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弘法大師6 空海と空海の縁戚の円珍の関係について質問

(はじめに)


本日 (2019年4月16日)、古代史研究同好会のH電機、N様から、空海(弘法大師)と円珍の宗派の違いについて、次のような質問がありました。
「空海(真言宗)と円珍(智証大師:天台宗3祖)は、生まれも讃岐で親戚の間柄だと聞きました(佐伯氏)。何故、円珍は天台宗に入り、空海(真言宗)と仲たがいしてしまうのでしょうか?この円珍という人は、空海びいきの私には真言密教をつぶして天台密教に塗り替えようとしていたかのように思えます。また、地元の香川県の皆さんは円珍の事をどのように思っているのでしょうか?先生の個人的な見解で良いのでお教えください。」
 

1. 讃岐の人の宗派の分布と、信州の人の宗派の分布の大きな違い


 
私の回答は、質問の趣旨からすると当を得たものではありませんでしたが、以下の様なものでした。
「N様
讃岐では、信仰する宗教は、約7割の家が浄土真宗、2割が真言宗、1割未満が法華宗で、その他の宗派はほとんど聞いたことがありません。そのため、浄土真宗の親鸞や、真言宗の空海は、讃岐の人には非常になじみがあり尊敬を集めていますが、曹洞宗や天台宗の宗派の家は皆無といってよく、曹洞宗の開祖の道元や天台宗の開祖の最澄、円珍は全くなじみがありません。したがって、信州では相当に多い曹洞宗や天台宗ですが、讃岐ではその宗派のお寺も私自身はほとんど見たことがありません。私が55年ほど前の高校生の時、日本史の授業で、先生が、家の宗派を挙手で、おおざっぱに調べられたことを思い出します。クラスの45人のうち、浄土真宗、真言宗の家がほとんどで、曹洞宗や天台宗は皆無だった記憶があります。したがって、天台宗の最澄は日本史の中で名前が出て来て習うので、それでもまだ知っていますが、円珍となると授業で習わないのでみんな知りませんでした。私は、うかつにも今回のN様のご質問で初めて、円珍の事を知ったような次第です。
というわけで、ご質問の空海の縁戚の円珍については、讃岐では聞いたことがなく、残念ながら、私自身もよく知りません。どなたか、N様のご質問にお答えできる方がおられましたら、ご教授いただければ幸いです。
 

2. その後、円珍に関連すると思われる、事項を私なりに調べましたので、わずかに付け加えたいことを下に記します。


 
なお、空海の母親は佐伯氏の出身ですが、佐伯氏は景行天皇の末裔で、蝦夷などを征討することに従事する氏族といわれているのはご存知の通りです。大変面白いのは、その佐伯氏がもともと住んでいる讃岐,安芸、伊勢などには、日本武尊が東征の折、捕らえた蝦夷をそれぞれその地に移住させて住まわせたといわれています。そのため香川県三豊郡大野原町(現:観音寺市大野原町)海老済(えびすくい、又は、えびすみと読む)は、移住させた場所だろうと地名から推定されています。それは、昔、静岡大学教授をしていた親類の叔父さんからから、三豊郡史(1)という郷土史を貸してもらい、読んだときに大変興味深かったので、覚えているからです。この海老済は、今も香川県では、秘境の部類に属する様な山中の集落です。(讃岐では、おんごく[遠奥]という)。
 

(おわりに)


ちなみに、信州上田市では、私の家の宗派の浄土真宗のお寺がほとんどなく、行きつけの散髪屋さんで聞いたところ、最初、浄土真宗という名前では地元の人にはわからず、浄土真宗のことはこの地方では「門徒宗」というのだそうです。それで、調べました所「門徒宗」(浄土真宗)のお寺は上田市内ではただ1ヶ所だけあることがわかりました。したがって、上田周辺では浄土真宗の宗派の人は大変少ないようです。
そのお寺、浄楽寺を訪ねてみると、そのお寺の墓地には、人口がんを作成しノーベル賞候補になった山際勝三郎先生のお墓があることがわかりました。4年ほど前(2015年10月25日)に、山際勝三郎先生の縁戚にあたる京大総長の山極 壽一先生がこのお寺に来られて、ゴリラの研究の講演をされたので、私は聞きに行きました。
 

文献
(1)  https://www.library.pref.kagawa.lg.jp/know/local/local_2161
この三豊郡史の、「第三篇 上古時代、第三章 日本武尊の蝦夷征伐と捕虜配布及び佐伯氏の來任」の項を参照
 
*冒頭の写真は、信州上田市にある前山寺の弘法大師増像と石碑です。
 
平成31年(2019年)4月16日 随筆
令和5年(2023年)9月9日 加筆

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