集団催眠でもあるまいに 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む68
※閑院宮殿下
小さなミスの重なり
完全な悪ふざけには見えないが、いささか間の抜けた文章というものがある。内田百閒や井伏鱒二などの文章がそれである。間の抜けたというと悪口のようだが彼らの場合それが至極の味わいである。平野啓一郎はそちら側ではなく岩野泡鳴に向かっているのかもしれない。小さなミスを積み重ねて大きな勘違いに陥ってしまう。
悲惨なのは彼の周りには適切なアドバイスをしてくれる者が誰一人おらず、彼が完全に裸の王様になってしまっていることだ。平野啓一郎の『三島由紀夫論』を決定版と呼んでしまった迂闊な編集者に対して、三島由紀夫なら一体なんということだろうか。
幸い三島由紀夫はもう平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読んで「無礼者」と文句を言うことが出来ない。
幸い?
金儲けのためだけに本を売りつける者、ただ金欲しさに生きている者たちにとってはそれは幸いなことなのだろう。しかし、はっきりと言っておく。
嘘はばれる。
間違いは指摘される。
間違いは間違いだ。
ではあなたなら、平野啓一郎の間違いをどう改められるだろうか?
できますよという人?
います?
いません?
『豊饒の海』に於ける天皇は、『春の雪』での大正天皇の不在、
これ間違いですね。大正天皇は登場します。「先帝よりも御羸弱にお見受けする当今」として五十章に登場します。
不在かどうかで言えば不在ではありません。
不在なら「天皇皇后両陛下に東宮殿下もご臨席合わせられ」とは書かれない筈ですよね。
これはどういうことかと言いますと、『春の雪』における現在時間というものが回想を挟み明治天皇を登場させながらもほぼ御大葬以降にあり、洞院宮という宮家とのいざこざに大正天皇の直接の関与が希薄で、『お上をお裏切り申し上げたのだ。死なねばならぬ』という松枝清顕の思い込みも一方的なものでしかなく、大正天皇があたかも不在であるかのようにさえ感じられるという平野啓一郎の「あなたの感想」が嘘となって表れているということですよね。
しかし御真影というものは引き続き据えられていたわけである。
問題は天皇が不在であると書いたこと自体ではなく、そのように扱われた天皇の意味を平野啓一郎自身が問い直さないことである。仮に天皇が不在であるとはどういうことなのかと、何故考えられないのか。
『奔馬』で「太陽崇拝」に差し替えられた昭和天皇の不在を経て、
これはどう直しますか?
口の大きさが違う?
そんなことを訊いているわけではありません。
まあ、あまあまで解釈すれば「『春の雪』での大正天皇の不在」は文飾ですよね。実際に一切大正天皇が出てこないわけではないけれど、出番が少ないのじゃないかと。なら「「太陽崇拝」に差し替えられた昭和天皇の不在」は文飾として間違いでしょう。
飯沼茂之は『春の雪』で宮参りしていたわけです。『憂国』では武山信二が御真影に榊を欠かしません。
そういう意味において『奔馬』における今上天皇に対する儀礼的なもの、これは確かに欠いてますよね。明治神宮や靖国神社には参っていました。しかし『憂国』のように、
こうした日々の勤皇精神のようなものは見えず、平野が言うように「太陽崇拝」に差し替えられたかのように見えるわけです。
しかしここを正確に言い直すと、
『奔馬』で真のお姿として日輪に置き換えられた天皇は、
でしょう。つまり天皇という言葉の意味が飯沼勲の中ではもう今上天皇から日輪に変化している訳です。
『暁の寺』第一部では、第二次世界大戦末期という、いよいよ天皇の存在が最大化すべき時にあって、完全に見失われており、
『暁の寺』第一部では、第二次世界大戦末期という、いよいよ実在の天皇の存在が最大化すべき時にあって、完全に見失われており、天皇が不在であるインドにおいてはやはり神の最高意識である日輪というものが確認される。ヒンヅー教においては仏陀も神の一人であるに過ぎない。では昭和天皇はなどと問われることもない。ヒンヅー教においても仏教においても天皇はあがめられる存在ではない。
日本でも?
