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(昔の記事)映画「ビースト・オブ・ノー・ネーション」感想、評価。国際協力の視点から
ゴールデンウィーク明けですが、相変わらず自粛生活が続いているので、時間がたっぷりあります。そこで今日、映画「ビースト・オブ・ノー・ネーション」を鑑賞しました。
私は、いつも映画と言えば、エンターテイメント性が強いものを多く見るのですが、今回見た映画はアフリカの少年兵や紛争を題材にしたもので、ショックなシーンも数多くありました。
そんな映画「ビースト・オブ・ノー・ネーション」の感想を、国際協力的視点から書いていきたいと思います。
①死は身近なものであるということ
この映画を見て一番強く感じたことは、戦争や死は今まで自分が思っていたよりも身近に存在するということです。
まず、冒頭部分。主人公アグーはお金が十分にない生活を送ってはいましたが、友達や家族と笑顔で暮らしていました。しかし、ある日突然、避難しなければいけないことになり、主人公も避難するはずだったのに、避難所へ向かう車に定員オーバーで乗れなくなってしまいます。そこから、アグーは家族を失い、少年兵として生活していくわけです。
もしアグーがあの時、車に少しでも早くたどり着き車に乗れていたら。もう少しでけお金があったら。この映画に登場してくる人たちは皆、死や過酷すぎる生活と日々隣り合わせなのです。私は見ていて純粋に恐怖を感じました。
そして私は、日本でこのような状況はあり得ないと感じるよりかは、これが本来の世界の状況であり、自分も実はこのような状況に普段思っているよりは近いのではないのかと感じました。私たち日本人は、このような死と隣り合わせな生活とは程遠いという考え方をしている人が多いと思います。私もそうです。なぜなら、私は今まで戦争や貧困を体験したことがないからです。しかし、今回のコロナの件からも、自分達がこれまで想像もしていなかった世界が実はすぐそばにあるということが分かりました。
私の中でこのような現在の状況も反映され、人間と死はすごく近いものであると感じました。
②ラストにアグーが放つ言葉
物語終盤で、アグーが教室で先生に言う言葉が個人的には刺さりました。
赤ちゃんと同じでうまく話せないから僕が黙っているとエイミーは思っている。でも僕は赤ちゃんではなく、老人だ。彼女こそ子供だ。僕は実際に戦ったが彼女は戦争が何かも分かってない。
日本で育ち国際協力を志す自分にもこの言葉は響きました。
支援する側も知る努力はしていると思いますが、やはり実際に経験した人の気持ちにはなれません。アグーから出てきた言葉だからこそ、胸に突き刺さりました。
③慣れることの恐さ、教育の大切さ
この映画を見て、人間の慣れの恐さそして教育の大切さを改めて確認しました。
アグーは戦いを重ねるごとに、人間の死に対して何も感じなくなっていきます。それは指揮官達からの教育が強かったと思います。最初は人を殺めることに抵抗を持っていたけれど、それすら当たり前になってしまうという恐怖を感じました。また、教育がどれほど子供達に大きな影響を与えるのかも分かりました。スポーツを通じた教育を志す者、スポーツ指導をする者としての責任感を自覚しました。
そして、見ている人もきっと見ている最中よりかは見終わった後思い入れも少なくなります。たいていの人は日常を送る中で普段の生活が当たり前になり、またこの映画のような状況が世界にはあるということを忘れていきます。この慣れこそが恐ろしいと思いました。
④「スポーツ」や「遊び」が持つ力
この作品を通して、スポーツや遊びが持つ力、可能性について再確認できました。
作中で、兵隊達が過酷な状況の中でも、サッカーを楽しんでいるシーンがあります(最後、乱闘のようになってましたが)。その時は、見ている人も一緒になって笑顔になっていたり、熱狂していたりしました。
また、兵隊の子供達が目隠しをして相手にタッチするという遊びをしているシーンもありました。遊びながら子供が笑顔になっているのを見て、今まで残虐なことをしてきたけれどこの子達もやはり子供なんだなと思わされました。それと同時に生きるか死ぬかの状況でも遊びは必須なのかもしれないと思いました。
たかがスポーツと思われがちだけれど、やはりスポーツや遊びには大きな力があるのではと思わされました。
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