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コアラのマーチ~Satsuki~

「うん。これから福岡に直行するから。うん、もうすぐ新幹線乗るとこ。だから代わりに、中途採用の稟議は上げといてもらえないかな。よろしくね」 

後輩に指示して、サツキは会社から持たされた携帯電話を切った。外出中でも、派遣会社や大学、後輩からひっきりなしに電話がかかる。

 新幹線の時間にはまだ少しあった。駅の待合室に入り、コンビニで買った「コアラのマーチ」をかじる。子供のころ、母がよく買ってくれたものだ。
会社ではハーブティーだとか、デトックスウォーターだとかをチマチマ飲んでいるけれど、一人で居るときには、子供みたいに甘いお菓子を口にするのが止まらない。
 

***

待合室では、どこかの合同説明会帰りだろうか、リクルートスーツに身を包んだ学生たちがざわついている。希望に満ち溢れているのがなんだかうらやましかった。
 せまってきた自社の内定式のことを思い出して、またお菓子をひとつ口に入れた。また、忙しい季節がやってくる。

その前に、今日の謝罪を済ませなければならない。サツキはうつうつとした気分になった。後輩が先方の担当者を怒らせてしまったのだ。
こういう日にサツキが着るのは、グレースーツに5センチヒールの黒パンプスだと決めている。だけどやっぱりスーツは堅苦しくて、苦手だ。脱いでブラウス一枚になった。

本当に着たいのは、あのドラマみたいな、ふんわりしたチュールスカートや、高級ブランドのおしゃれで歩きにくい靴。
サツキが高校生のころからずっと憧れていたのは、NYが舞台のドラマだった。主人公は物書きの仕事をして、とびきりオシャレな服を着て、いつも自由に生きている。だから、「絶対NYに留学しよう」と決意していたし、「物書き」を夢見た。

それなのに、どうして就活なんかしたんだろう。
五年前のことを思い出す。大手就活サイトの解禁と同時に登録して、友達と合同説明会に出たときには、もうその夢のことを忘れていた。
やっとつかんだ内定書を前にして、はたと困った。「これが理想だったの?」

内定が出たのは、地元の雑誌を出している会社で、やりたいことに近いのも事実だった。「書き物がしたいんじゃろ?ちょうどいいじゃない。地元で、正社員なんて、安定もしていて、これ以上ないわね」
母の意見に押し切られる形で、結局そのまま就職した。少しでも書くことに携われるのなら…自分にそう言い聞かせていた。
 

フタを開けてみれば、配属されたのは人事課だった。やっぱり内定のときに引き返せばよかったんだとひどく後悔した。  

それでも、「嫌われたくないし、使えないと思われたくない」。そんな真面目で、人の言動を気にする性格があっていたのだろうか。
夢中でやっている内に、気づけば人事課でキャリアをつんでいた。

「来年からは、私の後任をよろしくね」
冬に産休に入る上司から、つい最近言われた。上司は疑いのない笑みで、人事課のこれからをよろしく、と話す。
「本当は、編集部に行きたいんです」
そんな言葉をのみこんで、「仕事のことは気にせずに休んでくださいね」とサツキは笑った。こうやって、どんどん引き返せなくなるんだろうなと感じながら。

***

学生たちが待合室を出て行くのを見送ると、とても目立つ女の人がいるのが目に入った。

「うそ」
思わず口に出してしまう。学生のときから追っている有名なブロガー、エリカだった。留学先のNY生活が綴られているのを、当時むさぼるように読んだ。彼女は帰国してからも、その経験を生かして自由に働いているようで、今度本も出版するらしい。

ブログ越しに見るその姿は、まぶしかった。それと同時に、ブログを読むたび、心のチクチクが増していた。サツキが諦めた場所に、エリカはいて、ひねた気持ちになるのを止められなかった。

「エリカさんが、なんでこんなところに!?」
目の前のエリカは、堂々と、自分らしいファッションをしていて、こんな田舎の駅の待合室には似合わないオーラがある。
話しかけてみたいけど、なんだかハナからバカにされそうな気がして怖かった。自分の恰好を見下ろしてみても、エリカと対照的な、無難中の無難という風だ。

自分は、「そんなに人に合わせて生きて何が楽しいの?」って、エリカがブログに書いていた通りの人間だ。でもエリカに面と向かってそれを言われたら、きっと立ち直れない。サツキは頭の中で、思わず反発した。
(私だって、今あるものを捨てたら、それくらいなれる)
世間体、安定、親の期待、先輩への恩……。自分をひきとめる物があるから。自分が悪いわけじゃない。やろうと思えば、ドラマのような憧れの人生を、送れるはずなんだから。

