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「5分で泣いてください」と頼まれた話

誰かが悲しんでいることに、悲しめなかったことはないだろうか。
まわりの人が心を痛めているのに、自分だけ感情が動かず、なんて薄情なんだと思ったことはないだろうか。

とある縁から、とあるアーティストさんに「涙を流しているシーンを撮影したいです。」と言われ、ほいほいと参加した。

そこで感じた「悲しみ」について、少し話してみたいと思う。


「5分間で泣いてください」

ことの発端は、とあるコミュニティだった。

他のイベントに参加したときときに、美術好きが集まったコミュニティに参加することになった。
そこで、「涙を流している姿を撮影させてもらえませんか?!」という投稿があった。

基本的に私は「なんだそれ!楽しそう!!」という好奇心で簡単に動く人、いわゆる「フッ軽」なので、すぐに  参加します! と返事した。

とはいいつつ、涙を流す自信は、半々くらい。
募集の詳細には「アーティストご本人のご指示のもと、泣いていただきます」と書いてあったから、まぁ雰囲気にのまれて泣けるだろうと思っていたのだ。

当日、裏切られた。
セッティングされた椅子に座り、「はい、今から5分間撮りますね(ニッコリ) 」。
その一言で撮影が開始された。

テーブルの奥の席で、泣いてください!と言われた。



え!?それだけ!?!?(とっても失礼)

勝手に期待し想像し、勝手に判断する人間の脳みそって、怖いなぁと感じた。

運よく参加者は2人いて、2番目の権利を勝ち取った。
「すごいですねぇ〜」と余裕ぶって見学しているフリをしながら、必死に「泣ける」エピソードを探していた。


オハコで泣けない

そうして、私の番が来た。
運よく先に撮影された方は涙が出なかったので、私の涙が出ても出なくてもどっちでも安心だ…という心持ちではいることができた。

(今考えたら、一人目が無事に泣けたとしても「泣いてる映像が撮れたから、私は泣けなくても大丈夫だ!」となっていたと思う。2番目ってずるい。)

あれよあれよという間に、椅子に座らせられ、撮影スタート。
心臓はバクバク。
期待されると、弱い。

「でも、これできっと泣けるはず…!」
そう。私には泣けるオハコのエピソードがあったのだ。

”オハコ”という言葉を使うと、失礼に当たりそうだし、とても軽く考えていそうだが、決してそうではないことを先に伝えておきたい。

自分にとって、一番悲痛な体験、だ。

中学生のときの、沖縄の修学旅行のこと。

戦争学習の一環で、事前事後のビデオ視聴やらはもちろん、旅行中も防空壕(ガマ)やしらゆりの塔、平和祈念公園に行った。

正直、今この単語を書いているだけでも、その当時の情景や景色、気温や風の感触がよみがえってくる。
決して大げさじゃない。
それほど、当時の私にとっては、受け入れがたい事実で、言葉通り衝撃的な出来事だった。

そしてその思いを、学校代表として英語のスピーチコンテストで、必死にたくさんの人たちに伝えた。

だから余計に、その時の景色を気持ちをどうにか言葉にしようとしたからこそ、今でも思いや情景がありありと浮かんでくるのだ。

今も指を動かしながら、心が苦しくなっている。
今後一切、自分の人生で悲痛な体験はないと思っていた。

でも、泣けなかった。


「悲しみ」が、変化している

動揺した。
こんなにも自分の感情が動かないとは。

いや、感情は動いているのだが、当時の中学生の私が涙を流しているだけで、今の私は泣いていないのだ。

そこで、なぜその体験が悲しかったかを深掘りし始めた。
(ちなみに、この間もずーーっと撮影されております。そうです撮影の真っ只中です。)

自分の当たり前がなくなる恐怖、青空を見れない日常、大切な人があっという間にいなくなる不条理。

なぜ、ここに「苦しさ」は感じても「悲しみ」を感じなくなったのだろう。

きっとどこかで、憑依する力が弱くなっているのだと、思う。
そして冷静に、自己と他者の課題の分離ができるようになったのだと思う。

中学生の私は、強い感情に引っ張られ、自分の現実との境界線があいまいになっていた。

このことを思い出している今の自分は、「今からどんな行動をすべきか、自分に何ができるか」という冷静さがあると感じた。
冷静に、なりすぎていたのだ。

「悲しみ」は、変化するのだ。


私が「泣けた」記憶

ここで方向転換を余儀なくされた私は、焦っていた。

「当時の私は大切な人が戦争に行くかもって考えたら、とても悲しくなっていたはず…ということは、今私にとってパートナーや家族は大切な人ではない…?大切な人とは?愛とは…?」などという議論に思考が発展しないよう、必死に軌道修正しようと必死だった。

