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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する72 夏目漱石の『坑夫』をどう読むか⑧歯されない糸ごんにゃく、にやこい生息子

歯(よはひ)されない

自分は今こんなに馬鹿にされている。ほとんど最下等の労働者にさえ歯されない人非人として、多勢の侮辱を受けている。しかし一度この社会に首を突込つっこんで、獰猛組の一人となりすましたら、一月二月と暮して行くうちには、この男くらいの勢力を得る事はできるかも知れない。できるだろう。できるにきまってるとまで感じた。

(夏目漱石『坑夫』)

この「歯(よはひ)されない」に岩波はこう注解をつける。

歯(よはひ)されない  「歯する」は立ち並ぶ、伍すること。『春秋左氏伝』「隠公十一年」に「敢て諸任を歯せず」とある。

(『定本漱石全集 第五巻』岩波書店 2017年)

 これでもぎりぎり意味は通じなくはないが、ここはもう少し柔らかくしてはどうか。

よわい・する【歯する】ヨハヒ‥ 〔自サ変〕[文]よはひ・す(サ変) (「歯しする」の訓読)たちならぶ。仲間として交わる

広辞苑

よわい・する ヨハヒ― [2] 【歯する】 (動サ変)[文]サ変 よはひ・す 〔「歯(シ)する」の訓読み〕 仲間に加わる。同じ程度にならぶ。「あえて―・せず」「家中一同は彼等を…卑怯者として共に―・せぬであらう/阿部一族(鴎外)」

大辞林

よわい・する【△歯する】よはひする [動サ変][文]よはひ・す[サ変]《「歯(し)する」の「歯」を訓読みにした語》仲間としてつきあう。同列に立つ。「こんな手合いと―・するのを恥とするような」〈中勘助・銀の匙〉

大辞泉

 この場合は「仲間にして貰えない」程度の意味ではなかろうか。しばらく後に「しきりに帰れと云う。しかも実際自分のためを思って帰れと云うんじゃない。仲間入をさせてやらないから出て行けと云うんである。」とある。

正式の学問をしないと

 自分はこう云う場合にたびたび遭遇して、いろいろな活路を研究して見たが、研究したほどに、心が云う事を聞かない。だからここに申す三策は、みんな釈迦の空説法である。もし講釈をしないでも知れ切ってる陳説なら、なおさら言うだけが野暮になる。どうも正式の学問をしないと、こう云う所へ来て、取捨の区別がつかなくって困る。

(夏目漱石『坑夫』)

 ここもディアゴスティーニ方式で書いている現在が出かかっているところ。しかし「自分はこう云う場合にたびたび遭遇して」がその後のあれこれを指しているとして何ら具体性がない。今回の配本は中身がないなと嘆くところ。

御菜には糸蒟蒻(いとごんにやく)が一皿ついていた。


 ここに岩波の注はつかない。


料理節用家庭暦 隆文館 1905年


エロ戦線異状あり : 女給の内幕バクロ 尖端軟派文学研究会 編法令館 1930年



毎日のお惣菜 : 家事経済 和洋料理教授会 編由盛閣[ほか] 1910年

 いとこんにゃく、いとごんにゃく、両方の言い方があり、特に古い新しいの差でもないようだが、やはり近年では「糸ごんにゃく」の用例は少ない。ここは何か説明があっても良いかも。

まだ南京虫を見た事がない

 これはただ事でないとたちまち跳ね起きて、襯衣一枚の見苦しい姿ながら囲炉裏の傍へ行って、親指と人差指の間に押えた、米粒ほどのものを、検査して見ると、異様の虫であった。実はこの時分には、まだ南京虫を見た事がないんだから、はたしてこれがそうだとは断言出来なかったが――何だか直覚的に南京虫らしいと思った。

(夏目漱石『坑夫』)

 岩波はここに南京虫の注を付ける。まあ、当たり前だ。
 
 ところでここは『三四郎』の割り床とつなげて眺めると面白いのではなかろうか。三四郎は南京虫には刺されなかったがお蔭で女の言葉に刺された。

全くの生息子である

 こう飯場中活動して来ると、自分も安閑としちゃいられない。と云って誰も顔を御洗いなさいとも、御飯を御上がんなさいとも云いに来てくれない。いかな坊っちゃんも、あまり手持無沙汰過ぎて困っちまったから、思い切って、のこのこ下りて行った。心は無論落ついちゃいないが、態度だけはまるで宿屋へ泊って、茶代を置いた御客のようであった。いくら恐縮しても自分には、これより以外の態度が出来ないんだから全くの生息子である。

(夏目漱石『坑夫』)

 岩波は、

生息子   うぶな息子。「生娘」の類語。

(『定本漱石全集 第五巻』岩波書店 2017年)

 と注釈をつける。ここはまさに「うぶ」でよいのだが、問題は主人公が東京を逃げ出した原因に関わるところがどうもはっきりしないということである。つまり谷崎潤一郎の『卍』ではないが、女性と間違いを犯したって体の関係さえなかったら、何ということもないのではないと思えるのだ。

