#17 しげぞうじいさんと対面
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どうも最近ほんとに運だけはあるなと感じるこうしんです。
今日は中学三年生の頃にハマっていたあの ”しげぞうじいさん” と会った上に、お話できて、サインまでもらった貴重な貴重なお話を!
まずはしげぞうについて。
名前:辻本茂雄
性別:男性
生年月日:1964年10月08日
身長/体重:173cm /76kg
血液型:A型
出身地:大阪府 阪南市
趣味:グルメ数珠つなぎ
出身/入社/入門:1986年 NSC大阪校 5期生
らしい。
HPからコピペした。笑
当時小学生だった僕は、土曜日のお昼12時から放送されたいた『吉本新喜劇』にハマってた。
見たことある人いるんじゃないかな。
こういう舞台には、座長と呼ばれるその日の主役のような人がいる。
座長になれる芸人さんは数人いたけど、僕は辻本さんが大好きだった。
とくに、しげぞうじいさん という役が大好きだった。
このしげぞうじいさん、だいぶぶっ飛んでいるじいさんで、お客さんをぶったり蹴ったり、言ってはいけないことを言っちゃったり。
じいさんなのに元気に暴れているのがすきだったんだ。
そして、この話が通じる人が周りに3人だけ。
いやもっといただろうけど、細かくセリフを覚えているのはこの3人だけだった。
1人目は、まさちゃん。(春山)
当時彼はお笑い芸人になるといってて、自分ギャグも持っていた。
今どこで何やってるのか全然知らないけど、お笑い芸人はしてないと思う。笑
やりたいことは変わっていくものだ。
2人目は、じゅん。
彼は、野球部で運動ができ、顔もいい為モテモテだった。
うざい。ただの嫉妬。
彼と仲良くなったのはたぶん小学校の時同じ1年1組だったことと、
小6の頃、当時応援団長をしていたじゅんを支える応援団に僕が所属していたから。
彼もお笑いが好きだった。
3人目は、山内くん。
彼はとてもシャイだが、誰にでも丁寧に接することができる人だった。
仲良くなるとボケてくれたりもして楽しかった。
今回のお話はしげぞうじいさんにこの4人で会いに行くお話だ。
きっかけになったのは、中一の文化祭だった。
中一の頃、みんなもあったかな。
宿泊体験学習。
一泊2日である、ちっちゃい旅行みたいもの。
うちの中学は、2つの小学校から集まっていた。
大体の中学が複数の小学校からくるだろう。
その新しい人たちと友達になろうっていうのが目的だと思う。
そこでは、各クラスの出し物をすることになっていた。
そのため、1か月ほど前から各クラス準備に取り掛かった。
4人のうち、僕だけ違うクラスだった。
うちのクラスは、なぜか桃太郎をやった。
ごめんけど、死ぬほどつまらんかった。笑笑
自分は何を担当したかも覚えていない。笑笑
それには理由があった。
他のクラスの出し物を手伝っていたから。
まじでごめんなさい。
当時同じクラスだった人がもしこれを発見したら怒るだろう笑
自分のクラスそっちのけで他のクラスのを手伝っていたため、自分のクラスの記憶があまりない笑
手伝っていたクラスはもちろん他3人のクラスで、
そのクラスは、『春山新喜劇』をしていた。
まさちゃんが主役だった。
だから、春山新喜劇。
じゅんと山内くんももちろん出演する。
僕は自ら手伝いに行った訳ではない。
じゅんが俺を呼んだから。と人のせいにしておく。
でも、ほんとだった。
ある日の放課後、じゅんから呼ばれクラスに行くと、途中まで書かれている台本を見せられた。
僕とよく吉本新喜劇の話をするじゅんは俺に
「これを一緒に完成させてほしい」と言ってきた。
僕が手伝っていたことは、ほとんどの人が知らなかったと思う。
タイトルは確か、『しげぞうじいさん1日警察署長で大暴れ」
もちろん本家の丸パクリだった。
でも、クオリティは高かった。
当時手伝ったと言っても、1割ぐらいしか手伝っていないが、
出し物の本番、自分のクラスよりも期待が高くこっちの方が面白かった。
会場は、大盛り上がり。称賛されるまさちゃんやじゅんが羨ましかった。
反響が良く、数か月後にある文化祭で学年の出し物にまさちゃんたちのクラスが出ることになった。
もちろん本番も大爆笑。
2年、3年の先輩たちより面白かったと、大反響を呼び、翌年もやることになった。
