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自分と政治

8月15日。終戦日だ。

インターンシップで外に用事があったこともあり、帰りに千鳥ヶ淵に寄ってきた。初めて訪れたのだが、ただセミの声だけが鳴り響く、静かな場所だった。ここには、遺族の方に返すことができていない遺骨がたくさん眠っている。

戦争の犠牲者に、上も下も何もないと思う。それでも、いつだって一番被害を受けるのは一般市民だ。空襲で、沖縄で、満州で、そして世界各地で戦闘に巻き込まれてなくなった方の数は計り知れない。我々の現在の生活は、その犠牲を経ていることを忘れてはいけないと思うし、その歴史に向き合わなければならないはずだ。

さて、自分の大学生活も残り一年と半年となった。今回このような記事を書いているのは、自分と政治との関係を一回整理する必要があると考えたからだ。というのも、この大学生活を送っている中で、「未来の日本はどうなっているのか」ということを考えられていないことに気がついた。

もちろん、ベーシックインカムの導入であったり、LGBTへの理解であったり、夫婦別姓を認めることであったり、同一労働同一賃金であったり。様々な実現すべき課題というものは山積している。しかしそれが必ずしも「未来の日本像」とが結びつくとは限らない。

先日、玉木さんは自身が代表を務める国民民主党の「分党」を決定した。僕自身、この決定には玉木さんの意地というものがみて取れて、とても好感が持てている。国民民主党は独自の価値を持っていると思うし、時代の流れからしても、国の政策と反対のことを言っておけば票が取れるというわけでもない。

とはいえ、政策は何かを実現するための、あくまでも「手段」ではないのだろうか。VUCAの時代とは言われているが、人口が減少した日本がどのように国際社会において存在感を保っていくのか、それとも否か。日本という歴史のある国をどのような価値を残して次世代に引き継いでいくのかなど、日本に住む全員で議論し、考えていくことのできる課題はたくさんある。

落合陽一さんや安宅和人さんたちが「未来の日本像」について執筆するというモチベーションがよくわかる気がする。ITの導入によって実現できる、効率的で不正のない世界は、僕自身も求めているものだ。しかし彼らには彼らなりの立ち位置があるわけで、僕が同じ方向を向けば良いというものでもないと思う。

だからこそ僕は、この大学生活を通じて結局どう考えてきたのかを、一度形として創っておきたいと思った。大学入学前と現在では僕自身の政治に対する考えは大きく変わった。世界もコロナで大きく変わった。大卒の資格を得るために大学に通った訳ではないということを、このnoteを通じて書き留めておきたいと思う。

前置きが長くなったが、この大学三年生の夏休みを使って、政治と自分との関わりを改めて見直すとともに、残りの大学生活でやりたいことを一度書き出したい。

どうか最後まで、お付き合いを願いたい。

1.高校卒業まで

 1-1. 読書

僕は子どもの頃から本を読むのが好きだった。親が本には惜しみなくお金を出してくれたので、読みたい本は何でも読むことができた。

中学に入るまで、家には歴史マンガしかなかった。小学校4年生から上本町にあるLEGOのプログラミング教室に通っていた。毎週の帰り道、朝日新聞が出していた「週刊 マンガ日本史」を御堂筋線の中で読むことが、とても楽しみだった。

小学5,6年生の頃には合気道をしていたので、毎週金曜日、洗心館に行くことになっていた。山田駅を使っていたので、Dew山田のブックファーストで練習前に本を一冊買い、親の稽古が終わるまでその本を読んでいることが楽しみの一つだった。

今でも忘れられない本がある。

日本の食料自給率が低いことが問題となっている本で、自給率を上げるためにはどうしたらいいのかという問いがあった。それに対して筆者は「日本中の山を焼いてしまえばいい」と答えていた。そこで牛や豚を育てれば、日本の食料自給率は解決すると書いてあった。

もちろん生物多様性的にも土砂崩れの防止を考えても、この意見はあまり参考にならないのだが、世の中には面白い話を考える人もいるものだと感心した記憶がある。たぶんどこかの新書だったと思うのだが、題名は思い出せない。

