中野の4階でしか中古同人誌が買えなかった時代の話

30年以上も昔の話になる。

筆者は週末の土曜と日曜の早朝に自宅を出て中野のブロードウエイビル4階にあった「まんだらけ」マニア館?シャッター前にカバンとか新聞紙とか旅行会社のパンフレットを置きに行くのが習慣だった。

なんのためかと言うと開店前に並ぶ順番取りのためだ

今でも都内のカードショップや秋葉原のパーツショップで似た光景が見られるが、人が居なくて荷物だけ置いても誰かに動かされるだろうし、そもそも旅行パンフとか新聞を置いといても誰かに捨てられてお終いになりかねない。

でも当時の中野の、少なくともブロードウェイビル4階では、中身の入っていないカバンや新聞が開店直前での自分の位置を確保してくれた。呑気な時代だったとも言える。

さて、そこまでして早く入店する必要があったのは何故か。

当時の東京で、中古男性向け同人誌を定期的に販売している店が他になかったからだ。

「けんちゃん家のマンガ塾(現在のK-BOOKS)」が巣鴨に開店(1992年)する前だからね。

厳密に言えば、神保町の漫画古書専門店が少量を扱っていたように記憶しているが、店頭在庫が無い時が多かったと思う。それに比べて、中野の「まんだらけ」では週末になると、ほぼ必ず新入荷の中古同人誌が販売されていたから自分を含めた熱心なマニアが必死になるのも必然だった。

とは言っても中古店だから週末毎に販売される数はたかがしれている。木製の箱(これは良く憶えている)に入れられた、僅か10数冊から50冊程の同人誌に、開店を待っていた10人以上のマニアが群がるから熱いなんて言葉では言い表せない。文字通りに奪い合いになったこともある。

「スタジオかつ丼(漫画家・真鍋譲治さんの同人サークル)」の本とか入っていた時には、複数人が同時に掴んで鬼気迫る表情で睨みあいになったのも忘れられない。今でも人気のあるサークルだけど当時の人気はとんでもなかったからだ。

商業連載を持つ人気漫画家が自キャラのエロ同人誌を作るなんて、漫画界の歴史が変わるほどのインパクトがあったと思う。幕張メッセをパニックに陥れた「裏アウトランダーズ」の件も断片的ながら思い出す。自分も並んだからね。吾妻ひでお先生の「ミャア官」が先になるが、あれは別格の出来事と考えている。

話が逸れたが、少量の販売物に大勢が群がれば買い方そのものが酷くなる。持てるだけの同人誌を一気に抱え込んで不要な本だけを周囲で注視している他の客に手渡すなんてこともごく普通だった。

だから本気で買いたかったら先頭から3人くらいまでがデッドラインだったのだ。「早くその本を手放せ」とか「それを買うなら帰り道に気をつけろ」なんて無言の圧力が店内を飛び交った。多少おおげさな書き方になったが、当時は自分も周囲の客も圧倒的に若かったからテンションが高かったこともある。

しかしそんな状態は長くはなかった。「まんだらけ」の拡大とともに中古同人誌の扱い量も増加し4階の箱(週末のみの販売で10冊~50冊程度)から3階の本店での常時取り扱い(100~150冊程度?)となり、4階中古玩具店(現在の「変や」がある場所)で常時200冊以上の在庫量と増えていった。

当時は東京ですらこの有様だったから、地方ではファンはどうしていたのか不思議だった。今でもよく解らない。

ここまで書いてきて昔のことではあるが非道い話だと我ながら思う。

ただ個人的には悪い話ばかりではなかった。当時4階に並んだ常連の中に、現在でも良好な交友関係の人が何人もいる。自分は半端者だが彼らは「よく訓練されたヲタ」を体現する超人として現在も同人イベントに様々な立場から参加している。こればかりは「まんだらけ」に感謝しているところだ。

それにしても、当時ですら同人誌は膨大な量が発行されていたのに、中古としての市場がほぼ存在しなかったので廃棄された本がどれほどあったかと思うと残念な気持ちになる。

タイムマシンがあったら当時に戻って、買い取り広告を雑誌に載せたい。手放してしまったのに読みたい本がたくさんあるから。

余談になるが、新宿にあった「フリースペース」のことも頑張って思い出そうとしているのに、なかなか思い出せない。よく出かけたのになぁ…。

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