芳原
岩波はこの「芳原」に注解をつけて、
……とする。その通りであろうが、「芳原」の表記もさして珍しいものではなさそうだ。
国立国会図書館デジタルライブラリー内では2900程度の使用例があり、さして明確な区別なく使われていた表記のようだ。
胃内廓清
岩波はこの「胃内廓清」に注解をつけて、
……とする。まさにその通りで、「廓清」は主に社会的政治的な物事に関して用いられるようだ。ここは先ほど「芳原」との関連で無理に用いられたところであろうかと思ったが、『吾輩は猫である』が書かれたのは明治三十八年。廓清会が出来るのが明治四十四年。つまり夏目漱石はタイムトラベラーだとしておこう。
むつとして
岩波はこの「むつとして弁じましたる柳かな」に注解をつけて、
……とする。
「むつとして」と柳の組み合わせは他にこんなものもある。
どうやら「むつとして」はありふれた歌のお題というか枕というか、
……として調べて行くと、
あれあれあれ?
そうそう。やはり吉原がかかっているのかな……ってそこじゃなくて、嵐雪。
調べてみると子規も碧梧桐もこの「むつとして戻れば庭に柳かな」を大島蓼太の句として批評している。大島蓼太は雪中庵を継承し三世となり、『雪中庵嵐雪文集』などがある。「柳かな」は蕉風で良く用いられる……。もとはと言えばこの句であろう。
ということで、ここは山根秋伴氏の勘違いということにしておこう。大島蓼太が雪中庵三世というところから、こんがらがったのであろうか。
大鷹源吾
岩波はこの「大鷹源吾」に注解をつけて、
……とする。この榎本其角(宝井其角)との関係はフィクションであると言われている。
そしてこれらの大鷹源吾はみな同じで、大高源吾なのだろうか?
[余談]
赤穂浪士の話にも嵐雪が出て來る。この辺り案外狭いところでつながっている。