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必要とすること。されること。

こんにちは、こばやんです。

ご無沙汰していますが、私は比較的元気です。
近況は・・・まあ、いいですね、追々で。

きょうのお話のはじまり

仕事をしていて「あ、必要とされているな」とか「あれ?私って要らない?」って思ってしまうことってありますか?
って問われたら、少し恥ずかしがりながら、小さく手を挙げる派です。
(そんな派閥ねえよ!笑)
まあ、仕事に限らずですかね。私は特に仕事で感じてしまうことが多いです。

必要とされていると感じるとき(こばやんの場合)

どっかで困ったことがあって、それを当事者から直接相談されたときは、「あ、必要とされてる!」とうれしく思います。また、ちょっと難しいことや誰もやってこなかったことを頼まれたりするのも、(シーンによっては丸投げのこともありますが)「あら、頼られちゃってる?」って思いますね。

必要とされてないと感じるとき(こばやんの場合)

まあ、全部私の場合なので、カッコ書きの部分は要らないかもですけどね。念には念を入れて。
今までやってた仕事を他の人に移管されたときは、「なぜだ?」と思いますね。ちゃんとした説明があればいいですけど、「あれは誰でもできる」とか言われると、何やらそれまでの自分もかわいそうに思ってしまいます。

欲しがっているばっかり!?

必要とされてる、されてないって思ってしまう時って、人からの評価を欲しがっている状態でもあるのかしらと思うのです。それは、だれかの言葉がきっかけだったり、ちゃんとした人事評価だったりするかもしれませんが、あまりに強く「私を必要としてーー!」って思ってしまうと、相手方はもしかしたらその雰囲気に気づいて、「どうすりゃいいのよ」ってなるかもしれません。(でも、仕方のない時もあると思います、思っちゃうんだもん。それ相応のことが起きてたりするんだもん。)

ざっくり分析してみる

最近よく思うのですが、「必要とされている、されていない」の感じ方は、相手に主導権がある物事を欲しているような気がするのです。自分だって、頼りにしている特定の人はいる訳で、例えば、それ以外の人から「頼りにしてー」って言われたら、「うんうん、頼りにしてるよ」って言葉では返しながらも、「私が誰を頼ろうが私の勝手じゃい」って思うこともあるでしょう。それに、相手の評価次第で自分の感情が上がったり下がったりするのも、uncontrollableで何やらイヤですよね。

だから、必要としてみる

評価を受ける側にずっといる必要はないと思って、今まであんまり頼ってこなかった方に相談を持ち掛けてみると、意外とすんなり解決したりして。そんな営みをしていくうちに、「私を必要としてー」って気持ちはだいぶ和らいでいく感じがしています。必要とすることで新たなる関係性が生じ、(まあそれが面倒だって時もあるんですけど)今まででは発想になかったことに発展することも・・・(あったらいいな、まだないけど。笑)

まとめ

「人は頼り頼られで生きていくのだよ」「自分の考えがしっかりしてたら他人からの評価なんて気にならない」という方には何言ってんの?って話だったかもしれませんね。しかしながら、私のような人間もいて、ぐちぐちと考えてしまうこともあるんですよね。なんだかすみません。

YOASOBIさんの「もう少しだけ」という楽曲が好きなんですけど、

暗いニュースが流れる朝に 気持ちが沈んでいく朝に
自分はいらない存在 なんて考える朝に

という歌詞があって、仕事で思ってしまうことに近くて、耳に残っています。この曲は誰かからもらった優しさや、誰かに優しくなれたことが、めぐりめぐって、小さな幸せにつながっていくっていうことを教えてくれます。なかなか踏み出せないけど、そうありたいもんだと思います。

今回書いた必要とすること、されることも、結局はめぐりめぐっていくものなのかもしれません。だから、どちらか一方のみが成り立つわけでもないのでしょうね。人生ってのは深いです。

それではまたです。

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