奈良時代、シングルマザーに育てられた少年ミヤスの話
(はじめに)
奈良時代に、シングルマザーの母が、大変苦労して育てた少年ミヤス(瞻保)が、とても優しくて秀才だったのですが、長ずるに及んで奈良の都の大学を出てからは、いままで苦労をかけたお母さんへ、豹変した態度をとってしまうという話です。まるで現代のようなこんな話が、1350年前から、日本には伝わっているんですね。この話、色々、子育てや人生について考えさせられます。
1. 母一人子一人の貧乏な家庭で、心にしみる少年ミヤスの言葉
ミヤスは少年のころは、お母さんにとてもやさしかったと想像されます。そこでミヤスがお母さんにかけた言葉を、下記の様に再現してみます。
(ミヤスが讃岐の少年だったら)
「まっちょりまへよ、ぼっきゃ、おっきょなったら、おかぁはん、らくにさせちゃるきん。」
急に思い出した讃岐弁のこの台詞、皆さんわかるでしょうか? 讃岐出身者以外の方々にも分かるように翻訳すると、
(ミヤスが今の東京の少年だったら)
「待っていてください、僕は大きくなったら、お母さんを、楽にさせてあげますから。」
(ミヤスが今の移民の少年だったら)
“Please wait! When I am grown up, I will make Mama live much easier.”
このように、このシングルマザーの男の子ミヤスは、子供のころは、苦労を掛けているお母さんに対して、大変優しく立派でした。
2. ところが、大学を出てから、豹変して親不孝者のミヤスに
この息子のミヤスは、とても頭がよく、1350年前の奈良時代にもかかわらず、奈良の都の大学へ進学しました。ところが、大学を卒業したこのミヤスは、国の高級官僚とはならずに、高利の金融業者となり、お金もうけの方に走ります。
そして貧乏なお母さんにも、高利でお金(当時は稲)を貸します。しかし、貧乏なお母さんは、返済日がきても、その借りたお金を返せませんでした。わずかばかりの生活費を借りて返せない貧しい老母に、このミヤスは、返済を強く迫りました。老母を自分の家の玄関の土間に座らせ、自分は玄関の上がり框(かまち)の上から立ったまま「返せ」と怒鳴りました。ミヤスの妻もミヤスの背後から冷たい視線で老母を見おろしました。
3. 貧乏な老母の反論
老母は、高利貸しの息子ミヤスのあまりの非情さに、泣きながら言いました。「私は、お前を育てるとき、将来私に孝行して楽にさせてくれると信じていた。今、お前が貧乏な母に生活費を返せと言うなら、私は、お前に飲ませた乳の代金を払ってもらおうと思う。天の神様、どうぞお裁きをお願いします。」
そのとたんに、ミヤスに天罰が下り、ミヤスは発狂して自ら自宅に火をつけ焼け出されました。ミヤスは財産も仕事もすべて失い飢えて、妻子ともども橋の下で餓死したということです。
(おわりに)
高齢化社会になって、ますます、このような話が身近になってくるのではないかと心にしみる話ですが、実はこれは、今から1350年ほど前の第35代孝徳天皇の時代(645-654)の話なのです。「日本霊異記上巻第23話」と「今昔物語集巻20第31話」に載っています。この話、全く現代と相通じていて、現代のわれわれも自分の子育てや人生、家族関係について色々と考えさせられます。皆さんは、この話、どう思われますか?
平成7年(2005年)12月4日 随筆
平成31年(2019年)4月29日 加筆
令和5年(2023年)9月6日 加筆
*なお、冒頭の、「日本霊異記」の箱の写真は、下記の「奈良地域関連資料画像データベース」のURLから引用させて頂きました。
http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/aic/gdb/mahoroba/y14/y14/index.html
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