き‐むすこ【生息子】 まだ女性と接しないむすこ。うぶなむすこ。誹風柳多留18「―は連れに目利きをしてもらひ」↔生娘

広辞苑

き-むすこ [2] 【生息子】 まだ女を知らない若い男。うぶな男。 

大辞林

き‐むすこ【生息‐子】
うぶな息子。まだ女性との性体験のない若者。童貞。「児島は―である。彼の性欲的生活は零である」〈鴎外・ヰタ‐セクスアリス〉

大辞泉

き‐むすこ【生息子】 うぶな息子。まだ女性と肉体的交渉のないむすこ。

日本国語大辞典

きむすこ【生〈息子〉】
まだ女と性的な交わりをもたない(純真な)若者。うぶなむすこ。童貞。

学研国語大辞典

き‐むすこ【生息子】  〘名〙 世間慣れしていない、うぶな息子。童貞

明鏡

きむすこ【生息子】[2] まだ世間や女を知らない若い男性。〔「きむすめ」にならって作られた語〕

新明解

 新辞林には「生息子」の項目がないけれど、ほかの主要な国語辞典はいずれも「女を知らないこと」を指摘している。仮に「生娘」と言って処女でなければ嘘である。
 つまり『坑夫』の主人公は童貞なのだと考えられる。これは案外重要なことではなかろうか。

三斗俵坊(さんだらぼ)っちのような藁布団

初さんが出してくれたものを見ると、三斗俵坊っちのような藁布団に紐をつけた変挺なものだ。自分は初さんの云う通り、これを臀部へ縛りつけた。

(夏目漱石『坑夫』)

 岩波はこれに、

三斗俵坊っち  普通「桟俵法師」と書く。米をつめる俵の両端に当てる、藁で編んだ円形のふた。「さんだわら」「さんだわらぼうし」ともいう。

(『定本漱石全集 第五巻』岩波書店 2017年)

 と注を付ける。たしかに国立国会図書館デジタルライブラリー内で検索すると、「棧俵法師」が51件ヒットし、「三俵法師」が17件、「さん俵法師」は15件だった。漱石が「三斗俵坊っち」と書いた理由は不明ながら、明治時代に標準とされる四斗俵(60キロ)に対して三斗俵はやや小ぶりなので、「三斗俵坊っち」はやや小ぶりなのではないかと考えられる。


秋田鉱山専門学校一覧 自大正3年至4年


そんな脂(やに)っこい身体で何が勤まるものか

 その言葉の奥底にはきっと愚弄の意味がある。これを布衍して云うと、一つには貴様もとうとうこんな所へ転げ込んで来た、いい気味だ、ざまあ見ろと云う事になる。もう一つは御気の毒だが来たって駄目だよ。そんな脂っこい身体で何が勤まるものかと云う事にもなる。

(夏目漱石『坑夫』)

 この「脂(やに)っこい」に岩波は、

脂つこい   「脂こい」に同じ。かよわい。こわれやすい。

(『定本漱石全集 第五巻』岩波書店 2017年)

 という注を付ける。これが、「脂(やに)っこい」ではなくて「脂(あぶら)っこい」だと、

あぶらっ‐こ・い【脂っこい・油っこい】 〔形〕 ①食品などのあぶら気が多く味がしつこい。 ②人の性質や態度があっさりせずしつこい。梅暦「わざと―・くいふは」

広辞苑

 全く別の意味になる。

やにっ‐こ・い【脂っこい】 〔形〕 ヤニコイの促音化。

広辞苑

 かと思えば、解釈はまちまちだ。

やにっこい【脂っこい】[4]:[4] (形)
(一)脂の成分が多い。
(二)しつこい。 「―男」
(三)〔茨城方言〕 作りがもろくて、こわれやすい。 「―箱」

新明解


やにっ‐こ・い【▽脂っこい】  〘形〙
 ❶ やにが付着して、ねばねばしているさま。 「タバコの吸いすぎで口の中が━」
❷ しつこい。くどい。 「━やつ」 ◆「やにこい」の転。

明鏡

やに‐こ・い【脂こい】 〔形口〕やにこ・し〔形ク〕(「こい」は接尾語)
1 やにが多い。粘りけが多い。やにっこい。*俳・落穂集‐三「やにこきをねせて置ぬるたはこ哉」
2 あっさりしない。しつこい。くどい。やにっこい。*狂歌・吾吟我集‐六「やにこき人はまつに気のとく」
3 かよわい。もろい。こわれやすい。やにっこい。*咄・諺臍の宿替‐一一「直ぐに穴のあくやうなやにこい身上」 やにこ‐が・る(自ラ四)

日本国語大辞典

やに‐こ・い【脂こい】 〔形〕[文]やにこ・し(ク)
①脂やにの気が多い。粘り気が多い。
②しつこい。くどい。「―・い男」
③よわい。もろい。

広辞苑

 そもそも「やにこい」に「しつこい」と「よわい」の両方の意味があるということらしい。新明解の茨城弁という解釈はいかがなものか。


近松浄瑠璃三種 近松門左衛門 著||饗庭篁村 校富山房 1903年

篁村、ありがとう。

なるほど「にやこい」の逆さまで、当時の東京語ね。

にや‐こ・い 〔形口〕(「こい」は接尾語)
1 女にあまい。*浄・夕霧阿波鳴渡‐中「下地がにやこい旦那さま」
2 にやけている。*洒・浪花色八卦「にやこい客が其通にして」
3 もろい。弱い。

日本国語大辞典


近松世話浄瑠璃詳解 第1巻 高野斑山 著春陽堂 1907年

 なるほどね。ためになるねー。ためになつたよー。



[余談]

 谷崎潤一郎の『或る時』に感心している人がいて、

 あっちの話かと思ったら、そっちの話だった。

 確かに何も言えない。



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