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結婚は黒いコート
昨日は休日出勤で、会社の人たちと6人でランチにいった。
普段あまり交流のないメンバーなので少しぎこちないものの、わざわざ休日に出てきた者同士いいものでも食べようかと焼肉へ。
料理が来るまでの間わたしはお化粧室に行ったのだけど、戻ってきたらその場が珍しく盛り上がっていた。
その場で最年少の女の子がどうやら最近結婚したらしい。式はどうするの?新婚生活はどう?そういえば○○さんは家を買ったらしいですね、お子さんはいま何歳なんですか?奥さんとのなれそめは?
そんな中、わたしが席に戻るとそれらの話題が面白いくらいにフェードアウトした。最近あったかくなったよね〜なんていうお天気会話に戻った。
なんだろう。
わたし以外、後輩もみんな既婚者の空間で。
たぶんこれは優しい配慮で。
でもその優しさがなんだか痛かった。
気を使わせてごめんとも思ったし、なんだか妙に恥ずかしくも感じた。でももしあのまま話題が続いたら、わたしはきっと静かに傷ついていた。それも情けなかった。
多様な生き方が認められる時代になってきて、それでもなお性別役割分業観はまだ残っている。
両親、歴代の恋人、友人、SNS。
そこで見聞きしたり感じたこと、あらゆるもののおかげで、わたしももれなく結婚に対してポジティブなだけではいられない大人になった。
『結婚なんて若いうちにしなきゃだめ。分別がつくようになったらできないから。』
そういったのは樹木希林さんだったっけ。
家庭を持つ覚悟も持てないくせに、そのくせ昨日のようなシーンに身を置くたびわたしは『結婚しなきゃ』と思うんだ。憐れな気分になりたくないから。
今日見ていた韓国ドラマの中で主人公の友達、ホラン(30)が「なぜ結婚したいの」と問われてこう答えた。
結婚は『黒いコート』だ、と。
ホランは昔から明るい色の服が好きで、真っ赤なコートがお気に入りだった。
「でも今は目立たない色ばかり選んでる。
どこにいても浮かないから。」
「お母さんの銭湯友達で管理職をしてる綺麗な人がいるの。仕事に忙しくしていて独身なんだけど、いつもお風呂あがりにごちそうしてくれて、みんな彼女を羨ましがってるそうよ。」
「でもね、遊びに行く時はいつもその人抜きなの。そのおばさん、赤いコートを着てくるから。」
「私、周りと同じように平凡に生きたい。夫がいて子供もいる、そういう普通のおばさん。友達と集まって子どもの話をしたり、姑のグチを言ったり。そういう黒いコートを着たいの。」
「結婚は私にとって
『あんたもみんなのように女として価値がある』
そう言ってくれる黒いコートなのよ。」
ホランは赤がとてもよく似合う子だった。
私たちはいつから
人と違う色を恥じるようになったのだろう。
帰りの電車でホランは
友人がSNSに投稿した子どもの写真を見たあと、真っ赤に塗った自分の爪を恥じていた。
そしてホランの言葉を聞いた主人公(新婚)は
帰りのバスでこんなことを考えていた。
『やりきれないことに、
結婚という黒いコートを身にまとう気分は
悪くなかった。
もっと正直にいうと、心地よかった。
どこかに属しているという感覚が。』
この結婚というテーマはまだわたしの中で整理がついていないし、傷もあるのでうまく書きあげられないけどホランの言葉が頭に響いて仕方なかった。
『女として価値がある』と言ってくれる黒いコートがわたしも欲しいのかもしれない。
数年後わたしは何色のコートを着て生きているんだろう。
そのときわたしは笑っているだろうか。
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