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【ブックレビュー】『ドイツの政治教育 成熟した民主社会への課題』

近藤孝弘『ドイツの政治教育 成熟した民主社会への課題』岩波書店、2005年

概要
 早稲田大学教育学部教授(執筆当時は名古屋大学大学院教育発達科学研究科助教)の近藤孝弘氏の単著。「右翼政党が政権に参加したことはなく」「国政選挙の投票率においては、日本はもちろんイギリスやアメリカを大きく上回っている」ドイツの政治教育を一種の成功したモデルと位置付けつつ、その課題も合わせて提示しながら日本の政治教育への示唆を探る。なお、ここでいう「政治教育」は科目としての公民科や政治科だけでなく、歴史や地理や倫理・宗教、さらには学校外で行われる広範な政治活動を含む。

内容
➀ドイツ政治教育の歴史的文脈
 ドイツの政治教育の起源は17世紀に遡る。ウエストファリア条約によって領邦君主の信仰が住民の信仰を決めるとの原則が採用されてから、「政権の安定」という明確な目的のために学校教育が利用された。その後、18世紀にはフランス革命によってライン川の対岸から波及してくる革命思想と戦い、19世紀にはヨーロッパを徘徊していた共産主義思想と戦いながら、キリスト教とナショナリズムに基づく政治教育がドイツで定着した。
 第一次世界大戦の敗戦後、君主制から共和制への移行を安定させるために、ワイマール憲法148条は「公民科と労働教育は学校の教科である」と定めたが、同時に148条は公民教育と労働教育が「ドイツの民族性において」なされなければならないとも述べていた。懲罰的なヴェルサイユ条約に対する反感からナショナリズムが高揚しがちであった1920年代のドイツで、共和国的な建前と民族主義的な本音が入り混じるような形で新たな政治教育がスタートするが、1933年にヒトラーが首相にすると公民科が廃止され、民族主義的な本音が公然と顔を出した。
 第二次世界大戦後の西ドイツの政治教育の課題は「ナチズムとどう向き合うか」であり、これは現在も通底するドイツ政治教育の本質的課題となっている。戦後初期に論争のきっかけを作ったのは、エティンガー(本名はヴィルヘルム)による「パートナーシップ教育論」だ。アメリカの教育学者デューイの影響を受けた彼は、「民主主義を生活様式として教える」ことを目指し、政治に関する知識の伝達ではなく、生徒同士や教師との間でのパートナーシップ的関係の経験を重視した。一方、1960年代以降パートナーシップ教育論は「予定調和的な理想論であり、社会の対立を不可視化している」と批判され、利害対立や権力闘争を取り扱う「コンフリクト教育論」が普及した。こうした様々な教育論は拮抗しつつも、西ドイツの政治科の教科書はマスメディアに対する批判的視点を共通の特徴として備えていく。実際に、1999年に実施された国際教育到達度評価学会の調査では、マスメディアに対する信頼度においてドイツの14歳は参加国中最も懐疑的なグループに属していた。
 一方の東ドイツでは、ナチズムを人種主義・民族主義の帰結ではなく「独占資本の暴走」と捉えていた。学校の教師にはマルクス・レーニン主義の正しい知識が求められ、公民科は社会主義愛国教育の核と位置付けられた(教師が望む答えを復唱するだけの公民科は生徒からきわめて不人気だったという)。歴史科の教科書はホロコーストに言及していたが、ユダヤ人の虐殺以上にドイツ人共産主義者の虐殺やソ連軍に対する蛮行を強調し、東西冷戦の枠組みの中で東ドイツの人々に他責的なナチズム理解を刻印した。東ドイツの青少年は西ドイツの青少年以上にナチズムに対して批判的であったが、彼らはそれを「西側の蛮行」と捉えていたのである。
 
➁統一ドイツの歴史教育の課題
 東ドイツの他責的ナチズム理解は確かに統一ドイツの政治教育における大きな課題だったが、統一直後の西ドイツの政治教育学者は「西側の歴史理解を移植する」という短絡的な対処法を選んでしまった。これについて著者は、「必要とされていたのは、東部における生活を踏まえたうえで、それまで正しいとされてきた歴史理解がどのように操作されていたのかを理解し、批判的な思考を自ら発展させることを可能にする歴史教育であり、そのための教材だった。西ドイツで正しいとされてきた歴史像を提供するだけでは、人びとの目に、単に権力者が交代したにすぎないと映ってしまう」と指摘している。
 以降の統一ドイツの歴史教科書は、東ドイツに関する記述のあるべき方向性を模索する。西ドイツに比して過度に少なかったページ数を増やすところから始まり、内容においても「西ドイツから見た東ドイツ像」が徐々に相対化された。例えば、東ドイツで発生した1953年6月17日の蜂起について、1990年に発行された教科書『フォン・ビス』は「自由を求める人々をソ連軍が暴力的に弾圧した」という単線的なストーリーとして描くのに対し、1997年から1999年にかけて全三巻が発行された教科書『探検・歴史』は、ソ連側の介入の背景に西側の経済封鎖があったことや、蜂起した人々の一部が暴徒化した事実に触れている。
 
➂日本への示唆
 著者は日本の歴史・政治教育について、日の丸・君が代といった文化的シンボルへの忠誠心を育んで愛国心を国家運営に動員しようとした一方で、民主主義は十全に機能せず政治不信が広がったと評する。戦後初期の日本では生活経験に根差した社会科が志向されたが、ドイツがパートナーシップ教育論をコンフリクト教育論によって克服したのとは対照的に、日本の政治教育は批判精神の涵養に向かわなかった。「自らが置かれた状況に対する批判的認識に裏付けられた啓蒙的理性」をターゲットに、日本の政治教育を新たに構築する必要がある。

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