存在感

 私の存在感は薄い。という事実に気づいたのは40を過ぎてからだった。気づくのが遅すぎたなと反省している。
 海外にいるせいもあって、同窓会というものにご縁がなくここまで来てしまった。そのため同窓会に行って「あなたは誰でしたっけ」という直接的な存在感の薄さに直面したことはないけれど、折に触れて思い出してみると本当に存在感が薄いんだなと思う。
 高校の同級生に会った友達の話の中で私のことを聞いていたという話は聞いたことがないしきっと話題にも出ていないであろうと思われる。姉の職場に同級生がいたらしいが私のことは全く覚えていないという話も聞いた。
 私は自分という命の中で一生懸命生きてきたので、自分の記憶というものがあるけれど、実際は多くの人に覚えられていたり印象付けられていたりする位置づけではないことをやっと客観的に感じられるようになった。
 存在感はあるほうがいいのかなくてもいいのかという議論は、友達が多いほうがいいのか少なくてもいいのかという議論と似ている。どちらにも言えることは存在感がなかったり、友達が少なかったりすることは注目されていないということでは、ある。直結はしないけど重んじられていないともいえる。でも存在感のある人と存在感のない人は背が高い人と低い人くらいの違いであると思おうとしている。
 今は少数精鋭のお友達に囲まれ、子供からは必要とされているので現在の環境では存在感が薄いと感じることは少ないが、それはまやかしで、本来の存在感の薄さは変わっていない気がする。
 ならもっと気楽に自由に自由にしていいんだと良い面を見ながら胸を張っている。

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