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白ずきんくん

飲食バイトの悩みの一つは、料理名の暗記だ。
 
最近、居酒屋のホールで働き始めた。しかし、僕には魚がわからない。チェコ人とドイツ人を見分けられないみたいに、タラとカレイを区別できない。
 
「わからなければ遠慮なく訊いてくださいね♪」
 開店前、社員さんは迷子をなだめるように言った。

宴会が始まり慌ただしくなった今、彼は遠慮なく罵倒を飛ばしている。30分前とはまるで違った様子に、童話「赤ずきん」を思い出した。

どんなに優しいおばあさんでも、突然おそろしいオオカミになってしまうことはありえる。子供は赤ずきんちゃんを読むことで、身の周りの不思議な現象ーママはあんなに怒っていたのに、受話器をとると急に声が優しくなったーといったことを消化できるのだ。

そんな話を聞いたことがある。なるほど、じゃあ子供が読んでいる絵本から、その子の悩みを推測できるはずだ。例えば、子供が桃太郎を熱心に読んでいたら、クラスにジャイアン的な存在がいて、一発かましてやろうと目論んでいるのかもしれない。

もし将来僕に子供ができて、「かちかち山」を読み込んでいたらどうしよう。強烈な復讐心に駆り立てられているのか。それとも何かよからぬことをして、そのうち身に降りかかる煉獄に肝を潰しているのだろうか。
 

厨房からベルが鳴り、妄想から引き戻された。厨房の中に入ると、「本日の刺身5点盛り」が置かれていた。マグロとエビはわかるが、残り3つの白身魚は一体・・・?

インターホンの前に立つ郵便屋さんみたいに、「お刺身の白身は何ですかー!?」と厨房に問いかける。コンロに立つ料理人さんが、フライパンを見つめたままぶっきらぼうに答えた。

「シメサバとキスとカンパチ」
 
はいはい、シメサバとキスとカンパチね!刺身盛りを手に厨房を出て、お客さんの元へ向かう。スムーズに喋れるよう、頭の中で口ずさむ。

「本日の刺身5点盛りは、マグロ、エビ、シメサバ…あれ?」

やべえ、忘れた。
 
厨房を振り返るが、戻っても怒鳴られそうな気がした。近くにいた社員さんは、幸いにも手が空いている。平時の彼は、赤ずきんちゃんのおばあさんである。僕が事情を話すと、微笑みながら教えてくれた。
 
「キスとカンパチだよ」
 
 「ああ、思い出しました!それです!キスとカンパチです!僕がさっき料理人さんから聞いたのと同じ名前です!」

と言いたかったのだが、勢い余って

「合っています!」

と言ってしまった。
 
何もわからないふりをして、ベテラン社員に抜き打ちテストを仕掛ける歪んだ新人。彼の目にはそう映ったかもしれない。

白身魚を手にした僕は、白ずきんくんだった。

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