友人に「思い出トランプ」を勧めた自分はウザいのか
先日、友人と本の話になった。その友人は本を読まないらしいが、私がなぜ本を読むのかとか、どんな風に本を読んでいるかとかを聞いて、本を読みたくなったらしく本を紹介してくれと頼まれた。本を紹介する。これは非常に難しいことだ。頼まれたことがある人なら分かるだろう、おそらく。ただでさえ、人に本を紹介するというのは気を遣うのに、相手は普段本を読まないときた。非常に難しい問題だ。
みなさんはこういうときどういった本を紹介するだろうか。今回の私のケースでは小説の話になっていたので小説を紹介するわけで。どの小説がいいのか、誰の小説がいいのか、どういった小説がいいのか。考えれば考えるほど決めがたい。いい意味では読んで欲しい小説はたくさんあるし、悪い意味では好みの分かれる小説を紹介して本を読むことから遠ざかって欲しくないな、という選ぶ上での悩ましさがある。
まず一つ頭に浮かんだのは短編集が相応しかろうということ。ものにもよるが、長編は一定のラインまで読み進めないと挫折することがある。その作品の醍醐味に入るまでの導入が長かったりすると、普段から読み慣れていない友人には抵抗が大きかろうというところだ。
次に誰の短編にするのか。これも非常に悩ましい。最近読んだものから選ぶのは少々躊躇われる。庄野潤三のプールサイド小景は最近読んだ短編では印象に残っていた。これは色々と理由があるのだが、一つには乗船実習という1ヶ月船に乗る実習の間に唯一持ち込んだ小説というのが大きい。課業のない暇な時間に読み、娯楽のない環境では余計に染み入る感じがした。とはいえ、普段小説を読まない友人に勧めるのは少し違う気がする。
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家に帰り棚を眺めながら、考えることにした。結局、向田邦子の思い出トランプという短編小説を選ぶことにした。
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自分でも読み返しながら、この短さと洗練された内容(少し物足りないくらいに思えるほど無駄のない文章)なら、友人でも楽しめるだろう、と。そういうわけで、思い出トランプを貸すことにした。
しかし、本を友人に手渡す直前まで、自分のセレクトが合っているのかに自信がなかった。ここまで濁して議論を避けてきたが、本を紹介するというのはすなわち私はこんな本を読むんですよ、と語るようなものだ。最近読んだ本を教えるのとは少し違う。よく為人を知る友人に勧める本を選ぶわけである。私はあなたみたいな人にこんな本を紹介する人間なんです、と。当然、友人は、お前は俺にこういう本を勧める人間なわけだとある種の烙印を押してくるわけだ。自分が相手をどう思っているのか簡潔に表現する一つの手段ともいえる。
これは私の考えすぎなのであろうか。多分違うと思う。本に限らず人にものを紹介するというのはそういうことなんだと思う。紹介するからには、もちろんその程度にもよるが、紹介した分だけの責任が伴う。それはほんの些細なことなのかもしれないが、私としては見逃せない。
と、ここまで書いてみて、思い出トランプを友達に勧めるだけでここまで無駄に逡巡している自分は多分ウザい奴なんだと思う。サクッと選んで、サクッと渡せとどこからか声が聞こえそうである。
友人の感想が気になる人も多いだろうが、随分と気に入ってくれた。不倫の話多いねと笑いながら、各話の感想を細かく語ってくれた(感想については後日書くかもしれない)。また、紹介してくれとのことだ。
次は何を勧めようか。その友人の口からプールサイド小景の感想が語られるのを見てみたい気もする。
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