見出し画像

読むクスリ 書くクスリ 見るクスリ


昨年9月19日、やっぱりKOKOが好き❤️という投稿をした。
久しぶりの投稿。



東京オリンピック前の6月、母が亡くなった。
見送った次の日、ふと庭を見るとサーモンピンク色のグラジオラスが花壇一杯に咲き誇っていた。

満開だった。

言葉を失う程、美しく、青空に映えていた。

これまで花壇一杯に一斉に咲いた様子を見たことがなかったので、かなり驚いた。

そして、ホッとした。

きっと母が喜んでくれているんだろうと思えた。

母はよく庭に咲く花を家に飾った。

欠かさず飾ったのが、トイレ。

小さな花瓶で飾った。

玄関や客間よりもトイレに。

花粉がこぼれたり、花びらが散ったり、少し手がかかる。だけど、飾った。

それは、母の繊細さを感じる情景だった。

母の具合が悪くなってから、トイレには花がない。

客間にしか花を飾らない自分が時々嫌にになることがある。

目標、いつかトイレに花を飾る人になろう。

さあ、それはいつのことだろう。

明るくて可愛らしい母がいなくなってから、家はひっそりとした。

話し相手が欲しい。

新しい家族が欲しくなった。

それが、一昨年の夏。

そして、ご縁があって、9月に新しい家族を迎えた。

日本男児の柴犬君。

和名でなく、あえてのローマ字表記。

KOKO。

ハワイ語で、虹色。

寂しくて曇った心が虹色になれますように。
そう思いを込めて名付けた。

アメリカの独立記念日、7月4日生まれの男の子。


さあ、柴犬KOKOとの暮らしが始まった。

1日に何回KOKOちゃんと言う?

KOKOちゃんは? 

KOKOちゃん、おはよう。

KOKOちゃん、また帰ってくるからね。

KOKOちゃん、ただいま。

KOKOちゃん、おやすみ。

KOKOちゃん、いい子だね。

KOKOちゃん、大好き。

散歩の時、柴犬KOKOはかなり引きが強く、たまにひっくり返るほど。

ある雨の日、興奮してくるくる回るKOKOに引っ張られ、尻もちついて、傘の骨が曲がった。
ひどいじゃないかい!KOKO!

散歩が嬉しい時、ぐるぐる回る。

目が回る。

KOKOとの暮らしが始まってから、オシャレが減った。
齧られる、破られる、泥んこ付けられる。

自分の年齢を考えると、とにかく元気でKOKOの世話をしてやりたい。

長生きしたKOKOを、ヨロヨロとした自分が散歩する。

大丈夫?

