「空腹は最高のスパイス」を人生スケールで考えたとき、空腹に置き換わる言葉は疲労なのではという話

今日は文化の日だ。一般的には祝日の今日、私は出勤し仕事をしている。

仕事の作業中疲れた~って思って天井をぼ~っと眺めてたんだけど、眼鏡についたゴミでいい感じにモヤがかかってて、ただの天井なのに奇麗だなーって思った。

人間疲れてたらゴミでさえ奇麗って思えるんだなって思って今度は眼鏡のレンズにべたべたと指紋をつけてみた。

指紋とゴミが織りなすハーモニー。2つの要素が作り出すモヤはただの天井ですら美しく見せる、まさにアートとしか言いようがない景色を見せてくれるのだろうと期待に胸を膨らませて眼鏡をかける。



モヤ過ぎて薄い。

なにこれ。モヤ過ぎて薄いんだけど。


というか、考えてみたらわかることなんだけど、普通の景色に少しモヤがかかるから奇麗になるわけじゃん。

カレーの隠し味にチョコレートを入れてみました。は少量だからこそプラスになるわけじゃん。

カレーの隠し味に板チョコ10枚入れてみました。はもはやチョコ味のカレーなのかカレー味のチョコなのか論争に発展する愚行でしかない。

そう。天井も同じ。「普通の天井に隠し味のモヤ」は奇麗だった。
「モヤの中に隠し味の天井」は違う。流石ににモヤの中に天井は隠れない。
ただただモヤのせいで薄くなった天井が見えるだけ。

期待していたものを見れなかったせいでモヤモヤする。

疲れの中にモヤアートという名の光を見たが、それも今では靄がかかっている。

疲れとモヤモヤのハーモニー。
みたいなものはない。

もう「モヤ」という言葉がゲシュタルト崩壊してきた。


「どう?最近モヤってる?」
「焼酎モヤ割で!」
「今日の晩御飯はモヤがけチャーハンがいいなー」
「将来は山のてっぺんに家を建てて白くて大きなモヤを買うのが夢なんだぁ」
「ここを通りたけりゃこの俺をモヤしてから行くんだな!」


と、こんな文章書いてたらもう30分経ってた。ラッキー。
あと約2時間頑張りまーす。

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