そういった本を読む中で、日本の課題の縮図とも言える政治に、興味関心を持つのは必然だったのかもしれない。

 1-2. メディア

小学4年生の時に名古屋から大阪の吹田へ引っ越した時、その頃大阪では橋下旋風が吹いていた。

橋下府政になって以降、公務員を除いた一般市民には「地下鉄のトイレがきれいになった」などの恩恵が与えられることになるし、財政的にも改善されているというインパクトの強さは小学生レベルでも体感できる問題でもあった。

もう一つは、民主党の政権交代だ。小泉のあとの安倍(1)、福田康夫、麻生という毎年のような首相交代は、子どもながらにひどいものだと思ったものだ。

そのような中、民主党への政権交代が起こった。これは世の中の変化を実感できるものだったし、その後の政権運営の不手際に対する世間のバッシングは手のひらを返したようなものだった。今思えば、「政治家は偉い」「政治家は何でもできる」などの、政治家への「お上意識」が強すぎたのだろうと思う。

まだメディアの情報がすべてだった小学生・中学生の自分にとっては、世論が流されるように自分の意見も変わっていったことを記憶している。

 1-3. 子ども議会

小学生の頃は、いろいろなことをやらしてもらう機会が多かった。6年生のときには、小学校代表みたいなポジションを経験させてもらうことができ、運動会の挨拶や、小学校にできたビオトープのテープカットのセレモニーに参加させてもらったりした。

自分はいい感じに大人びていたのだと思うし、担任のいうことを素直に聞いていたので、小学校の担任からは結構好かれていたと思う。

同じく6年生のとき、吹田市では市政70周年記念イベントが開かれた。そこで生まれたのが吹田市のマスコットキャラクターでおなじみ「すいたん」である。吹田くわいをモチーフにしたこのキャラクターにどれだけの予算が割かれたのかわからないが、僕はこのすいたんが好きだ。

市政70周年に関連して、子ども議会というイベントが開かれた。吹田市の小学校から一人ずつ呼び寄せ、議会の仕事とは何かについて知ってもらおうという企画である。経緯は覚えていないが、そのような学校代表的なポジションにいたこともあり、新任のときからお世話になっているその先生から話をもらって、ぜひということになったのだと思う。

政治に少なからず興味関心があった僕は、それなりに期待をしてこのイベントに臨んだ。しかしイベントの説明会では、学校ごとに話すテーマを選択するというものであった。議会で政治的な質問でもできるものだと考えていた僕は、このテンプレートにそった対応にガックリしてしまった。

結局、僕たちが選択したのは「消防」だった。情報収集力もなく、質問したいこともなかったので「なんで110と119は分かれているのか?」みたいな質問をしたことを覚えている。質問自体は面白くなかったし、返答がわかりきっていた質問ではあったものの、議会という普段入れない場所に入る面白さは感じることができた。

政治はテンプレートが好きだ。安倍首相は記者会見を、あらかじめ提出された質問事項を読み上げる形で対応している。僕にとって、子ども議会はそんな体験だった。

中学校

小学校を卒業して、親父の転勤で福岡へ引越しをした。吹奏楽部でいろいろ怒られたり、女性社会の中で過ごした経験はいろいろ刺激的だった。

その後、2年の秋から再び吹田へ。こちらも別のベクトルで大変だった。人を変える難しさであったり、大人の理不尽さと戦うことになるのだが、一番びっくりしたのが校則の違いだった。

福岡で、すっかり頭髪点検だとか、持ち物チェックだとかに慣れされた僕は、吹田でそのようなことがない事実に驚いた。カッターシャツをズボンに入れなかっただけで厳しく怒られていたので、吹田で登校初日、ポロシャツをズボンに入れていたら、昔の友人からめちゃくちゃ笑われたことを覚えている。

人間、環境に慣らされると世界が見えなくなる。

 1-5. 高校

いい高校だった。そういえば大阪府庁の隣なのに、松井知事にあったことは一度もなかった。

高校の卒業生に、日銀の元総裁だった福井俊彦さんがいる。ちょうど3年生の時に130周年記念式典があり、福井さんが講演をして下さった。たまたま日本史の教師が質問者を募集していたので、自分も同じ壇上から質問をさせていただく経験ができた。

