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そんなに嫌わなくても

 余は日本の文学者を嫌うこと蛇蝎の如し、と永井荷風は書いている。

 断腸亭日記を読むと森鴎外と樋口一葉、谷崎潤一郎以外には認めている様子がない。

 生きている作家ではほぼ谷崎一人しか認めていない。

 しかし谷崎は、その中国趣味を存分に遊びながら、どこかで近代日本に生まれた大衆文化の芽生えを楽しんでいた。

 それは『鮫人』という中途半端な小説の中に突然現れたものだ。

 昭和になって人々がアイスクリームを食うことすら嫌う断腸亭には、「浅草文化」など受け入れがたかったはずだ。

 しかし断腸亭は谷崎を切れなかった。

 谷崎に阿りはない。

 断腸亭はどうだったのか?

 果たして断腸亭は谷崎に何を見て居たのか?

 例えば芥川龍之介は俗物で、谷崎潤一郎は怪物なのか?


 伊東静雄は三島由紀夫を俗物と見做し、太宰治は夏目漱石を俗中の俗と卑しんだ。

 断腸亭が言うように菊池寛は俗であろう。

 しかし大正デモクラシーが俗であり、「時代」でもあったことは事実だ。

 つまり断腸亭は時代を嫌悪し、時代を批判していたに過ぎないのだ。

 谷崎は時代と格闘していた。

 断腸亭というハイライトを横においてこそ、谷崎の現実主義のサイズ感が見えてくる。

 しかしこの煙草と比較してのサイズ感の表現ももはや時代遅れだろう。

 それにしても、そんなに嫌わなくてもいいんじゃないのか、断腸亭。

 森鴎外も日本の文学者だぞ、断腸亭。




[余談]

 誕生日の和布スープが……。止めた。


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