はじめに

 日本のようにせわしくない年末を迎えるのも20回目となる。ここは常夏。それでもあの独特の「師走感」は、はっきりと脳内によみがえる。
 いつからだろうか。やはり広く人に関わり始めた社会人になってから我が家の常識は世間の非常識という認識に出会った。年末年始のことで例を挙げてみる。
 我が家では年越しそばは大みそかの夕食には食べるが、年を越す深夜に食べたことがない。
 そして我が家で初詣に行った記憶がない。毎年正月三が日、人が多いからと外出せず、家の窓から初詣に行く車が渋滞し始める国道を眺めるのが日課だった。朝8時頃から家族の誰かが国道を見ては、渋滞の状況を知らせる。毎年さほど変化はないのに渋滞の状況が家族での話題になっていた。一方おせちは母が作って食べていたしお年玉ももらっていた。だから初詣に行かないことはあまり大きな事柄ではないと思っていた。
 ところが社会人になってこれらの話をするとたいていの人は驚いた。我が家は少数派だったのだ。
 その洗礼を受けていたはずなのに、人間は感情をもって自分という人間を主観的に生きているため、少数派であることを時々忘れてしまう。多数派、少数派のどちらが良いか悪いかではなく、少数派というのは世間と分かり合えない部分があり孤独感を感じることもある。
 そんな私が「思い立ったら吉日」で日々の想いを計画や目的が明確ではないままに書き綴ることを決意した。人生の折り返し地点を過ぎている今、何事も考え過ぎず、まず挑んでみることにする。
 

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