質問内容はまったくと言っていいほど覚えていないのだが、現役で東大へ、そして日銀総裁になったということもあって、彼の情報収集能力の高さに驚いた記憶がある。歳をとっても学びを辞めない大切さ、そして将来世代に何を残していくのかという冷静で思いやりのあるビジョンを聞かせてもらった。自分もあのような人になりたいと思った。

2. 大学と政治

浪人中にスプラトゥーンをしていたり、苦手な英単語の暗記をおろそかにしていた結果、まあ滑り止めで受けた大学に入学することになった。

「國學院大學 法学部 法律学科 政治専攻」である。

どうせ滑り止めだし、まあ好きな政治にでもしておくかと選んだところに入学するあたり、何らかの運命を感じてしまう。後付けにはなってしまうが、自分は政治というものに向き合っていく中で、この専攻でよかったなと思うことがよくある。

 2-1. 政治インターン

うちの専攻には、政治インターンという科目がある。長期休暇を利用して政治家や地方自治体にインターンをすることで、その実習時間に応じて単位が出るという仕組みだ。浪人議員は認められないそうだが、国会議員でも都道府県議会議員でも市区町村議会議員でも、単位は認められる。

このインターンをするためには。基本的に3つのルートがある。第一に、斡旋団体を利用することだ。仲介手数料を取られる可能性があるが、簡単なヒアリングのあとにマッチングをしてくれるという意味では、最も労力の少ないルートである。第二に、大学の紹介である。教授がマッチングしてくれるので、なんら難しいことはないが、倍率が高いらしい。第三に、直接議員事務所にアポイントをとるということだ。僕はこれをした。

僕が選んだのは吹田の地元の衆議院議員。自民党という党に興味があったし、日頃から彼女を目にしていたので、中から議員の仕事を知りたかった。ぷるぷる震えながら電話をかけると、履歴書を送るように言われたので、手紙を添えて履歴書を送付。その後は半年間くらい、とかしき事務所でお世話になった。吹田の事務所でも東京事務所でも、事務所の方々も代議士も本当に大変よくしてくれたので、感謝の気持ちしかない。

政治インターンではたくさんのことを学んだ。ここでは3つの要点に絞って話をしたい。

2-1(a) 泥臭い地元
小選挙区で当選している議員にとって、地元での選挙活動は必須と言ってもいい。もちろん地元での活動をしていない議員もいるそうだが、平日は東京で、土日は地元で活動をしている議員も多い。

地域のありとあらゆるイベントで挨拶をし、地元のおばちゃんたちの話を聞き、もちろん地元の議員との交流などもしなければならない。休みなどあってないようなものである。

地元でインターンをさせてもらった時はちょうど夏休みの時期だったので、各地の小学校のお祭りへの挨拶回りに同行させてもらった。分刻みで組まれているスケジュールに基づいて、挨拶をして写真を撮っては次の目的地に向かうことになっている。回る順番、どこに時間をかけるかは選挙戦略に大きく関わることであり、この「泥臭さ」を目の前で見させてもらうことができた。

2-1(b) 休みのない東京
インターン時、代議士は環境副大臣だった。そのため、副大臣の秘書の方々ともお話をさせてもらう機会が多々あり、官僚としてのやりがいや大変なことも聞かせてもらうことができた。夜遅くまで質問対応をしなければならないし、朝早くから動いて議員へのインプットを行う。国のエリートがブラックなのだから、「そりゃ国は変わらないよな」と思った。

また、イベントへの出席や業界の視察にも同行させて頂いた。トップとしての役割を果たすだけでなく、現場の意見を汲み取ろうとしていたのではないだろうか。

一つ印象的な思い出がある。女性保護施設を運営しているNPOへの訪問だ。ここは、夫や両親からの体罰や、家庭環境の問題を抱えている女性のためにある。そこに暮らしている方々は、その施設が唯一の居場所であるといっても過言ではない。