なぜなら、今日のミッションは「涙を流すこと」。

そこで、自分が涙を流したとき、涙を流している人を見たときを、必死に記憶の中から探した。

そうして思い浮かんだ映像に共通していたのは「生と死」であった。


遠方の祖母が大病をし、施設に入ってしばらく経って、面会に行った。

もう数年会っていないし、顔を忘れられている覚悟で、会いに行った。

正直、祖母が苦手だった。
ずっと喋っていてうるさいし、何度も同じことを繰り返すし、自分勝手にいろいろ決めて母を困らせるし。

でも、私の顔を見て、祖母は「生きているうちに、また会えてよかった」「もう生きている間には会えないと思っていた」と、何度も繰り返した。

私の苦手なところは、なんにも、変わっていなかったのに。

気づいたら涙があふれていた。



姪が生まれてから、人間を育てる残酷さと愛しさを知った。

そういえば、母親は私を生むときに里帰り出産をしていたらしい。

私が姪をかわいいと思うように、怒ったりするように、祖母は私の面倒を見ていてくれたのだろうか。

そう考えたときに、なぜだか分からないけど祖母に無性に腹が立った。

とてつもない不条理を感じて、心の中で何度も祖母を罵倒しながら泣いていた。


「いやーーー、ありがとうございます!ばっちりです!」

という声とともに、スマホの録画停止ボタンを押した音が聞こえ、視界を遮っていたライトの光が消えた。

祖母がいる病院から、今いる場所に戻ってきながら、ぼーーーっとこんなことを考えていた。

もしかすると、「悲しみ」って、「怒り」なのかもしれない。


「悲しみ」は「怒り」なのか

どうしても相容れない他人は存在すると思っている。

そして私は「家族も所詮他人」派なので、家族だろうが親戚だろうが、相容れない人間はいると思っている。

(ちなみに祖父祖母親戚は、軒並み苦手だった。なので「おじいちゃんっ子」とかを羨ましく思っていた記憶がある。)

言葉は乱暴かもしれないけど、あの時の祖母に対して「勝手に愛情を注いで、勝手に泣くなよ」という気持ちがあったのかもしれない。

だって私は苦手だったのに。
そんな後出し、ずるい。
受け入れられない私が、悪者になってしまう。

家族愛とか、悪者だとかに感情を揺さぶられている自分は嫌だ。
だけど、苦手な「人」に「家族」という記号で思考を放棄して、何も考えずに感謝したくはない。

そんなに深く考えるなとか、不孝者だといわれるかも。

でも、私だって傷ついた。
たくさん、嫌な思いも、遠慮も、忖度もした。
だって「おばあちゃん」だから。「おばあちゃんが苦手」と言えなかったから。

そんな人に、突然感謝され、泣かれ、こちらも感情を動かされる。
何で、泣いてるんだ自分。

悲しみと同時に、たしかにそこには、怒りがあった。


私の泣いてる姿が見れます


ただ、「5分間で泣いてくださいね」というだけだったはずなのに。

こんなにも自分が見ないようにしていたものと対峙して、対話して、「悲しみ」について考えるとは、思わなかった。

そして、「悲しみ」は自分と、時間と一緒に変わっていくものだと、身をもって実感した。

そんなこんなで、明日9/20㈬ グラントウキョウサウスタワー1階のアートセンターBUGにて、公開されます。
(PRや協賛ではないです。自己満足のnoteです。)

そしてそのアートセンターBUGにて、こけら落としのと企画展となる、雨宮庸介個展「雨宮宮雨と以」にて、私が泣いている作品が展示されます。


VRゴーグルに、私の泣いている姿が映されています


悲しみとはなにか、感情とはなにか、自由に感じて考える時間になるかと思います。

ぜひ、足を運んでみていただければと思います。

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