「悪魔」と名付けて何が悪いのか?

いわゆる「悪魔ちゃん事件」について、yahoo知恵袋等を見ていると、事件の内容も把握せずに「『悪魔』と名付けるのは許されない」と早計に結論づける回答を多く見ます。私としては「ちょっと違うんだよなー」と思いつつも、「一般人の法解釈なんてこんなもんか」と諦めているところもあります。
今回は、そんな「悪魔ちゃん事件」について整理し、見解を述べたいと思います。
ちなみに、法務局には戸籍課があります。戸籍に関する届出書を受理する権限は完全に市町村役場にあるとはいえ、戸籍事務を円滑に進めるために市町村職員の相談にのったり、事務の種類によっては戸籍事務に一部参画(職権訂正、受理紹介、届出書保管等)する業務を行っています。「悪魔ちゃん事件」でも、一部法務局が登場しますね。

さて、「悪魔ちゃん」事件の発端は、子を「悪魔」と名付けた出生届が市町村役場に提出されたことから始まります。
出生届は報告的届出という種類に分類され、出生から二週間以内に届出をしなければいけません(戸籍法49条1項)。これを「名付けは二週間以内」という風に解釈してしまうのは早計です。
出生届に記載すべき事項は、戸籍法49条2項によると

一 子の男女の別及び嫡出子又は嫡出でない子の別
二 出生の年月日時分及び場所
三 父母の氏名及び本籍、父又は母が外国人であるときは、その氏名及び国籍
四 その他法務省令で定める事項

となっており、四号については戸籍法施行規則55条により

一 世帯主の氏名及び世帯主との続柄
二 父母の出生の年月日及び子の出生当時の父母の年齢
三 子の出生当時の世帯の主な仕事及び国勢調査実施年の四月一日から翌年三月三十一日までに発生した出生については、父母の職業
四 父母が同居を始めた年月

と定められています。お分かりですかね?出生届を出すタイミングでは、子供の名は未定でも構わないのです。この場合、「名未定」とでも記載して、後日出生届の追完届を提出することになります。子供の名はとても重要なものですが、出生届の記載事項としては重要視されていない、見方を変えれば、子の名付けに問題があったとしても、出生届全体では戸籍法上受理されるべきなんですね。法定記載事項に問題は無いわけですから。この点は実務家としては重要なポイントなんですが、後の裁判でこれに触れることはありませんでした。

さて、そんなフワフワした「子の命名」ですが、一般的には出生届の届出人(多くは親)が出生届で指定する方法により行われること。根拠は親権だとして行使されること。これらに異論はありません。

本題に戻りましょうか。「悪魔」と名付けられた出生届が役所に提出され、当初は何ら指導や要請等されることもなく、受け取られました(「受理」と「受取」は誤解されやすいので使い分けています。)。役所の職員も当初は「悪魔」に疑問を覚えなかったのです。
というのも、戸籍法で定められた子の名前の決まりについては、「常用平易な文字を用いなければならない」(50条)とあるだけで、「常用平易な文字」の解釈は常用漢字という意味で、「悪」も「魔」も常用漢字と認められていますから、戸籍法が成文で要請する要件は何も問題なく満たしていたわけですね。

戸籍処理の事務フローとしては、市町村により多少の違いがあるとしても、基本的には「受取、書類調査、戸籍記載、最終確認」というフローです。「受取」は無事に済んだ「悪魔ちゃん出生届」ですが、書類調査の段階で指摘が入りました。
「『悪魔』という名を認めてよいのだろうか?これは、親権行使の濫用ではないか?」ということです。しかし、先程も言ったように戸籍法の条文を表面的に見れば、何も問題なかったわけです。
疑問を覚えた市役所職員は、管轄の法務局に電話で相談します。しかし、この段階の法務局の担当者レベルの見解では、「戸籍法に反するものではないし、仕方ないのではないか。不受理とするのは無理ではないか。」という見解でした。とりあえず市役所は、戸籍記載まで終えて、最終確認は次の日としました。

