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#30 『あと3回、君に会える』

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映画の感想でも書いてみようかなと

この映画は昔一度だけ観た事があった。
恋愛ものっちゃ恋愛ものだけど、
俺が思うに、この映画には恋愛要素もあるけど、
人は "なに" をするのかじゃなくて、
"だれと" 何をするのかっていう
恋人でも友達でも家族でも、
大切な人と過ごす時間は儚いものなんだっていう
当たり前の日々に感謝ができる
っていう要素の方が大きく感じた。

主演のヒロインは山本美月(役:楓)
(ロングの時よりショートの方がタイプです)
助演は眞栄田郷敦(役:征史郎)
(ただの高身長イケメン)
ちなみに俺は
(ただの洸伸超イケメン)
ですけど。

もしこれを見て観てくれる人がいるなら今すぐ出てこの映画を観て帰ってきてください。
ネタバレを含みます。
そして、映画を見る時間はないが、どんなお話か気になる方は続けて見てってください。

この映画のルールがあるので少し説明。

主演の楓は29歳でカメラマン。
東京に出てきて、一人暮らしで仕事をしながら合間に婚活をするズボラ系女子。(かわいい)

一方、征史郎は有名キッチンカーに臨時で入ったアルバイト22歳無職。
このキッチンカーのオーナー(工藤阿須加)は無口で機嫌は悪そうだが味は本物、レシピ本も爆売れの有名シェフ。2人で営んでいたキッチンカーのもう1人が怪我の為、征史郎を雇う。

このキッチンカーに密着取材として入ったカメラマンが、楓である。(かわいい)


しかし、征史郎には秘密があって、人と会うとその相手の背中に③の数字が浮き上がる。
その数字は、人生のうちにその人とあと何回会えるかを表す。

4回以上であれば数字はまだ出ない。
そして、数字は会う度減っていき、背中に①が浮き上がっている人とその日別れると、もう二度と会えない。
会っている状態で朝を迎えると数字はひとつ減る。
この映画での「会う」の定義は、お互いがお互いを認識する。つまり、片方が見かけるだけでは「会う」にはならない。

二度と会えない理由は様々。
遠く離れた場所に行ってしまったり、亡くなってしまったり、。

しかもこの現象、征史郎に触れた者は移ってしまう。
案の定、楓とぶつかり触れてしまい移ります。(いいなぁ)

婚活中の楓がある日デートしていた男性の背中に③が浮き上がっていることに気づきます。
そこで征史郎が現れ、理由を説明。

これを機に2人は仲良くなっていきます。(いいなぁ)


日は変わり、東京に仕事で来ていたお父さんと会って呑むことになった楓。(かわいい)

お父さんの背中に見えてしまった③の数字。
病気にでもなってしまったのか?
あまり仲良くなかったのでありもしない仕事があるからと言って、軽く食事を済ませ帰ろうとしていたが、楓はあと3回しか会えないことを考えると別れるのを躊躇してしまいます。

そして、べろべろになるまで呑み、お父さんの身体を気遣います。


こうして、この能力を得たことにより人との関係を深く見直していく楓。(かわいい)



そして、地元のおばあちゃんが救急車で運ばれたことを告げられる。
おばあちゃんは地元でからあげ弁当屋さんをしており、楓に店を継いで欲しい。と頼んでいたが、楓には自分のやりたいことがあったため、断っていた。そして、毎日来る電話も無視していたが、大切な人と会えることが当たり前ではないことを知った楓は征史郎と共に地元へ急いで帰ります。

病院に着くと、そこには階段から滑り骨折してしまっているおばあちゃんがいました。

重い病気を患っていた訳ではありませんでした。

安心して泣く楓。

慌てて背中も確認したが、数字はありませんでした。


病室を出て、ホールには征史郎と二人。

征史郎も本音を告げる。

「自分も信じたかった。
また会える。いつか会える。って。」


ここで、楓はその言葉ぶりにひとつの質問をする。

「あと3回が見えるから?」

に対し、


「3回じゃない。全部の数字が見えた。」


生まれた時から、その人とあと何回会えるのか、
4回以上の数字も全て見えていた事を明かした。
それを聞いたヒロインは恐る恐るもう一つの質問をする。


『じゃあ知っているのか。例えば私とあと何回会えるか。』


自分も気になった質問を楓はした。

征史郎は、

「知ってたよ。最初から。」

と言った。


征史郎の目線が、楓の背中に移った。
そこには④の数字が消え、③に変わる。
朝になったから。

ここでタイトルの伏線回収だった。

「あと3回、あなたと会える。」

と征史郎は言った。
その直後楓の視線も征史郎の背中に移るとゆっくりと③が現れた。


言ってしまえば、もう付き合う直前だった。
お互い気持ちはあったはず、でもあと3回しか会うことを許されない。


翌朝、地元のお祭りを手伝いをしていたが、もう数回しか会えないと分かると、やけになりお互い思ってないことを口にしたりしていく。
最後の最後に溝ができてしまったが、夜にはお互い理解をし合う。
そして、その日は最終日を迎える前日であったため、2人の「おやすみ」はとても名残惜しく、悲しく、深くて重いものだった。



朝起きて、1番におばあちゃんの所へ行く楓。

「おばあちゃん。今日は私、絶対に忘れないいい日にするんだ。」
といい、最終日を楽しい日にしようと決意した楓だったが、征史郎とオーナーの部屋に行くと、そこにオーナーしかいなかった。
朝起きたらこの手紙と封筒だけ残してもう居なかった。
と告げられる。

手紙には
「今日の手伝いはお2人でお願いします。
今までお世話になりました。」
と書かれていた。
そして、封筒の方には楓の宛名が書いていた。

楓は、せっかく自分は決意をしたのに、逃げられたと思い、怒りを覚え、封筒の中身も確認せずそのまま駅に走る。

駅に着いて電車を待つ征史郎は、楓と出会ってからのことをたくさん思い出していた。

そこに楓は追いついた。駅のホームに降りる前に下を除くと電車を待っているのが見えた。
が、こちらには気付いておらず、「会う」の定義に沿っていなかった。

駅のホームへの階段を急いで降りる。
征史郎の足元が見えるが、立ち止まってしまう楓。
そこで、封筒の中身を確認する。
そこにはもうひとつ手紙が、




「ラス1は、まだとっておきます。
あと一回、どこかであなたに会えると思ったら、たぶんこの先、生きてるのが、楽しいから

楓さんの未来が見たいから
だから、『また』」






たまたまそこに生まれて、たまたま出会って、たまたま友達になった人も広く見ると、この地球で、生まれて
何千万、何億万分の一の確率で出逢っている。
その奇跡を当たり前と呼んでいいはずはなかった。


僕のバンドには『グッバイ』という曲がある。
歌詞に「必ずまた会えるから」とあるじゃねえかとか言われそうだが、続きに「今日のことをどうか忘れないで」とある。
いつバンドが終わってしまうか、いつ来てくれる人が来なくなってしまうか、些細なことや理由一つで崩れていくほどに、人の関係はもろく繊細なものだと思う。
そんな関係だからこそ、今日という日を当たり前の日も忘れずにまた思い出せるなら、またここで会おうね。会いたいね。って心に誓いながら歌ってます。

どんなに離れることになっても、

どんなに忘れていようとも、

また会えるって信じることが大切なんだなって

そう思いました。

なんか今年に入ってからバンドやらなんやらかんやら色々とタイムリーだなぁと思ったので書きたくなりました。

人を信じるのって難しいけど、
今年は
信じられるように、
信じてもらえるように、
なりたいと思います。

まずは人にやさしく。

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