「何勝手にがんじがらめになっとんじゃ」
野太い声がして、はっと気が付くと、目の端に紺色のズボンと黒光する靴が見えた。
めんどうくさいおじさんだと、顔を上げると、それは思ったよりも小さく、小太りで、そして何より、顔が、あの動物の、毛むくじゃらのコアラだった。

「コアラ号発車しまーす。お乗りの方はお急ぎくださーい」
コアラはだるそうに待合室に呼びかけた。紺色の制服は、高級汽車の車掌のようで、金ぴかのネームプレートをつけている。
「ほら、あんた、また乗り遅れる気かい」
コアラにじろりと睨まれ、思わずサツキは立ち上がった。

***

気づけば、サツキは電車に乗り込んでいた。コアラにボックス席に通されると、目の前には、あのエリカが座っていた。サツキは、思わず身を固くする。

「あ、あの。失礼かもしれないですが、ブロガーのエリカさんじゃないでしょうか」
そう声をかけると、やはり彼女は、あのエリカだった。思いがけず、柔らかい表情でこちらを見返してくれたように感じて、ほっとした。

(コアラなんて出てきたし、夢かもしれない)
冷静に考えるとそう思う。
だけど、夢ならなおさら、この機会にたくさん話したいと、心が躍った。その瞬間、電話がなった。

「あ、ちょっと失礼」
こんな時でも、電話を取ってしまう自分がおかしかった。しかもそれは、先方からの謝罪キャンセルの連絡で、ガンガンに怒鳴られて、一方的に切れた。

こんなところを、エリカに見られて恥ずかしい、サツキはそう思いながら席に戻った。自由に生きるエリカにとっては、今の自分はひどくこっけいに映るだろう。

もうこれでは電車に乗っている意味はない、とサツキは感じた。
「どうぞ。お菓子、一緒にいただきませんか」
所在なくなって、お菓子を取り出す。エリカにも箱を差し出した。

自由なエリカと、不自由なサツキ
車窓には、田園風景が流れていく。とてものどかな風景だけれど、その持つ意味も、エリカとサツキでは違って見えていた。

***

「やれやれ、席交代の時間じゃ」
突然、コアラが割り込んできた。

「はい、切符を拝見しますよ」
「え?切符なんて、持っていませんが…」
「何言っている、ちゃんと見せて」
コアラが腕をつかんで来て、その瞬間、ぐいっと何かが反転した。

外の景色が、すごいスピードで去っていく。チリチリと髪が音を立てた気がした。
 気づけば、サツキは自分の姿を見つめていた。自分の身体を抜け出して、エリカの身体の中に入ってしまったみたいだった。エリカも、サツキの身体に入ったようで、きょとんとサツキの目でこちらを見返している。
 
エリカの記憶のようなものがどっと流れ込んで来る。
エリカは、パソコンの前で焦っていた。
「またPVが上がらない…。こんなのじゃダメだ。今度は違う記事をあげてみよう」
目の前のパソコンに映っているのは、エリカのブログだ。

エリカは、引き出しを開き、真ん中でやぶれた古い内定書を取り出した。
「あのときここに入社していれば、せめて安定は手に入ったのかな」
その内定書を見て、エリカの中で、サツキははっとした。そこには見慣れた社名…「ユーカリ出版」と書かれていたから。

(エリカ、うちの会社受けていたの?もしかしたら同期だったかもしれないの?)
「それでも私は、あのときの選択を間違ったものにはしない。自分の人生を生きる」
エリカがそうつぶやくのを、サツキは内側でそっと聞いていた。

***

気が付くと、また電車に戻っていた。目の前にはエリカがいて、あぜんとしたような顔をしている。サツキは今、エリカに入り込んで、そして自分に帰って来たのだと知った。

(覗いちゃってごめんなさい)
そんな気分になったけれど、言わずにとどめた。サツキはじっと下を向いた。会社に守られている立場のくせに、文句ばかりだった自分が恥ずかしい。自由に憧れるばかりで、そのリスクや重みを考えたこともなかった。エリカは自分ですべての責任を負い、それでも必死に理想の姿を追い求めていた。