平野の言う「いよいよ実在の天皇の存在が最大化すべき時にあって」という言い回しは、三島由紀夫の『英霊の声』における特攻隊員の言い分を汲んでおり、既に宮城に尻を向けた飯沼勲の今上天皇批判を見逃している。
そしてもっとよく読まねばならない。
真面目に。
虚心に。
Xでも眺めるように真剣に注意深く読まなければ、三島由紀夫作品を読んだとは決して言えない。
少し休んだ方がいい
飯沼勲ほど純粋ではなく、一世代前の古い人間でもある本多の、ごく自然な心の持ちようとして、それがタイ、インド旅行を経て、神の最高意識である日輪というものを眺めた後であってさえ、なにかことがおこると宮城に行きたくなる、その程度の「国体」精神、心のよりどころとしての宮城に対する意識というものが本多においてはなくなってしまっていたわけではない。
飯沼勲のような苛烈な行動派というものはむしろ例外的な存在で、戦前の三島由紀夫も含めて、当時の人々の自然な心の持ちようというのは、宮城に今上天皇があらせられることを恃みとするような、その程度のぼんやりしたものだったのではなかろうか。
平野は「42 空襲体験」において、こう書いてしまう。
少々わかりにくいが、「彼」とは本多である。「彼には、徴兵された同世代人たちが死に、自分が生き残る、ということへの疚しさがなく」という言い分は「本多には、三島由紀夫と違って徴兵された同世代人たちが死に、自分が生き残る、ということへの疚しさがなく」という意図があっての表現と思われる。
✖ 真珠湾攻撃の熱狂に「嫉妬」する必要もない。
〇 真珠湾攻撃の熱狂に本多が嫉妬を感じてゐたと云つては誇張になる。
本多にも何か胸騒ぐものがあったとしてそれは嫉妬ではなく、自分は行為をする側の人間ではなく、自分の人生が決して輝かしいものになることなく終わるという利己的で憂鬱な確信がもたらしたものである。「嫉妬」する必要もないのではなく、本多の性質は「嫉妬」に向いていない。
✖ 一方で、日の丸の手旗を持った皇居前の人だかりと万歳の喚声からも遠い。
〇 二重橋の前に群れ集る人の日の丸の手旗、その万歳の喚声は、遠くからも見え且つきこえた。
ちなみに日の丸の手旗は自分で用意しなくてもその手前で関連支援団体のボランティアの人たちが配っているのを受け取ればよい。
平野は、
と書いているが二重橋の場面はタイの話から独立した十二章の帰国後の平穏な日々の後にあり、「タイ王室の記述と並置して挿入」という説明は何かを勘違いしている可能性がある。そして並置というのならばそれは寧ろタイ王室の記述ではなく、「得利寺附近の戦死者の弔祭」の写真である。
繰り返し現れるこの「得利寺附近の戦死者の弔祭」の写真が明治三十七年のものであり、実質的に『豊饒の海』は回想という形式ながら日露戦争のさなか清顕が天子様に頭を撫でられるところから始まっていることに気がつきたくない平野啓一郎は、ここでも本多の幻想を無視する形で切り抜けようとしている。
この時平野啓一郎に裏金疑惑をもみ消す国会議員なみの欺瞞がないのだとしたら、彼の記憶には明確におかしなもの、それは殆ど病的と言えるほどにおかしなものが現れている。
そんなページはない
平野啓一郎はこう書いている。518ページだ。この「この後」の「この」は、
この後。
つまり『決定版三島由紀夫全集』で言えば、113ページの後に続くところに「かなりのページを割いて東京大空襲が描写される」という内容がなければならないことになる。
しかし116ページから始まる十三章は輪廻転生に関する研究が中心である。古代ギリシャから始まり、十四章で十七、八世紀のイタリアにおける輪廻転生の話に移る。十五章でミリンダ王の話になる。十六章でもミリンダ王の話が続いている。十七章ではタイの小乗仏教の話に転じる。十八章では唯識が論じられる。十九章で阿頼耶識の話に進み、爆弾は一つも落ちてこない。142ページになってもまだ爆弾が落ちてこない。
つまり総括としては「この後、かなりのページを割いて輪廻転生の研究に関して述べられ」とあるべき構成なのだ。
?
二十章、ようやく、
こうしてほぼ回想の形で淡白に書かれているのが東京大空襲だ。これが「かなりのページを割いて東京大空襲が描写される」と読めたとしたら、真面目な話、急いで病院に駆け込んだ方がいい。勿論病院に行くべきは平野啓一郎一人ではない。担当編集者、そして小林秀雄賞の審査委員も同じであろう。
これは枝葉末節の話ではない。『仮面の告白』『金閣寺』と読んできたところで、「三島由紀夫作品というのはやはり戦争というものをやり過ごすことに徹底しているのではないか」と捉えるべき重要なポイントがこの「延五百機のB29が山の手の各所を焼いた」という俳句よりやや長く和歌より短い十九文字なのである。
こんなに簡潔に東京大空襲を説明した文字列を私は他に知らない。
いや、平野啓一郎が書くべきだったのは「かなりのページを割いて東京大空襲が描写されるべきであるところ、本多は数章に渡って輪廻転生の研究に繭籠ることによって戦争をやり過ごしてしまう」という指摘であるべきだったのだ。なのに真逆のことを書いている。
幻覚を見たのか。
それにしても一冊の本が商業出版されるからには三人は原稿を読むだろう。養老孟子は年老いたか。國分功一郎は大丈夫なのか? そんなにたくさんの人が集団催眠のように「かなりのページを割いて東京大空襲が描写される」という幻覚を見ることがあり得るのだろうか。
冷静になろう。
こうした場合、むしろ私一人が頭がおかしいのだと考えた方が現実的だ。
?
?
私が見ているものが幻覚でないとしたら、やはりこの世界の成り立ちはかなりおかしい。
[附記]
私が読んだ三島由紀夫作品だけが世間に流布されているものと違うのではないかという疑惑は、夏目漱石作品に関しても2013年頃起こった。結果、精査の上、どうもそうではないこと、夏目漱石作品を確認できたすべての漱石論者が読み誤っていることが数年後には明らかになった。
この件は果たしてどうなる?
いつか「かなりのページを割いて東京大空襲が描写され」た『暁の寺』が発見されるのか。
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