2年になり、まさちゃんたちのクラスはもちろんバラバラになったため、春山新喜劇は、学年全体でやることになった。
じゅんたちから正式に脚本のオファーが来たのでもちろん入った。
出演する人たちも自分たちからオファーしていった。
断られることもあったけど、強制的に出演させたりもしていた。笑
2年の秋、舞台のテーマは
『しげぞうじいさん一日先生で大暴れ』
原作の作品をいくつか貼り合わせて自分たちの尺を作って脚本を書いた。
本番はもちろん大爆笑をとったけど、問題点も沢山あった。
・声がしっかり聞こえない。
・新しい人が登場した時が地味
・小道具、大道具がない。
・衣装が分かりにくい。
改善点はいくらでもあった。
が、できることが限られる。
しげぞうではお決まりのでっかい包丁や滑り台に変わる階段は、とても出来ない。
と、思っていたが、作らせることにした。
俺たちは学年でやっている。
先生にお願いして、みんなに作ってもらおうと思った。
先生に言うと、即OK。
3年の最後の秋は、本気を出すことにした。
じゅんが言い出した。
「やっぱり脚本はこうしんがやってくれ。」
何故かを聞くと、
「受験と野球で忙しい。」
ふざけるな笑
俺だって忙しい。とか言いながら、
部活(吹奏楽)は引退していたし、夏休みはのんきにアメリカにホームステイが決まっていた。
(部活やホームステイもいつか書こうかな)
断れず引き受けることに。
・声がしっかり聞こえない
は、大きく喋ってもらうしか無かった。
・新しい人が登場した時が地味
は、本家同様、登場曲を使うことにした。
・小道具、大道具がない。
は、作ってもらう。または調達する。
百均でいくらでも揃う。
・衣装が分かりにくい。
は、衣装指導で何とかやろう。となり、じゅんと2人で衣装まで決めていった。
そして最後の年のテーマは、
『しげぞうじいさん一日署長で大暴れ』(改良版)
だった。
じゅんが、結局この作品が再現しやすく、お話も重くなく、いちばんちょうどいいからこれがいい。
と言い出した。
俺もそう思ったし、2年前のとかみんな覚えてないと思った上、2年前は尺を無理やり削っていたため、フル尺でやりたいなとも思っていた。
最後の年は、40分ほどもらっていて時間も十分にあったため、夏休み僕はアメリカで脚本を丸写しした。
アメリカに来てまですることではなかった。
登場曲も、フリー音源を入手し、CDに焼いた。
しげぞうじいさんが持つ杖は担当教員の両親のものを、ピストルは百均の音の鳴るものを、
ただ爆弾の音源だけ手に入れることが出来なかった。
困ったが、授業中思いついてしまった。
先生が問題をとかせるのに使っていたタイマーだ。
こいつが、
「ピ、ピ、ピ、ピ、ピピピピピピ、ピーーーーー」
とだんだん早くなるタイプのものだった。
音響担当に、これを渡し
「タイマーを1秒に設定して、爆弾のシーンが来たらこいつにマイクを当ててくれ」と頼んだ。
そこだけアナログすぎるが、じゅんは最高だ!と納得してくれた。
滑り台になる階段は、体育館のステージに登っていく稼働式の階段を改造することになった。
こういうやつ。
こいつの右側にだけ長机を固定した。
要は、半分階段。半分滑り台。
こいつのサイドに階段の絵を取り付け横から滑り台を見えないように。
しげぞうが床を叩くと、登っていた人間は自ら長机の滑り台に乗り、滑っていく仕組みだ。
これも原始的だが、何も教えずに見た者は、どうなっているか分からないそうだ。
しかもこいつがよく滑る笑笑
実際に本番で滑らないといけない人は「こえぇ!」と言っていた。
だが、凄くいいものができた。
でかい包丁は、じゅんが家からめっちゃ硬い紙製の2mくらいある筒を持ってきた。
お父さんの釣竿が入っていたとか言ってた。
こいつにダンボールで包丁の刃の部分を取り付け完成。
2mもする包丁は人力でステージ横から下ろすことになった。
そして、大事な演技の部分。
放課後に該当する人には集まってもらい練習をした。
演技担当は山内くんの仕事だった。
山内くんはめっちゃ演技が上手い。
誰よりも役に入りこんでいて、周りはそれを笑っていたけど、本当にすごかった。
そうして、準備は整い、本番へ。
3年最後の文化祭で僕たちは、今までで1番のステージを作り、大反響を呼んだ。
気持ちよかった。