帰るとき、施設の方々が代議士に対して「来てくれてありがとう」と仰っていた。声を上げたくても上げることができない人々や、世の中の仕組みから漏れてしまった方々を見つけ、彼らの声を代弁することも、政治の、政治家の役割なのではないか。

東京でのインターンは、本当に分刻みのスケジュールを見させてもらった。朝早くから動いて、パーティーなどがあれば夜遅くまで時間がかかる。その代議士を支えるために、秘書の方々も働いている。はたしてこれは給料に見合った仕事なのだろうかと、何度も考えた。

インターン終盤、自民党の総裁選があった。代議士は石破派についた。誰が見ても負けが確定している中で、副大臣のポストを失うことを覚悟してまでも石破派についた。僕は純粋に、ポストよりも人情を選んだ彼女の選択が好きなのだが、世間はどう見るのだろうか。政治とは良くも悪くも、人情で動いているところが多々あると思う。

2-1(c) 議員として、人として
代議士へ、人生のアドバイスを求めたとき、彼女はこう答えた。

「迷った時は、難しい方の道を選びなさい」

代議士は民間企業を辞めてまで立候補をし、浪人生活には薬剤師として働きながら次の選挙を目指した。その彼女の言葉はとても重く、とても温かみのある言葉だった。

代議士は誰にも等しく、丁寧に接する方だった。学生の僕にも社会人と同じように接してくださった。

インターン中、衆議院議員会館の中を走り回っていたのだが、やはり人として素晴らしいなと思う方が他にもいらっしゃった。そのある議員は、メディアで報じられている印象とは全く違い、エレベーターのボタンを押していただけなのに、丁寧なお礼をしてくださった。

政治家としてのスキルと、人としてのスキルは分けるべきなのだろうか。メディアで報じられる印象は一面でしかないのだろうか。考えるべき点はたくさんあることに気が付かされた。

インターンでは、本当にいい経験をさせてもらった。もちろん全国の政治家の中にはろくでもない人も実際にいるわけで、観てきた「はりぼて」という映画では富山市議会の腐敗っぷりが気持ちよく描かれていた。

それでも、政治を勉強する上で政治の現場を直接学ぶことができ、いい経験になった。代議士と事務所の方々、そしてインターン関連でお世話になった吹田市議会議員を始めとする、たくさんの方々に感謝しかない。

 2-2. 社会運動論

大学で政治関連の授業は多いのだが、一番グサッと刺さったのがこの授業だ。僕は大学受験時代に習い、名前だけ知っていた「小田実」の文字を見て履修を決めた。担当は立教大学の和田悠先生。

この授業は2年生の前期に履修したのだが、それまでの自分には、政治における「市民」という考えが明確なものとなっていなかった。政治家と政治体制を中心に考えており、そこに対して市民がどうアクセスしていくのか、この授業で考えさせられることになった。

授業は社会運動を中心に展開した。砂川闘争はもちろんのこと、団地の建設にともなう市民生活の変化、そしてベトナムに平和を!市民連合などの活動を、動画やレジュメで学んだ。市民がしっかりと声を上げなければ、政治が間違った方向に行くということは、香港を見れば、歴史を見れば明らかである。市民の求められる役割について、この授業や先生との会話の中で学ぶことができた。

和田先生は地元でも様々な活動をされており、市民の立場から政治についてどう向き合っていくのかを、実際に行動しながら考えていらっしゃるのだと思う。一度先生が出席される集会に顔を出したこともあるが、市民に世代も立場もないということを感じた。

 2-3. ゼミとTICADと

ゼミのテーマとしては「政治哲学」だ。政治理論については現実に起こっていることを分析する「記述理論」と、べき論を考える「規範理論」に分けることができ、政治哲学は後者に位置づけられる。

去年のテーマは多文化主義、今年はリバタリアニズムを取り扱っている。とはいえこのゼミは、ゼミの内容よりもむしろ、毎年課されるゼミ論文の執筆のほうがウエイトが大きい気がする。昨年はコートジボワールの選挙制度についてまとめた。

