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ブログを始める事にしました。

衝動的にブログを始めてみようと思った。衝動だけで生きてきたのでそれもいいと思う。
「衝動的」というのは「なんとなく」ということと同義だろうか?馬鹿なのでよくわからない。なんとなくそれでいいような気もするが、「衝動的にそれでいいような気がする」というのはおかしいのでやっぱり違うのだろう。
わりと自分でも今日の自分は頭いいと思う。

無意味さに慣れる練習

今日突然ブログを始めてみようと思ったのは、もしかしたらそろそろ自分の中の勝手なほとぼりが冷めたということなのかもしれない。
まあいい。そんな話はどうでもよくて、これから先も全部どうでもいい話。

自分の中に「意味のないことは書いてはいけない」みたいなこだわりとか思い込みみたいなものがあったように思う。
でもそんなことを言い出した日にはブログに書くべきことや言うべきことがないのはもちろん、僕の人生のどこを見回したって意味なんてものは一つも見つからないのだった。
「意味がないから」といって潔く死ねる高潔な侍だったら苦労はいらない。腹を切るのがこわくてどうしてもできない臆病者だからいまだに武士の恥を晒して苦労しているのでござる。なんなら武士とか侍とか嘘だし。十代前からずっとお百姓だし。
意味が無いことは百も承知で、それでも死ぬのはこわい、生きていたいと思うのであれば、せいぜい意味の無意味さを笑うとか、無意味に意味を見出すとか、そういう無意味な工夫でもするしかない。「意味のためにある人生は無意味だ」みたいな。
そういう無意味なことをたくさん書いてみたいと思った。つまるところ僕は無意味さに慣れる必要があるのだと思う。

純粋さとは無意味であること。純粋でありたい。無意味でありたい

もう少し前向きな感じに言い換えれば、僕は淡々と生きることを学ぶ必要があるのだと思う。ある意味ではそのためのトレーニングの一環として、そしてもちろん本当はそんなのは嘘で一切の意味なんてないのだけど、淡々とブログを書いてみようと思い立ったのだった。
日記を書くみたいに。日記を書くことに意味なんてあるのかと言えば…まあ日記を書いている人たちは意味や意義を見出しているのかもしれないけど、僕にとっては少なくとも今のところ特にない。見つけられない。わからない。
しかし意味なんてないまま、あるいはわからないままに続けていればある日ふとそれと出会ったりわかったりする日が来るかもしれない。やっぱり来ないかもしれない。率直に言って来ない可能性のほうが濃厚だろう。
で、別にそれでいいのだった。最初から意味のために始めるわけではないからだ。
むしろ、「意味があったら意味がない」くらいのつもりで文章を書けたら素敵ではないだろうか、と僕の脳みそにお花畑が広がる。
意味のための文章、意味のための人間関係、意味のための人生、そんなものは全部不純だと思う。
意味なんてなくていいのだ、いや、意味なんてあったらだめだ!純粋さとは意味なんてものを否定し踏み砕き、それをはるかに超越したところにこそあるのだ!…それくらい高潔というか単に大げさなだけの虚仮威しをスローガンにしてブログを書けたらいいなーと思う。
意味があったら意味がない、意味がないから意味がある。そういう無意味なレトリックを溺愛していきたい。


ハンプティダンプティなエンプティでありたい

コミュニケーションは苦手だ、という人がいると思う。それならそれでいいと思う。いや、よくはないのかもしれないが、苦手なものは苦手なのだからしかたない。得意な人だってたくさんいるのだから、得意な人に任せておけばよかろうなのだ。あえて苦手な人間が「克服するためにがんばってます」なんて痛々しい姿を晒さなくてもよかろうなのだ。24時間テレビじゃあるまいし。愛が地球を救うわけじゃあるまいし。
誰かに語りかけるのは苦手だ。独り言が気楽でいい。誰かを説得しようとする必要もない。そもそも説得しようと語りかけて説得できるわけでもないだろう。あるいはもしかしたら、語りかける必要も説得しようとする必要もなく、勝手に聞いてて「それわかる!」って人もいるかもしれない。
別にそれもどっちでもよかろうなのだ。身もふたもないことを言ってしまえば、他人のことはどうでもよかろうなのだ。
外を向きたくないのだ、今の気分は。人の方を向きたくないのだ、今の気分は。自分の内側へ内側へ、さらに内側に向けて、ひたすらどこまでも潜りまくって引きこもりまくって、モグラのように潜りまくって、最後にはついに潜りすぎて皮膚と内臓がひっくり返るくらいに潜りすぎてしまえばいい。
そうすれば結局内側も外側もないということになる、いや、ならないかもしれないけど、「なる!」って言い切る勢いを大事にしたい。
それに、別に僕ではなくたって、コミュニケーションの達人みたいな人だとしたって、誰かと話したとして、多分話せないことのほうが圧倒的に多いと思うのだ。で、本当に話したいのは話せないことの方だったりするよね…(寂しげな微笑)、みたいな、そういう群衆の中の孤独みたいなものってありがちだと思う。
で、僕にとっては「まあ、それが生きるということだ」とか小粋につぶやきながらストレートウイスキーを一息に飲み干してみせて、今日も都会の中で生きていく…みたいなハードボイルドな生き様には特に興味もないのだった。
むしろ徹底的にぐずぐずに砕けて飛び散る生卵でありたい。ハンプティダンプティなエンプティでありたい。
つまりこれは、そういうブログです。ということを律儀に再定義したりしながら、ブログを書いたり書かなかったり、始めてみたりまたやめたりしてみようと思う。

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