い付ける肥より上質な肥料とななり、戦後の農地改革に寄与したことだろう。

 不可能は悦子に与えられた特権ではない。どう考えても悦子に魅入られた三郎には穏便な出口はない。鍬で殴り殺されるまでが遠足である。靴下をどうしようが、三郎には全てが不可能だったのだ。悦子の魅力は詳らかには語られない。悦子の夫の愛人の容姿は具体的に語られるのに。弥吉にとっては若い女という程度に魅力的ではあっただろうが、三郎にとっては悦子は肉でしかなかった。最初から三郎が愛を語るなど不可能なことだったのだ。悦子はそうと知りつつ、三郎を選んだ。悦子が不可能を仕掛けたのだ。


【余談】

 これが濁らないと平安以前で濁るとそれより後ろというところで、フリガナの点々が老眼で判別できなかった。こういうのは困る。印刷が悪いので目を凝らしても解らない。いずれにせよ、三島の語彙は近代以前と深く結びつくのだが、『仮面の告白』と『愛の渇き』の間でも随分、「そぎ落とされた」感じがある。むしろ三島が本気で擬古文に挑んだらどんな偽書が出来上がったものかと恐ろしい。

※梁 うつばり 朝読んだら濁っていたので鎌倉以降だった。 いや、鎌倉以降って、近代文学はなかなかごっつい。



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