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卑弥呼は普通名詞?

(はじめに、日本書紀に書かれている歴史)


 先日(2003年)、日本書紀を市立図書館で借りて読み通しました。大変面白い内容で、なぜこれが現在、日本の歴史の中で殆ど取り上げられていないのか不思議でした。日本書紀は全部うその書物だと戦前言った学者がいたとの事で、それが今も災いしているのだそうです。確かに、継体天皇以前の天皇は年齢が130歳で亡くなったとか常識で考えられないほどの長生きな人がいたりするので、疑わしいと思われるのでしょう。しかし、神代の時代というか、暦も中国から入っていない時期の語り部の話を、古代王朝の書記を務めた漢人や韓人が、苦労して年代を後から付けたので矛盾があるのでしょう。従って、年代は余り信用できませんが、語り部が語った何代も何代も前の「おおきみ(天皇)」にまつわるエピソードは、人々の記憶に残っていた真実が含まれていたと見るべきでしょう。

1. 日本書紀に出て来るたくさんの「おおきみ」、「みこ」、「ひめみこ」の意味は


 さて、日本書紀を読んでいて、「おおきみ」に王子や王女が何人あったとかいう記事が何度も出てきます。「おおきみ」の子は男であれば、西洋流だと王子(prince)ですが、日本書紀には「みこ(御子・皇子)」と書かれています。では、王女(princess)であれば何と書かれているか。それは「ひめみこ(皇女)」と書かれています。つまり、「おおきみ」の子は女であれば、女の御子という意味で「ひめみこ」と言うのですね。現在使われていなくても、現代人にも直ぐ納得がいく言葉です。日本書紀には一貫して何代にもわたり、どの「おおきみ」には何人の「みこ」と何人の「ひめみこ」が生れ、その方の名を何それというと書かれ、成長して誰と結婚して次の「おおきみ」のだれだれをもうけたと続きます。日本書紀は天皇家の系図としての意味もあるから、当然でしょう。

2.  「魏志倭人伝」の「卑弥呼(ひみこ)」と「ひめみこ」の類似は何を意味する


 ここで、私は「ひめみこ」という言葉が、「卑弥呼(ひみこ)」とそっくりなことに気がつきました。卑弥呼は日本人ならだれ一人知らぬものはいません、歴史上に出て来る有名な邪馬台国の女王です。私達は、卑弥呼を、西暦239年に魏に使いを送り、親魏倭王に封じられ金印紫綬を受けた、古代の一女王と習っています。しかし、「ひみこ」は「ひめみこ」ではないでしょうか。つまり、「卑弥呼」と当時の中国語で音韻を写した名前は、単に「おおきみ」の娘の「ひめみこ」のことではないかと考えられます。よく御存知のように、中国の歴史書「三国志」(「東夷伝」の章の「魏志倭人伝」の項)に、「(紀元後二世紀)当時の倭国は乱れて収まらず、(三世紀頃)、邪馬台国の男の国王の後を継いだその娘の王女は、神に仕えまじないによって政治を行ったところ収まった。その王女の名は卑弥呼という。」と書かれています。

3.  中国側の書記が普通名詞の「ひめみこ」を、固有名詞の「卑弥呼」と誤解したのでは?


この国王の娘であるという記述は、「おおきみ」の娘のことを「ひめみこ」という古代の風習が読み取れる日本書紀の記述と合います。従って、中国側の書記が普通名詞の「ひめみこ」を、固有名詞の「卑弥呼」と誤解したのであろうと推測されます。日本側の使節団は、女王の名を直接呼ぶことは憚れたので、単にあの「ひめみこ」という意味で使っていたのではないかと思います。今だって、天皇陛下などの高貴な方の名前を人前で、日本人は「ひろひと」とか「あきひと」とか呼ばないのと同じだと思います。

(おわりに)


以上の考察から、「卑弥呼」は固有名詞ではなく、王女(princess)という意味の「ひめみこ」という単なる普通名詞だったと考えてよいと私は結論したい思います。皆さんどう思われますか?
 
 
 
*なお、冒頭の卑弥呼の絵は、ワッキーさんの描いたもので、下記のURLのフリーイラスト素材から引用させていただきました。
https://www.ac-illust.com/main/search_result.php?word=%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC
 
 
平成15年(2003年)9月7日随筆
平成15年(2003年)9月22日加筆訂正
令和5年(2023年)9月6日 加筆

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