正常な組織であればよくあることだと思いますが、受理不受理の微妙な案件については上の組織に意見を求め、責任を被せようとします。法務局は市役所の上部組織ではありませんが、責任を取らせるにはピッタリの機関です。そして、責任を取らせるには「正しくお伺いを立てた」という建前が必要なので、市役所は「出生届受理伺い」という形で、書面で正式に法務局に伺いを立てました。
さて、電話相談と異なり、正式な書類で伺いがされたような場合は、基本的には担当部署全員の回覧・決裁が発生します。法務局では受理伺いを検討するに当たり、おそらく他の担当者の意見、本局戸籍課への照会、書籍等により徹底的に先例を検索するといった作業が行われたことは想像に難しくありません。そして結果として、「出生届は受理するが、名は『悪魔』では不適切であること。名の修正(追完)がされるまでは名未定の出生届として扱うこと。届出人に名の追完を指示し、完了次第受理することが適切である。」という正式見解が示されました。
ここで戸籍記載の話になりますが、当時の縦書き戸籍の時代は、「戸籍の記載をした場合は文末に責任者が押印すること。押印されなければ、それはまだ記載途中の戸籍であり、正式ではないこと。」という暗黙の了解がありました。市役所は戸籍に「悪魔」の名の記載までは終えたものの、法務局の正式見解を待っていたので文末の押印はしていませんでした。そして、これが後の裁判で揉める一因となりました。
市役所職員は法務局の指示に従い、名前欄の「悪魔」の字に縦線を引き、「名未定」と書いて処理を完了させました。当時の処理基準では、この方法で訂正してOKだったのです。

名前「悪魔」が却下された父は怒ったでしょうね。「提出時に何も言わなかったんだから受理しろ!」とか「戸籍に一旦『悪魔』と書いておいて、訂正して『名未定』とは何事だ!」とか思ったことに違いありません。この決定に対して不服申立てを行い、裁判を行いました。

ここで、裁判で論点になったところをまとめておきましょう。
① 「悪魔」と名付けることは、戸籍法の条文では明確に否定されるものではなく、命名権の濫用というフワッとした解釈でしか反論できないこと。
② 市役所は「悪魔」と一旦戸籍に記載しているが、完了行為との認識があった文末押印はしていなかったこと。

第一審、東京家庭裁判所八王子支部は、「①『悪魔』という名前自体は命名権の乱用で戸籍法違反であり、そうした場合には市長が名前の受理を拒否することも許されるが、②一旦はその届出を受理して戸籍に記載している以上、両親に戸籍訂正の申請をさせる必要があり、それを省いて一方的に『悪魔』の表記を戸籍から抹消したのは違法である」として、戸籍に「悪魔」と記載するよう命じる決定を伝えました。

丁寧に読んでいただければ分かりますが、結果としては市役所の敗北です。「②一旦戸籍に記載したんだから、もう有効です。訂正は許されません。このまま『悪魔』で行きなさい。」という考えで、戸籍事務の文末押印の意味合いを完全に無視した決定でした。ただ、「①『悪魔』という名付けを却下することは許されます。」といった、役所の裁量は一応認められたわけです。

翌日、市役所は即時抗告する方針を固めました、①だけでなく、②も十分に勝てる余地があると見込んだのでしょう。

しかし、ここで届出人が折れました。名未定で出生届を提出し、法的な届出義務は果たしたにも関わらず、週刊誌等で連日取り上げられたことにより疲れたのでしょう。市役所の指示通り、名の訂正をして届出を完了させました。こういった場合、裁判は判決をする実益がなくなるので取りやめになります。

以上が「悪魔ちゃん事件」の顛末となります。この先例をまとめると、以下になります。

・「悪魔」と命名するのは戸籍法違反であり、市役所は裁量で、届出人に名の修正を指示することができる。
・名の修正の指示は裁量なので、「悪魔」のまま受理される事態も想定されるし、市役所がそういう事務処理を行うことは違法ではない。
・この判断は第一審レベルなので、裁判をしたら変わる可能性は十分にある。

つまり、「『悪魔』と名付けて何が悪いのか?」という疑問には
「『悪魔』と名付けたいのであればそうすれば良い。市役所の裁量により認められるかもしれない。ただし、市役所の裁量で名の修正を指示されることがある。この場合、裁判をすれば指示が覆る可能性は残っている。」
と答えるのが正解ということになります。

どうでしょうか?
今なら、yahoo知恵袋の「『悪魔』と名付けるのは許されない」という回答に「ちょっと違うんだよなー」と言えるくらいには学んでいただけたかと思います。

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