自分達さえよければ
翻訳された『明暗』を読んで、外国人の方々は大正時代の女性がかくばかりに大胆に議論をすることに驚くようだ。もっと慎ましやかにしていて自分を出さないという日本女性のイメージが覆るらしい。女性の職業はまだ限られていて、女性が男性に帰属していた生きていた時代なんだと考えてみると、やはりお延の大演説はかなり時代を先どったものである。
しかし津田の受け止め方、お延の呆れ、いずれも違和感がない。ここまでは何が批判されているのか解らないところだ。
無論今回は堀がいい加減な形で津田の家計の問題に口をはさんで余計な迷惑を背負いこんでしまったという事情はあるものの、「自分達さえよければ、いくら他が困ろうが迷惑しようが」関係ないという家族は昔も今も当たり前だったはずなのだ。むしろそうではない家族というのは珍しい。今回の迷惑は堀のいい加減な親切心が招いたことだと言えなくもない。
自分達の事よりほかに何にも考えていらっしゃらない方は沢山いる。いや、大抵は考えられない。自国に貧困や飢餓があるのに外国人を支援している人はそういう趣味の持ち主何だろうなと感心する。大抵の人は自分に身近な人のことしか関心がない。
まるで逆です
ここで言われている内容はそう無茶な話ではない。
・他人から受けるべく親切は感謝して素直に受けましょう
単純な話だ。そうならなかった原因がお秀が津田を謝らせようとしたことにあるとお秀は認めていない。そして人格批判をしている。たまたまそうなったことを認めない。また「実はたった今過ぎました」として一度きりの出来事で全てを判断している。まるで自分にだけそうした審判を下す特権があるかの如く語っている。
まるで暴君のようだ。
お秀の詭弁としか受取れなかった
実際人の振る舞いの中にはさまざまな理由や思いがあるものだろう。ここで「考えて下さい」と言われてもう一度お秀の親切と義務について考えてみたが、どうもお秀の態度にも良くないところがあったと思えて仕方ない。
【問①】私はなぜもっと早くこの包んだ物を兄さんの前に出さなかったのでしょう。
津田「はした金で恩に着せようとして焦らした」
お延「津田が私ばかり可愛がるので小姑が嫌がらせをした」
【問②】今になってまた何できまりが悪くもなく、それをあなた方の前に出されたのでしょう?
津田「感情的に引っ込みがつかなくて意地になった」
お延「妻が夫を支えていることを認められないから」
さて、秀子の答えを見てみよう。
兄さんらしくしたかった
お秀の答えはこうらしい。
【問①】私はなぜもっと早くこの包んだ物を兄さんの前に出さなかったのでしょう。
お秀「津田に感謝させて兄さんらしくしたかった」
【問②】今になってまた何できまりが悪くもなく、それをあなた方の前に出されたのでしょう?
お秀「自宅から持って来たのは何と解釈されようとあくまでも親切だから」
……ここには親切ごかして嫂を可愛がり過ぎる津田を責めていること、お延を憎んでいること、の告白はない。身勝手なばかりか、誠実でもない。親切の押し売りである。
単に私のためです
結局お延は何も反論しなかった。津田も反論はしていない。お秀の矛盾を一々指摘するのが面倒くさかったということもあろうが、何を言われようとお延は既に勝者であり、津田はお秀をとことん追い詰めない程度には親切だったからではなかろうか。
今になって「単に私のためです」ではなく最初からそう言って親切を示せば話は全然変わっていた筈だ。
しかし夏目漱石の書きたいことはまさにそこではなかろうか。同じ金を渡すのでも順序によってはまるで意味が変わってくるし、他人は自分の思い通りになるわけではない。そこで自分の親切が通じないと相手を不誠実にしてしまっても身勝手なだけだ。
お延にも意地の悪いところがあり、津田には無責任でいい加減なところがあった。しかしお秀が高慢で偏見に満ちていたことは確かだ。「これは良人とは関係のないお金です。私のです」と言いながら、もとは堀から出た金であろう。
結局お秀は津田の誠実さを引き出すことに失敗し、反省もさせられなかった。しかしそもそも津田にとって指輪を買ったことも偶然の一つであり、お延を可愛がっているわけではないので、凡てはお秀の偏見なのだ。ただ偏見と云っても「そう見られるように」お延が見栄を張っていることも確かだ。津田の指輪に関する無責任もどうにも理解を超えたものだ。
ただこのようにして人間関係はしがらんで行くのだなということが解る。「私」などと云うものは実に不確かな存在であるが、柵に絡めとられて何者かとして形作られていく。単に私のために生きながら、他人と関係しあっていく。大抵は余計なことをしている。
そしてたいして自律的ではない言葉がその人を形成してしまう。言葉は戻らない。
[余談]
この辺り、会話文が中心なので難しい言葉もなく、岩波の注はつかない。しかし解っているのかな。これがただの兄弟げんかではないことを。
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