見出し画像

#1 通りすぎるあるいは乗り過ごして来た車

私にとって車とはずっと乗せてもらうものだった。
これは、三十代半ばで突然普通免許取得に踏み切った女の奮闘記だ。

 普通免許とは、普通自動車の免許のことである。日本の人口のどうやら半分ぐらいが持っている道を走る車を運転する免許のことだ。私が育った街では、多くの人が高校卒業と同時に普通免許を取得する。進路が決まった時期から同級生の間では自動車学校の話題が上っていた。車は一人一台持っているのが地方都市ではおそらく普通の光景だろう。私は東京の大学に進学することが決まっていたので、取得しなかった。次に多くの人が自動車学校に通っていたのは大学四年生の後期だろうか。ゼミの友人たちが「車学だからその日ダメ」と卒業制作展の話し合いを抜けていたのをよく覚えている。私は学士編入で三年生から美大に入ったので「単位も取り切ったし、自動車学校にでも通うか」なんて余裕は一瞬もなかった。卒業後も都内の大学院への進学が決まっていた。そして、この頃には車が必要な地元に帰るなんてことは一生ないと思っていた。すなわち、普通免許は不要。私は東京の複雑な路線図を自由自在に乗りこなして生きていこうと腹を決めていた。その後、社会人になっても普通免許は必要なかった。友達が日常的に車に乗っているという話もほとんど聞かなかったし、免許が欲しいという気持ちが湧き上がるなんてこともなかった。渋谷のオフィスを起点に営業職として都内を外勤する日々はスマホを片手にあらゆる電車やバスを乗りこなし、不自由を感じることなんて全くなかった。

 気持ちが変わってきたのは、海外での暮らしを経験したことだ。私の暮らした発展途上国は小さな島国で電車はなかった。常にタクシーで手荒な運転に身を預けて移動する。日本で車検を通らなくなったボロボロの中古車だ。ドアがきちんと閉まらなかったり、雨が漏れて入ってくるようなこともザラだ。車はボロボロだが、音楽が好きな人が多く、車に対して大きすぎるスピーカーが積まれていて、そこから流れる爆音の音楽がカラッとした風を震わせる。当然窓は全開だ。運転手も明らかに定員も重量もオーバーしている車内では、乗客もぎゅうぎゅうになりながら口ずさんでいる。運転に対して知ることが少ない私からしてもどう考えても危険なハンドル捌きに閉口したくなる時もあったが、タフな生活の中で確実に心が自由になる瞬間でもあった。

 そんな楽しい日々は二〇二〇年に突然終わりを迎える。世界的なコロナウィルス感染症で帰国を余儀なくされたため、選択肢なく私は地元の地方都市に帰ることになった。そこでおよそ一年間、家の周りでバイトをしたり、母が新しく飼った犬を散歩させたりしながら過ごしていた。海外暮らしから一転、高校卒業以降一生住むことはないと思っていた実家への転居。いよいよ免許を取ろうかと思案したものの、実家からあらゆる生活インフラ(駅、役所、百貨店、バイト先、一人でふらっと入れるカフェその他諸々)が近く、ほぼ歩きで生活が完結してしまった。地元に暮らす人々からしてみたら車なしでは生活できないとのことだが、なんせこちらは車がある生活なんてやったことがないからさほど面倒は感じなかったのだ。時節柄、家族が家にいることは多かった。久しぶりに集まる大人ばかりの家族が同居なんていうのはいかにも生活の中で軋轢が生まれそうだが、犬がやってきたこともあり案外楽しく過ごしていた。

 そして、私は東京での仕事を決めて再び上京することになった。大きな荷物はなかったので、父が車を出してくれて1回の移動で済む小さな引っ越しとなった。久しぶりに父の運転に長く乗った。父は運転が得意で、学生時代は運転手のアルバイトをしていたそうだ。家族で出かける時や、習い事の送り迎えなど何度となく乗ってきた父の運転だったが、こんなに長く乗るのは久しぶりのことだった。山を越え、街に出ると、数年前まで住んでいたエリアを父の車で通り過ぎた。車なんてなくて当然で、仕事か勉強かとにかく頑張る何かがあって、やる気と少しの孤独で肩を怒らせて歩いていたあの頃の自分とすれ違った気がしてなんだか不思議な気持ちになった。二十代前半の私には想像もできないような今だった。結婚もしていなければ、なぜか外国にで暮らして、その後地元でも暮らすなんて。人生は予測不能の連続だ。寂しさは常態化してもはや自由としか感じておらず、あの頃の向こう見ずなやる気失いきっていないものの部分的に経験と共に地に足がついた技術と怠惰に変換されていた。
 私が住むエリアは東京にアクセスしやすい隣県の住宅地だ。内見の時に一度きたきりで、ゆかりもない土地だった。父に道案内するためにGoogleマップを眺めながら、全く知らない街での暮らしが始まることを噛み締めていた。
「あ、コンビニを過ぎて、そこの角ね、自動車学校があるとこ」
「おお、自動車学校か、これだけ近ければ通いやすいかもしれないな」
「確かに、余裕ができたら通おうかな」
父が意外そうな顔をしたのを覚えている。何度となく免許を取らないのか、とは聞かれてきたが「向いてない」「興味ない」「必要ない」「時間がない」と繰り返してきた人生だった。なんでかこのときはやってもいいかな、やったほうがいいかなと自然と思えたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?