この背景には、アフリカ開発会議でのボランティアの経験がある。TICADとよばれるこの会議は、数年に一回の頻度で開かれており、アフリカのすべての首脳と日本とで交流を促進するというものである。ボランティアも外務省の管轄のもとで行われ、僕は会議におけるメディアの誘導や通訳などを手伝った。

その中で、一緒にボランティアをすることになった方がとても優秀だった。上智でフランス語を勉強しながら、実際にアフリカなどに行ってヒッチハイクをしていた。僕もエストニアで、ぼったくりタクシーに乗せられそうになった経験はあったが、彼はすごかった。ボランティア中にも、フランス語を使ってメディアの方とコミュニケーションをとっていたし、旅に関する知識も豊富で話していて面白かった。あと、僕のクレカのこだわり話にもついてきてくれて、すげぇと思った。

また、ボランティア中にはトーゴ出身の方で、日本に留学生として来ている方と話をすることができた。横国で建築か何かの勉強をしている方だったと記憶しているが、同世代には国の未来を背負って勉強しに来ている方がいることを、はっと気が付かされた。

話をゼミに戻すと、そのような経緯からボランティアの経験から、アフリカに興味を持ち、いつの間にか「知らないから面白い」といううちの教授の後押しもあって、コートジボワールの選挙制度について調べていた。

もちろん自分が調べられる限界もあるし、間違っていることをここで書くわけにはいかないので、詳しくはアフリカ研究で有名な武内晋一先生や、コートジボワール研究をされている佐藤章先生をあたって頂きたい。とはいえ、選挙制度が少なからず民意の反映に影響を与えていることがよくわかった。それと同時に、日本の選挙制度にも改めて疑問が生まれた。

今年はゼミ長を務めている。このような状況でゼミ合宿もできないので、ゼミ長と呼べるような仕事を一切していない。どうしよう。

ゼミでは授業や論文を通じて、現実の世界と本の世界を行ったり来たりしている感覚だ。現実に起こることだけでなく理論について考えることができており、このゼミでよかったのだと思う。アウトプットの場にもなっているし。

3. 考えていること

 3-1. 残りの大学生活でやりたいこと

僕は大学生活を通じて、幸いにも多面的に政治について考える機会を得ることができた。しかしどれも歴史や現実、書籍の話であって、未来に対するアイデアを膨らますというものではない。

どうすれば「将来の日本像」ができるのだろうか。テーマに分けて考えるのでもいいだろうし、ある意味「憲法改正」がこれにもつながってくるのかもしれない。これについて、残りの大学生活で考えてみたいと思っている。

あと、政治にもっと関心をもってもらうための活動に携わりたいと考えている。民主主義は数であることは否定できないし、これからの日本を担う世代として、何かしらのアクションが求められると思う。

 3-2. 勉強の面白さ

政治を学んでいく中で、勉強の面白さに改めて気がつくことができた。子どもの頃のような点数が勉強のモチベーションになっているのではない。ただただ知識が増えていけばいくほど、もっと知りたいと思うようになっている。

自分は学部卒でひとまず終える予定だが、いつか社会人枠で大学院でも勉強をしたいと思っている。公共政策大学院もいいし、いっそ経済について勉強するのも面白そう。

 3-3. 最後に

気がついたら8000文字も書いてしまった。そういえば、地方創生について触れることを忘れてしまった。地方自治に関するテーマも大きな問題だ。

先日、北海道の寿都町が高レベル放射性廃棄物の最終処分場の選定地の「文献調査」を検討しているとの報道があった。自分は政策立案コンテストを運営する、学生団体GEILの活動でこの課題について取り組んだことがあり、この「核のゴミ」問題には高い関心がある。

これも結局は、「将来の日本」について考えてこなかったことが原因だと思う。原子力はCO2を出さないという一面を重視するあまり、その後の廃棄物はどうするのかといったところにまで議論が及んでいなかったのではないか。

責任を押し付けられるのは将来世代であり、そして一般市民である。二度とあの戦争のような悲劇を繰り返してはならないし、だからこそ市民は政治に関心を持たなければならない。

自分ももっと学び、もっと行動しなければ。

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