有能であることは、大事なことか
https://weathernews.jp/s/topics/202012/170105/
寒波襲来で日本全国が凍えている。路面凍結やら渋滞やらが気になったので、私も久々に公共交通機関で仕事場に向かう。通勤時間を1時間後にずらしたが、このような天気では世界一正確ともいわれている日本の公共交通機関でさえ予定通り運行されることもなく、ただ震えながらその時を待つ。車内でも他者の息づかいや臭いが気になるほどで、時間をずらしたことを少し後悔したが、暇つぶしにと行きがけに本棚から適当にカバンに詰め込んだものを広げて密な空間をやり過ごす。
「それは、私たちが、機能主義の時代に生きているからにほかなるまい。機能で、能力で、人を評価することに馴れている。馴れすぎていて、疑うこともできなくなっている。
有能であること、賢明であることだけが、人を尊敬する理由になってしまったのは、私たちが合理的になったと言うことだけではないだろう。むしろ、それは、いかに視野が狭くなったかを示しているようにも思われる。」
記事タイトルの小見出しのほぼ直後にあったこの文字以降、しばらく目が先に進まなかった。視線を外した先には見慣れた目だし状態の私と同じような人が、白く染まった世界を見つめていたり、機械の上で指を動かしていたり、視線を感じた先に向かって怪訝そうな表情を浮かべている。そんな情景を見て頭の中を駆け巡ることだけをきちんと認識しようと意識し、腹から出ている信号にはほとんど意識が向いていない。無能よりは有能、暗愚よりは賢明が重宝されているし、身の回りにあるほとんどの現象は暗黙にそれを前提として起っているのではないかとすら感じている。合理に対して素直に疑問を抱くことができない私は、もはや認知的視野狭窄ともいえるような現代病にどっぷり侵されている。
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