見出し画像

幽霊がこわいのは、自分が幽霊になって呪わなければならない人がいるから

仔猫社のことではないがちょっとヘヴィというか、僕の立ち位置について少しだけ記してみようと思う。何故僕が書くのか?何故書くことを選んだのかについてである。それを問われれば恐らく、生と死への妄執がある。
何もかもを忘れて書き続けた作品(未公開)に「祖父(実名)伝」がある。この時、残さなくてはと強く思った。人の死が人の生に与える影響を僕は強く感じていたし、それをかなり直接的に表出し続けた。時期としては二十三.四歳でいい年をしているがメンタル的に酷くしんどい時期でもあった。それ以前から文章を書くことは好きだった。十八歳ぐらいの時に日記と詩を、十九歳ぐらいの時に短編小説を書いていた(何れも非公開だが、詩のみはほぼ形を変えずに私家版第二詩集に何作か収録している)。元々詩はHPに載せる為の詩&日記みたいなものでとにかく闇の主張が凄かった。
黒歴史としか言いようのないそれは病み病みの実の能力者でしかなかったのだろうし、もしくは仲間内の中で最も闇がないと思われていたら裏ボスポジションの上かませ犬みたいな、病みーりやるごみたいなかんじで、とにかく生と死との向き合い方が歪んでいた。ここを掘り下げると今後書いて発表していきたい詩作品やエッセイ等がペラッペラになりそうなので流してしまうが、生と死ではなく、生か死、二極化した考えを常にしていたように思うし、外的要因によって追い詰められたというよりも、ほぼほぼ内的な要因「私は誰だ?」の脳内連呼で自我のゲシュタルト崩壊を起こしていたように思う。
そういった中にするりと入ってきた所謂リハビリがブログに書く日記/詩だった。この時が十八歳ぐらいで、データも出来るだけ残している。無知甚だしいけれど日記であり詩だったそれは本気の感情ではあったのでいつか、発表出来ればとも思っている。
僕は常に世の中に対して何かを考えていたし(考えない人はいないと思うけれど考えるベクトルがなんか変で、それは矢印の向きとかでもなく矢印が実はスルメイカだったみたいな感じ)、二極化していたから善悪はガバガバで、生か死、白と黒、そういう分け方で。自然と人、もっとなんというか、平和と戦争、更には僕らとチェルノブイリみたいな。無知故のカテゴライズ、無知だからこその関心があり、反対の精神もあり、けれど最も遠い所にあるとも思っていた。当時、僕にとってチェルノブイリやアウシュビィッツ、イラクなどの紛争、テロは思えば強烈なパワーワードでしかなく、生か死ではかれるものではもちろんないし、反対するにしてもそれらも人が行っている以上白と黒ではないのだから、僕は一旦小説を断念した(無理やりはしょった)。次いで日記を止め、詩だけに絞った(無理やりとばした)。
詩をひたすらに書き思ったことは、とりあえずはそこまで大きく明瞭に書かなくても内向世界の放出からでいいのかな?と思えたことだった。これが小説になると一気に読めたものではなくなってしまう。それはどちらがイージーか、という問題ではないのだろう。けれど僕が今の詩の雰囲気のまま小説を書いてしまうと、放浪している人間がいきなりコマンドーよろしくロケランぶっ放して「来いよ、〇〇」とか言ってると思うし、でもスペックは最弱だから二ページぐらいで死んで、走馬灯が百ページぐらいになると思うし、君って単語が五十回以上は出ると思うし、何が言いたいかって、まあ僕が書く理由っていうのはいつだって僕の剥離というか脱皮でしかなくて、今は詩だけで生とか死とかだけど、生と死とLemonと時々、天気の子ぐらいな感覚にでもなれば小説も書くだろうし、場合によっては絵も写真も音楽もするかもよって話。書く理由はそれぐらいに単純明快だし、表現する理由は複雑極まりない。
書くこと特化になった重要なもうひとつの要因をふと思い出した。三人程の人に書けと言われたのだった。そして、寺山修司の本やら、動物学入門の書籍やら、を頂いたのだった。これは正直、とんでもなく大きいよなあ。
あと最後に、どうなりたいかっていうビジョン、希望について少し書くならば、これも結構根の部分だからアレだけど、「富」「名声」「力」この世の全てを手に入れ…たくは別になくて、そりゃああればいいけど、「名声」が欲しくて、でも「名声」ってのも違うかな。有名人になりてえ!ちやほやされてえ!って感じじゃないし、なんか少し話それるけど表で正々堂々って言ってる奴って大体徒党を組んで言ってるんでそれって〇人分の一人なんでそんなもんそれこそロケランぶっ放してバラッバラにするしかなくて、でも僕にはそんな度胸も力もないから、裏でコソコソ粘着的に恨んだ奴は徹底的に恨みながら、反対に好きな人はとことん好きなまま、それをなんていうか文学の力でもって言うなれば暗殺?とその反対は表現が分からないけど、影で褒めちぎりたいわけです。僕は嫌なやつですからねえ。好意的であれ、逆であれ、面倒。
もうひとつは自分が死ぬまでにどれだけの人に「しばや まさる」を知ってもらえるかって挑戦。本名ではなくてペンネームの方。もし一人しか僕を知らなければ、僕は変人だったって終わり方をすると思う。死んでるから知りようもないし、噂にもならんだろうけれど、でもそれが100人、1000人って僕の片鱗を知る人が居てくれれば、50%が変人と言って、30%が悪人、10%が常人、5%が仙人、4%がどちらでもない、1%が表現者っておもってくれたならば、僕はまとまることなく霧散して、安心して幽霊になれるんじゃないかなあって。で、悪人って言った30%の内20%ぐらいは呪っといて、みたいな死後のビジョンもあって。死んでからの作品については正直今の段階ほぼほぼ考えてないし考えられない。けれど、死んでからについての自分以外を含めた僕のかたちは滅茶苦茶考えるので、やっぱりいつでも、いつまでも僕は「生と死」に溺れていくのだろうなあと、そんな風に思いながら野草食ったり虫を食ったりしてでも生きていこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?