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不忍池

私の叔母は、この近くの老舗店に嫁に行き、長く女将さんをやっていました。

東北の旧家の末娘として生まれ、蝶よ花よと可愛がられて育った叔母は、誰もがはっと振り返るような美貌には非常に不釣り合いなお喋りおばさんで、わがままで世間知らず。
嘘がつけないので、本当のことだけを言い過ぎて、ひんしゅくを買う。
でも悪気はないから今で言う天然ボケで、絶えず周囲を賑わせてくれる人でした。

幼い私はそんな叔母が大好きで、母に連れられて鶯谷の叔母の家を訪ねるのを何より楽しみにしていて、駅から続くラブホテル街を抜けて行く道がまた嬉しくて、それがどんな用途の施設なのか知らなくても、鄙びたネオンや看板に旅情とか隠れ宿とか、それっぽいニュアンスを汲み取って、わくわくしていたような気がします。

何度か叔母の家に預けられたことがありましたが、叔父や従姉妹が何かと可愛がってくれたし、寂しさの微塵も感じない楽しい日々で、叔母のお喋りを聞き流しながら、叔父と将棋をさしたのを覚えています。

その叔父は肺ガンでわりと早くに亡くなったのに、叔母と言ったら浮いた話ひとつない女で、無駄に美人で、相変わらず純粋無垢なお喋りで人を傷つけていました。

息子が店を継いで大女将となって、75歳のある日。
叔母が一人で池のほとりをそぞろ歩いていると、向こうから品のいい初老の男性が歩いて来て、ふと目があったそうです。

「いいお天気ですわねぇ」
「そうですね」
などと話をしてるうちに、
お喋りな叔母は、私そこの◯◯っていうお店の大女将なのよね、と自己紹介を始めた。
そうですか。それはそれはお会いできて大変光栄です、お茶でもいかがですか?と男性が誘う。
まんざらでもなかった叔母は、一緒に近くの喫茶店でお茶を飲む。
そして、どういういきさつでそうなったのか、その後は二人でホテルに行ったとのことでした。

それ以降、彼の連絡先も本名も年齢も家庭の有無も一切知らないまま逢って、別れ際、次に逢える日と場所を約束して、その約束だけを頼りに、二年ほど逢瀬を重ねたと言ってました。

またまた叔母がこのことをつつみ隠さず誰にでも話すものだから、聞いた親戚はいつか老舗の看板に傷がつくのではないかと、ずいぶんヒヤヒヤしたようです。

彼と逢わなくなって1、2年経った頃か、叔母は膝を傷め、認知症を患い、今では人もうらやむ高級有料老人ホームに入っています。
でもわがままが激しくなるわ、強迫性障害を発症するわで周りを困らせていて、最近はかなり落ち着いてきたようですが、叔母にとってはあの鶯谷のわが家に代わる住処はなく、どんなに高級であろうとままならない不自由な生活なのでしょう。
しかし、はっとするような美貌は今も変わらないところが驚きです。

※2016年に書いたもの。
叔母は2021年春、93歳で永眠しました。

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