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フィードバックの大切さ

こんばんは。
突然ですけど、他者からのフィードバックって大切だと思いません?
大人になればなるほど、自分の「欠点」に見て見ぬふりをするようになって、気付くと誰も本当のことを言ってくれなくなる。
地位が高くなればなるほど周りが「忖度」してくれるから、「欠点」は改善するどころかますます悪化していく。
教育の仕事に関わっていると、それを日々実感します。

しかしながら、人間誰しも「盲目」になっている部分はあります。
「あの人ってこういう人だよね」って言われるけど、本人は気付いていない部分。
「ジョハリの窓」という自己分析における心理学のモデルにおいては「盲目の窓」と言われたりします。
それを「欠点」と言ってしまうとなんだか悪いことのように聞こえるので、「個性」と言い換えましょう。

また、その「個性」には「自分だけしか知らない個性」と「他人しか知らない個性」があります。

前者は秘密にしたい趣味、言えない家庭の事情なんかがそれにあたるでしょうか。「自分、実はこんな一面があるんです」という部分。
後者は、ちょっと例を出すのが難しいですが、いわゆる「あの人って気付いていないけどああいうところあるよね」って部分です。

「フィードバック」は主に後者の部分に気付かせてくれる点において、とても大事だと思うのです。

「フィードバック」をする時に僕が1番気をつけていることがあります。
それは「僕はあなたのその行動に対して嫌な気持ちになった」という感想だけを伝えることです。

例えば、児童館にあそびにきている子どもがいきなり僕を殴ったとします。
その時、どう注意するべきでしょう。

「人を殴ってはいけません」

こうでしょうか。
きっと、そのように注意されたらこう返ってくるでしょう。

「なんで?」

それに対して、あなたはなんて答えますか?

「殴られたら痛いから」
「それは犯罪だから」
「相手が悲しむから」
「そもそも殴るという行為自体いけないことだから」

色々な答え方があると思います。
ですが、その行為を「悪い」とする根拠って、説明するのが意外と難しいのです。

だから僕はそういう場面になると、彼にとっての「他者」になります。
「彼とは違う価値観を持った他人」として彼と接します。

その時にかける言葉は1つ。

「痛いからやめて」

以上です。
僕は、君のやったその行為に対して不快に思った。だからやめてほしい。
そう伝えるようにしています。
その言葉の前提には、「社会には様々な価値観を持った『他者』がたくさんいて、その人たちと折り合って生きなければならない」というスタンスがあります。
だからどちらが正解という話ではない。
君にとって「他者」である「僕」は、君のその行いが嫌だった。だからやめて。

そういうスタンスで注意すると、意外とやめてくれます。

本当は、子ども相手ではなく大人同士の関係性においても、そう言ったコミュニケーションが取れると良いのですが、現実はそう上手くはいきません。
1回きりの関係だったらもう会わなければいい話ですが、職場なんかだとうまく付き合っていかなければならないため厄介です。
上司の明らかにやばい言動に、時には言葉を飲み込まなければならない瞬間だってあります(むしろそっちの方が多いくらい)。

そんな関係が続けば、まさに「裸の王様」。
その言動に対して「嫌だ」と思っている人がいるのに、本人はずっと気付かないまま時ばかり過ぎる。

それって、健全じゃないと思います。

だからこそ、僕は「盲目の窓」に対して、常に開いたスタンスを取り続けたいです。
「君、こういうところがあるんじゃない?ちょっと嫌だったかも」
その指摘と真摯に向き合える人間でありたいと思います。

自分が伝える側に立った時もそうです。
どういう伝え方をしたら、相手はわかってくれるか。
そういう考え方も大切なので、「伝え方のスキル」も磨いていきたいです。

あなたはどうですか?
お互い頑張っていきましょう👍

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