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芥川龍之介の『臘梅』をどう読むか なんかこう捻じれて繋がる


 わが裏庭の垣のほとりに一株の臘梅あり。ことしも亦筑波おろしの寒きに琥珀に似たる数朶の花をつづりぬ。こは本所なるわが家にありしを田端に移し植ゑつるなり。嘉永それの年に鐫ゑられたる本所絵図をひらきたまはば、土屋佐渡守の屋敷の前に小さく「芥川」と記せるのを見たまふらむ。この「芥川」ぞわが家やなりける。わが家やも徳川家瓦解の後は多からぬ扶持さへ失ひければ、朝のけむりの立つべくもあらず、父ぎみ、叔父ぎみ道に立ちて家財のたぐひすら売りたまひけるとぞ。おほぢの脇差もあとをとどめず。今はただひと株の臘梅のみぞ十六世の孫には伝はりたりける。

臘梅や雪うち透かす枝の丈
(大正十四年五月)

(芥川龍之介『臘梅』)

 

 文語調の芥川は心の鎧を解き、虚心に語ることが多い。この『臘梅』もそうしたなんということはない日々の思いを書き綴った暇人のnoteのように読めなくもない。

 この臘梅は、

三 庭木

 新しい僕の家の庭には冬青、榧、木斛、かくれみの、臘梅、八つ手、五葉の松などが植わっていた。僕はそれらの木の中でも特に一本の臘梅を愛した。が、五葉の松だけは何か無気味でならなかった。

(芥川龍之介『追憶』)

 この『追憶』に書かれている臘梅であろう。

 ただ五月に「雪うち透かす」はなかろう。しかし「ことしも亦筑波おろしの寒きに琥珀に似たる数朶の花をつづりぬ」とはいかにも今朝縁側で見てきたような言い草だ。

 何故五月? 

「ぼくはもう極楽行きは見合はせることにきめたよ」
 と或る時、芥川龍之介が、例のいたずらつぽい眼をかがやかしながら、わたくしに話しかけたことがあつた。
「?」これはきつと何かあとにつづくおもしろい言葉があるに違ひないと予想したから、わたくしがあとを期待してゐると、彼は言ふのであつた。
「極楽は四時、気候、温和快適だとかで、季節の変化は無いらしいね。季節の変化のない世界など、ぼくにはまつぴらなのだ
 いかにも芥川らしい言ひ分であつた。彼は一面で俳人であり、俳句は季節の変化を主題とする文学だから、芥川が季節に変化のない世界をまつぴらだといふのは尤も千万である。

(佐藤春夫『われらが四季感』)

 大正十四年五月に雪の句を読む芥川は、既に四季のないはらいそにいたのだろうか。

 また嘉永は孝明天皇の代である。

 芥川龍之介の養父・芥川道章は嘉永二年の生まれ、「十六世の孫」という思いは徳川家瓦解以前の中世に連なりかねない。

 どこから数えて十六世?

 梅がバラ科サクラ属の落葉高木であるのに対して、臘梅はクスノキ目ロウバイ科ロウバイ属に属する中国原産の落葉樹である。花は黄色い。

 臘梅が日本に這入って来たのは江戸時代前期とされる。

 果たして十六代の祖は何時代の誰で、どの地に臘梅を植えたのであろうか。

 ただここでは『羅生門』の時点では確かに見られた実父新原敏三に連なる意識が搔き消えて、芥川家に連なる意識のみがことさら強調され過ぎているように思える。

 この臘梅を植え替えるという話は、漱石の『行人』の梅を植え替える話をなんとなく思い起こさせる。

 養子という取引によって男子もまた家から家へ植え替えられる存在ではあるのだ。

 しかし芥川は漱石に言及しない。

 なら関係なかろう。


 二月の初旬に偶然旨い伝手ができて、老人はこの幅を去る好事家に売った。老人は直ちに谷中へ行って、亡妻のために立派な石碑を誂えた。そうしてその余りを郵便貯金にした。それから五日ほど立って、常のごとく散歩に出たが、いつもよりは二時間ほど後れて帰って来た。その時両手に大きな鉄砲玉の袋を二つ抱えていた。売り払った懸物が気にかかるから、もう一遍見せて貰いに行ったら、四畳半の茶座敷にひっそりと懸かっていて、その前には透き徹るような臘梅が活けてあったのだそうだ。老人はそこで御茶の御馳走になったのだという。おれが持っているよりも安心かも知れないと老人は倅に云った。倅はそうかも知れませんと答えた。小供は三日間鉄砲玉ばかり食っていた。

(夏目漱石『永日小品』)

 これも匂い付けではないが、捻じれて繋がるような感じがあるところ。

「点鬼簿」に加えた三人は皆この谷中の墓地の隅に、――しかも同じ石塔の下に彼等の骨を埋めている。

(芥川龍之介『点鬼簿』)

つる助は春日の女將、小唄の春日とよ、小かめは芥川の書いたものに出てくる親子三代の藝者、芥川はこの日僕を伴れて谷中の實家の墓に詣で、その足で小かめと別れを惜んでゐる。

(小穴隆一『二つの繪 芥川龍之介の囘想』)

 芥川の実家の墓は谷中にあった。

 だから「初冬や谷中あたりの墓の菊」だったのだ。この捻じれて付くような付かないような話はもう少し続く。

 芥川の墓は巣鴨にある。

【余談】

 安吾が、

芥川は「女房のカツレツは清潔だ」と云った。

(坂口安吾『由起しげ子よエゴイストになれ』)

 と書いている。この言葉の意味が呑み込めない。ただお刺身が好きで固いパンが苦手な芥川が女房の揚げたカツレツを食べていたかと思うとなんとなくおかしい。

 あの女性作家もカツレツを揚げるのだろうか?

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