みんなで喜んだし、余韻にずっと浸っていて合唱コンなんて半分どうでもよかった。
先生達からもすごい褒められた。
1ヶ月は周りからずっと言われていた。
このやりがいを1年生の時からずっと感じたかった。
あの時、「いいなあ。」と思っていた自分は今、そこに立っていた。
忘れられない思い出になった。
12月に入り、余韻が抜けてきた頃。
春山新喜劇の担当教員から呼ばれた俺たち4人。
とんでもないことを告げられた。
実は、春山新喜劇の映像をこのおばさん(口には気をつけろ)は勝手に吉本の本社に送っていた。手紙付きで。
すると返事がきていた。その内容は、
「是非、取材をさせてください。」
という内容だった。
しかも、この話が大分の放送局がキャッチし、なんと旬感3ちゃんねるで取り上げられることになった。
テレビ出ました。笑
吉本から来た男女二人の社員さんと俺たち4人と担当教員、そして、校長先生。
そこで沢山の取材を受けた。
取材の最後に思ってもみないプレゼントを貰った。
「実は来月、たまたま大分にもしげぞうじいさんが来るんです。是非実際のしげぞうじいさんを生で見て、楽屋に突撃してみませんか?」
というものだった。
話が大きくなりすぎて僕らは意味が分からなかった。
たぶん心臓は一回転した。
たまたま1月にホルトホールでの公演が決まっていたそうだ。
旬感3ちゃんねるは、俺たちに密着取材。
ある日の大分のゴールデンタイムの夕方を30分独占してしまった。
バンドでもまだできてないぞそんなこと。笑
そして、1月某日実際にテレビクルーを連れて偉そうに入って行く俺たち。
周りのお客さんも
「あの子たちはカメラを引き連れていていったい何者なんだ?」
という顔をしていた。
席はまさかの1番前の特等席を用意してくれていた。
本番は、
感動した。
プロはやっぱり違う。
会話の間のとり方や動き方などが俺たちとは全然違った。
当たり前だけど。
公演も終わり楽屋に突撃。
俺たちはしげぞうじいさんのネタである。
「これ、つまらないものですが…」
し「つまらないものにはメーン!(叩きつける)」
をしたくて、つまらないものを用意した。
普通に受け取られたら困るので、見てすぐにネタと分かるよう、箱には汚くガムテープを乱雑に巻き付けた。
ネタも準備して、唾を飲み込んで、ドキドキしながらいよいよ楽屋の目の前へ。
ワクワクは止まらない。
まさちゃんがノックをする。
「どーぞー!」
と聞こえるいつものあの声。
もうすでに嬉しくてたまらなかった。
俺たちは入ったが、そこにしげぞうじいさんはいなかった。
と思ったら、着衣室から
「わ〜!!!!!」
と飛び出るしげぞうじいさん。
俺たちはびっくりしたけど、ボケてくれたのが嬉しかった。
もっと欲しくなった欲張りな俺たち。
まさちゃんは言った。
「つまらないものですが…」
それを見るなりしげぞうじいさん
「つまらないものにはメーン!!!」
と叩きつけてくれた!!
もうめっちゃ嬉しかったね。
目の前でこれみたかった。
他の3人も大興奮だったよ。
俺たちは手を叩いて喜んでた。
それからは落ち着いて座って色んな話を聞いたよ。
普段の稽古とか、練習の様子、お笑いで大切にしていること。たくさん話を聞いた。
それも全部録画してたからたまーに見返すんよね。
やっぱりすごい人だった。
お笑いに対してどこまでも真っ直ぐ向き合える人だった。
稽古にはストイックに、お客さんには最高に楽しんでもらえるよう工夫がたくさんされていた。
普段は聞けない裏話をたくさん聞いた。
最後は、写真を撮り、サインをもらって、楽屋をあとにした。
ドキドキは止まらなかった。
僕たちはそのままセットに案内してもらった。
さっきまで使われていた本物のセット。
みんなで壊さないように無駄に触ったり、座ったり笑
吉本新喜劇をここまで楽しんだものは後にも先にも僕たちだけだろう。
お話は以上ここまで。
放送は、私立の入試の三日前とかだったため、俺は受験用に前髪を切りまくっていて、鬼ブス。
番組の半分以上は前髪が面白すぎて内容が入ってこない。
それでもしげぞうじいさんの話がそんなことをどうでもよくさせてくれた。
一生忘れない経験になった。
しげぞうじいさんいつまでも暴れていてください。
まさちゃんも、じゅんも、山内くんも、本社に送ってくれた担当教員も
みんなみんなありがとう。