って、先案じしてしまう。

とにかく、健康に気をつけてKOKOと仲良く過ごそう。


人より遥かに早く一生を終える犬。
長生きしたKOKOを看取ったとして、自分は70歳を過ぎているだろう。

少しおばあさんになった自分は、KOKOとの別れにちょっぴり鈍感になっていてくれているのだろうか。
自分の体力を考えて、少しホッとするのだろうか。

まだまだ先のことは、心配しないでおこう。

強く引くKOKOのリードを持ちながら、たまにぼんやり考えた。

遠い先の心配より、日々やんちゃなKOKOに振り回されて毎日が幸せなのだ。


残暑が厳しい9月。

その時は突然に。

ここまで書くのに、数ヶ月を要した。

これから先がなかなか書けない。

それでも、ゆっくり書いてみよう。

9月12日月曜日。

KOKOが日中過ごす物置を少し片付けることにした。

田舎に有りがちな、なんだか分からない物を少しでも処分しようと。

KOKOには少し居場所を移動してもらった。

午後には来客があるので、片付けはそこそこにしておきたい。
突然始まり出したら止まらない、お爺のお片付けスイッチに付き合うのは程々にした。

その日は、午後から生憎の雨。

来客を見送った後、KOKOとのお散歩をした。

火曜日の記憶はあまりない。

水曜日、朝、夜とご飯を食べていないことに驚いた。

このところ、また残暑が厳しい。
暑さあたりだろうか。

7月末から1ヶ月近く、夏バテの様子を見せていたKOKO。
最近は調子良く、食欲もだいぶ戻ってきている様子だったのだけれど。

とにかく、
木曜日は、食べ易いご飯に変えた。

だけど食欲が無い様子。

獣医さんの予約がネットで取れたのが金曜日の夕方。
悔やまれるのは、電話して急患扱いで診て貰えば良かったこと。

受診中、体重の激減に驚かれ、すぐさま色んな検査をする事になった。

命に関わるかもしれない。
そう宣告された。

腎臓、肝臓が機能していない。

多臓器不全の状態です。

検査結果書を見せられる。

母の主治医とのやり取りを思い出す。

お医者様は、丁寧に教えてくださる。
人のことも、動物のことも。

素人でも分かる。

すぐさま状況を把握した。

いつもは車に乗せるとドタバタするKOKOが、今日は静かだったのだ。

いくら調子が悪いとはいえ、おとなし過ぎた。

その日は、一晩入院した。
もしかしたら、朝には冷たくなっているかもしれないと、念を押された。

翌朝、病院を訪ねた。
ホッとする。無事でいてくれた。

一晩、かなり強い薬で治療を行なったが、回復の様子はなく、むしろ状態が悪くなっていると。
もう1日だけ、チャレンジしたいとおっしゃる先生に頷き、16時に会いに行った。

もうあまり反応が無いと伝えられる。

連れて帰りたいと伝える。

先生のお見立てでは、後どのくらいの時間でしょうか。

1週間。早いと3日。

車で家に着くと、後部座席のバスタオルの上でオシッコが出た様子。

あれだけ、尿を作る機能が無くなっていると言われたのに。

少しホッとした。

後で考えると、慣れない病院からの帰路、安心したのだろう。

車の中の声掛けで安心したのだろう。

久しぶりに、初めて我が家に来た時の部屋に抱いて入れた。

座布団にタオルを敷いて載せた。

しばらくすると、掃き出しの窓際に歩いて行った。

外に行きたいの?

先生からは、もうほとんど歩けませんよ。
と言われていたけれど。

抱いて外へ出た。
そして、そっと地面に降ろした。
初めてのお外は、此処だったね。

少し歩いた。
体が辛かったんだね、すぐに座り込んだ。
普段座ったことがない場所だ。

抱き上げて、いつもの南側の庭に回った。

KOKOちゃんの好きな所だよね。

力強くはないけれど、少し歩き回った。

少しの間、KOKOを自由にさせた。

少しの間、目を離した。

KOKOが居る場所を見て、ハッとした。

自分が行ってみたい所へ歩いたんだね。

そっと抱き上げ、部屋へ戻った。

沢山歩いたからだろうか、呼吸が苦しくなり声が漏れ出す。

お母さん、苦しいの。
僕どうしたんだろう?って顔で見上げてくる。

最後は、苦しそうに何度も血を吐いた。

よく頑張ってる!KOKOちゃんえらい!

ほんとによく頑張った。

短い間だったけどありがとう、KOKOちゃん。

ありがとう。
ありがとう。

ただ、感謝の言葉しかない。

ありがとう。
そしてごめんね。

至らないお母さんだった。

いい歳して、ワンちゃんのお母さんになったの初めてだったから。

お母さんとして、未熟だったんだと思う。

ごめん。
ごめん。



先生がおっしゃった。

化学的なものでは無い。

野生のネズミか何かの毒性の強いものを口にしたのではないか。

原因は分からないが、毒性の強いものが体に入った。

これからなのに。

未だたったの1歳。

もっともっと生かしてやりたい。

そう先生がおっしゃった。

そんな事、お母さんの私が1番思っている。

ごめん。ごめん。

KOKOちゃん。

ほんとにごめん。


KOKOと散歩した我が家の広すぎる裏庭の隅に、お墓を作った。

咲くか分からないけどコスモスの種を蒔いた。

暫くすると、小さな蕾が付いた。

来年の春には、色んな花を植えよう。

沢山の種を蒔こう。

KOKOちゃんパークと名付けた。

プリントアウトしたKOKOの写真は、未だ一枚もない。

未だ部屋に飾る元気はない。

だけど、スマホを開くと時々KOKOの写真が目に飛び込んでくる。

思い出したくなって、noteを見た。

そこには、我が家の他愛のないKOKOとの思い出が溢れていた。

単なる親バカ日記。

少しずつ書いてみる。


タイトルは、やっぱりKOKOが好き❤️

涙が溢れてくる。

幸せをありがとう。

ずっと忘れないよ。

ありがとう。



元来の飽きっぽい性格と、それから、KO KOを失った喪失感から、noteから遠ざかっていました。

また、 KO KOの写真と一緒にポツポツと投稿出来たらなぁ〜と思っています。

お付き合い頂けましたら幸いです☺️













この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?