二人ともそうなのか
殆どの人が『こころ』を読み誤っているという事実に明確に気が付く前、つまり今更夏目漱石作品の読みそのものについて具体的に何か書こうと思う前、ただ何となく『明暗』という作品を個人的に読んでいた時分、私はただ「この夫婦は良くないな」と思っていた。今も読んでいるのは個人ながら、その読みを公に晒す前提で読んでも、やはりこの「この夫婦は良くないな」という印象そのものは変わらない。
何だかこの相談は相手の事情も斟酌しない悪だくみに思える。ずっと後ろの方で、出て來る小林とお延との会話、
これなどそこだけ切り取ると何か不味い事件でも起こしてゐそうだ。ここで埋める埋めないの話になっている津田の事実は書かれている部分からは明らかではない。しかしながらどうも単に小林が悪い、津田が悪いでは片付かない感じがする。
なにしろ津田だけではなくて、お延も見栄っ張りなのだ。見栄っ張りな夫婦はドラマでは大抵悪役である。見栄自体は必要なものだし、見栄のない人などいないだろうが、ドラマでは飾り気のない正直な人が主人公になる。津田もお延も二人ともを見栄っ張りにした漱石の狙いというものも今のところ判然としない。
ただどこかに書いたように『明暗』という作品にはどういうわけか飽食を除く七つの大罪が現れているようであり、キリスト教的には見栄は虚栄であり罪なのだ。その罪の一つが津田とお延の両方に与えられていることは何だか意味深だ。
仕返しされている
この帯を質に入れる云々の話はやはり『道草』と比較せねばならないだろう。
結局お延の提案は「夫の矜りを傷つけるという意味において彼は躊躇した」ことにより流される。しかし見栄っ張りな津田に質に入れるかどうか相談したところで結論は出ていた筈だ。よせというに決っているからお延は「これどうかしましょうか」と訊いたのであり、本当に金を工面しようとするなら反対されないようにこっそり質に入れるものだろう。
※ちなみに今はもう質に入れるも置くも使わず、買い取ってもらうことが殆どだろうが、質に入れるも置くも同じ意味である。
そしてこれは夫がいつまでも厭味たらしく帯を見ていることに気がついたお延の仕返しではなかろうか。「それで今度その服装で芝居に出かけようと云うのかね」と言われて何も言い返せなかった悔しさが、「これどうかしましょうか」という皮肉でやり返されているところだ。それに対して「まあよく考えて見よう」と言って二階に上がる津田は完全に負けである。女房に口げんかで勝てるなどとは考えない方がいい。
どういう関係?
水村美苗の『続 明暗』の文庫本が本物と同じ装丁で『明暗』の横に並べられているのを本屋で見た時、私はおそらく言いがかりのような嫉妬心に囚われたのではないかと思う。しかし仮に『続 明暗』などを書くとしたら、この津田と吉川との関係性、「津田は固より表向の用事で、この室へ始終出入すべき人ではなかった」というところを詰めていないと恥ずかしいことになるな、と今では冷静に思う。おそらく吉川は津田の上司筋であろうがそれだけではない。そこは書かれている範囲では明示的ではなく、吉川夫人との関係も曖昧だ。
お金さんの縁談がどう片付くかという部分も含めて、『明暗』にはまだ書かれねばならないところがたくさんあり、一昨日気がついた「二三日」の謎など、まだ布石の洗い出しも終わっていない。そういう意味では水村美苗の『続 明暗』はいささか早すぎた。
吉川には個室が与えられていて、津田はオフィスのフロアを跨いで仕事をしなくてはならないようだ。
どうやら「黙って休んでも構わないようなものの」とあるからには、吉川は津田の直属の上司ではなさそうだ。それでいてお延から見ても「平生からあんなに御世話になっているんですもの」と言われるからにはよほどのことがあるに違いない。
しかし明白ではなくヒントも少ない。これでは『続 明暗』は書けない。
何でもゲイの話にすればいいというものではない
どうも妙な関係である。そして妙な心理状態だ。仕事上のメンターというわけではなさそうだ。直属の上司ではなく、関係はむしろ私的なものなのであろう。ではどういう関係ならこうした心理状態になるものかと考えてみて明白な答えが見つからない。「たまさかいたにしたところで、都合が悪ければ会わずに帰されるだけだ」となると、まるで田口要作と田川敬太郎の関係だ。しかし田口要作と田川敬太郎の関係ならば、田川敬太郎がただ田口要作の世話になっているだけなので、世話になっているというだけのことを誰かに威張れるものではない。少し極端なようだが津田と吉川の関係は、ファンと有名人の関係に近いもののように見えないだろうか。
仮に吉川が重役、津田が平社員であり、私的に縁があったとして「津田は吉川と特別の知り合である」などという自負は少々頓珍漢なものである。この「特別の知り合」の意味は「その押し隠しているところを、かえって他に見せたがる」というところから、やはりまたあっちの話ではないかと考える人もいるかもしれないが、いい加減にした方がいい。
なんでもゲイの話にすればいいというものではない。津田はマゾである。
奥さんに何の用だ?
吉川はお金持ちらしい。人を威圧する玄関のある家に住む主はただのサラリーマンではなかろう。しかしその主の奥さんとより親しい、「事実を云うと津田は吉川よりもかえって細君の方と懇意であった」とは一体どういうことか。会社の上司の奥さんと懇意ということは普通は良くない関係だ。むしろそうでないケースが思い浮かばない。実際明確に書かれている部分で、吉川夫人と津田の関係はなかなか際どいものだ。しかしその根っこのところの関係性が明かされていないので困る。
津田が「まだ自分の顔を知らないこの新らしい書生」と言うからには吉川家に何度か訪れたことがあるようだ。しかし玄関からは入ったことがない。つまり正式な客として招かれたこともなければ、吉川に伴われて玄関から招き入れられたこともないということになる。それでいて奥さんの方とより懇意ということになると、もうあっちの方としか考えられない。
何故歳を訊く
この「その年齢下の男はかねて眼下の男であった」が判断しかねるところだ。吉川夫人は元津田の直属の上司で「かねて眼下の男であった」なのかとも考えたが、当時はまだ女性の社会進出が進んでおらず、吉川夫人がバリバリのキャリア・ウーマンとして働いていたとは考えづらい。それに吉川夫人が元津田の直属の上司であれば津田の年齢くらいは覚えているだろう。ではそれ以外のどんな「眼下」であり得るのか、そこが解らない。
解っていることは現に津田が吉川夫人に眼下に見られていて、セクハラを受けていることである。新婚だから夜の生活は楽しいでしょうと三十男が揶揄われている。七歳違いの若い奥さんを貰ったから大変でしょうと確認されている。「もし始めからないなら、これからよ、嬉しいところの出て来るのは」というのは、津田がまだコツを掴んでないと言っているのであろう。
随分助平な上司の奥さんである。
[余談]
え?