見出し画像

大変な時もあったりした

 前回のテーマは「楽しそうに生きる」だったので、今回は今までの育児生活で大変だった時の話でも。

2年前の息子が1歳の時に地元に引っ越し、新生活をスタートさせました。そこで保育園を決め、僕も妻も職場の部署移動を行うことで生活拠点を整えました。

ダウン症である息子は健常児と比べて免疫力が強くありません。急に始まった保育園での集団生活のストレスもあったのでしょう、入園間もない4月に肺炎になり入院することになりました。

 入院期間は1週間程ですが、幼い子供が入院する際には親の付き添いが必須です。僕ら夫婦は共働きなので、夫婦交代で付き添うことに。仕事の調整を行い、病院に帰ってきて病院から出勤する毎日。個室が空いていれば個室で入院できますが、基本的には4名室で入院することの方が多い。

入院生活のストレスで夜泣きがひどくなった息子。息子の夜泣きが始まると別の子の夜泣きを引き起こす負の連鎖。付き添いの親が起きて子供をあやす暗闇の病室。
カーテンで仕切られた向こう側から親の心の舌打ちが聞こえてくる。「すみません、すみません」と何度も心の中で謝罪を繰り返す。
カーテン越しの睡眠時間をめぐる攻防戦は毎晩続きました。
寝不足による疲労とストレスを抱えて妻と交代して出勤。息子が退院した時は嬉しさよりも、安心して寝れることを喜びました。

 ただ喜んだのも束の間、この1週間程の入院生活は4,5,6月と3カ月連続で続きました。
月一の正確なリズムで息子が肺炎を発症する。憎い程に規則正しい肺炎球菌。
6月の入院で僕は疲労によって体調を崩しました。扁桃腺が腫れて40度以上の高熱で3日間寝込んでしまうことに。
その時は僕の両親も巻き込んでの付き添い生活。助けてくれた両親には感謝しかありません。

3カ月連続の入院生活のメリットかわからないですが、当時の小児科病棟のスタッフ全員から息子は顔と名前を覚えられました。予防接種で病院に行った時も待合室で「〇〇ちゃ~ん。お注射ですよ。」と呼ばれ、そのフレンドリーなやり取りに周りが思わず注目。
「えっ友達!?常連!?」みたいな感じの視線は今でも忘れられません。人見知りで馴染みの飲み屋すらないのに。

 6月の入院が終わると息子の体力が上がったのか、多少の熱が出ても肺炎までいくことがなくなりました。やっと家族の日常生活が戻ってきたんです。
でも「◯◯は忘れた頃にやってくる」とはよく言ったもので、12月末のクリスマスに肺炎は帰ってきました。年末は夫婦共に小売業の販売員である僕らにとって最も忙しい時期。その時期の入院付き添い生活。僕はその時の疲労でインフルエンザに感染。
商売にとっての儲けどころで人手が一番ほしい時。10年弱のアパレル人生で初めて年末年始に病欠。今度は自分が家族から隔離されて、一人布団の中で過ごす正月。僕の2019年の仕事初めは病欠の謝罪からスタートしました。

 復帰後は戦力外通告ぎりぎりの扱いを耐え、失った信頼を取り戻すために紛争する日々。春の日差しが感じられる頃には職場での僅かな威厳を取り戻し、かつてのように采配を振るう日々が帰ってきました。
またその頃には息子の身体は強くなり、熱を出して保育園を休むことがほぼなくなりました。2018年は息子の体調を考慮して旅行は控えていたのですが、2019年に初めて祈願の家族旅行を実現。涙するような感動はなかったのですが、普通に楽しかった。

 2020年の現在、本来はGW真っ只中ですがコロナによる自粛期間。僕は仕事がSTOPして、家族と過ごす日々を送っています。
2年前の入院生活が嘘のように息子は活発になり、やんちゃ盛り。暴れすぎて腹が立つこともありますが、逞しくなってくれたことを嬉しく思います。

#パパの本音 #障害児育児 #キナリ杯

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?