「あの。会社員も、色々大変なんですね」
そうエリカが話しかけてきて、慌てた。
「い、いえ。エリカさんのような有名なブロガーでも、悩みはあるんですね」
ちょっと気まずくサツキも答えた。輝いて見えていたエリカも、日常の中では焦ったり悩んでしていた。サツキの会社の内定を蹴ったことを、後悔しそうにまでなっていた。

結局どの道をとっても、「これでよかったのか」と、選んだ方とは反対の景色を、つい眺めたくなってしまうのは、一緒なのだ。

電車でも、座る席によって見える景色は違う。

***

満足そうな顔でコアラがまた会話に入って来た。
「いつまでもドラマの真似っこしてるだけじゃあ、自分を生きられないって分かったか?」
「えっ。私が好きなドラマのことをどうして知っているんですか」

言い当てられてなんだか恥ずかしかった。特にエリカには知られたくなかった、ミーハーだって思われたら…。

焦って顔を見ると、なぜかエリカの顔も赤くなっていた。
「え。エリカさんももしかして、あのドラマに憧れて?それでNY留学?」
「そうですよ。悪い?」
エリカはつんと言う。なんだかその顔がかわいらしかった。

「そんなこと!むしろ、留学したりブログしたり、行動に移しててすごい。私は憧れるだけで終わっちゃったから」
「そっちだって、『ユーカリ出版』に五年も勤めてるじゃない。私もこっち来た時はよく読んでいる雑誌だし。そんな会社で責任ある仕事していてすごいよ」

「まあ、書き物の仕事は出来てないけどね」
「人事課だっけ?私も、好きなことばかり仕事に出来ているわけじゃないよ」

さっき見たエリカの中の焦った気持ちを思い出して、サツキは苦笑いをした。
「お互い様ってことですね」

エリカが笑った。
「それでも私、私の人生は結構、自分に向いていると思う」
「うん、私も。もう一度選べても、きっとこの道を選ぶよね」
もう今は、エリカもサツキも、それぞれ、これまでの選択と今の自分に誇りを持っていた。

「私をここに運んできたのは、親の期待や、先輩への恩なんかだけじゃない。自分が自分のために、選んできたひとつひとつの道。それが今を作ってる。好きで全部、選んでたことだったんだ」
 
出来ることが増えて、誰かに認められて頼られている、そんな自分も悪くないのかもしれない。

***

「わしも、二人の人生、どっちもなかなか良いと思っとった。結局似た物同士じゃろうが、あんたら」

コアラはどこから持ち出したのか、コアラのマーチをむしゃむしゃ食べながら言った。

「菓子メーカーのコアラも、オーストラリアのコアラも、車掌のコアラも、全部似ちゃあおるが、どれもそれぞれの可愛さってのがあるじゃろ?それと一緒や」

車掌のコアラは、可愛いというよりおっさんだと思ったが、それは黙っておいた。

「ま、わしとしては、オーストラリア大自然の中で生きるなんちゅうのは、ごめんじゃけど。こうしてウジウジしよる人間と関わるのが、いちばん向いとるわ」
コアラはにやりと口元をゆがめて笑った。

「さ、分かったやつから、さっさと降りろや。いつまでも乗られとると困るわ」
相変わらず、嫌味なコアラだった。

「それじゃあ」
サツキは立ち上がった。
「ブログ、これからも見ますね」
次にエリカのブログを読むのは、憧れからでも妬みからでもなんでもない。
自分と同じように悩んで、それでも毎日を頑張る、別の景色を選び取った人を見届けるために、読むのだ。

サツキはガタンと開いた扉から、駅に降り立った。

***

気が付くと、待合室に座っていた。
コアラの姿も、エリカの姿もない。手にしていたお菓子は、置いてきてしまったみたいだ。
エリカに食べてもらえるなら、それでいいか、と穏やかに思った。

電話を見ると、先方からの履歴が残っている。どうやら、電車で受けたキャンセルは本当らしい。ということは、エリカやコアラも本物だったのだ、とサツキは思うことにした。

明日から、またいつもの日常だ。今日の件は始末書提出になるかもしれない。だけど、もう、他の誰かの人生を生きたいなんて思わないだろう。
「私もがんばるね、エリカとコアラ」
そうつぶやいて、待合室を出た。帰りにまた、コアラのマーチを買おう。

(コアラのマーチ サツキ編/おわり) 

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あのnoterさんによる[エリカ編]はこちらです♪合わせて読んでみてください!



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