東京そば考2
(はじめに)
東京そばというのれんや看板が、明治30年代から昭和30年代にはあったことが、前回の私の「東京そば考1」[1]で指摘しました。今回はさらにその考察を続けたものです。
どうも「東京そば」というのは、江戸時代には「江戸そば」と言っていたものを、明治以降「東京そば」と翻訳したものらしいです。じゃあ、「江戸そば」って何かということを追求すると、この「東京そば」って何という疑問の答えに近づくと言ってよいでしょう。
1. 江戸そば
そこで「江戸そば」をネットで調べてみました。大変面白いことに、「江戸そば」というのは、お金を出しても食べたくなる高級なお蕎麦という意味の様です[2,3]。そばっていうのは、大体、お米の取れない荒れ地で、仕方なく食料として栽培する、救荒食物[4]なので、わざわざお金を出して食べる様なものではないという一般認識が、ほんの数十年前まで信州をはじめ全国的にあったようです[5]。そばは米の食えない貧農が食べるものというような意識が長くあったようなのです。しかし、それまでそば粉を熱湯で練って餅状にした「そばがき」として食べていた蕎麦が、江戸時代、「そば切り」が生まれ麺類として磨かれて行き、香り豊かでおいしくなった「江戸そば」は、参勤交代によって徐々に全国に広まりました[3]。
2. きそば
また、前回の「東京そば考1」[1]に引用させて頂いた1950年代の青森で撮られたそば屋の暖簾にあった、「きそば」(生蕎麦)の意味も、ネットで調べて私は初めて知りました。「きそば」というのは、そば粉だけで打ったそばのことで、今でいう10割蕎麦のことなのです。10割蕎麦は、表面が荒く切れやすいですが、食べたときにそば独特のよい香りが感じられる優れものです。でも、切れやすく素人では打ちにくいうえ長期保存には向いていないので、小麦粉を2割まぜた、二八蕎麦がその後一般的になったそうです。でも、明治時代にそば通の人が、それでは蕎麦本来の味や香りが失われてしまう、原点に帰ろうという運動があり、通は「きそば」(=生蕎麦=10割蕎麦)を食べるという事になったそうです。
うどん県(香川県)では、この10割蕎麦はボソボソして切れやすく、表面がざらざらしていてのど越しも悪いので、うどんのイメージとかけ離れていて、讃岐人には残念ながらあまり好まれていないようです。
(おわりに)
前回の「東京そば考1」に引用させて頂いた1950年代の青森で撮られた写真の中のそば屋の暖簾にあった、東京「きそば」は、<10割蕎麦が打てる熟練職人がここでやってるよ、高級な「江戸そば」(東京そば)を提供しているよ>と言っているってことなんですね。
参考文献
[1] 東京そば考1
https://note.com/ko52517/n/n23b5d5ba5dd4
[2] Google検索「江戸蕎麦って何」に対するAIによる回答:
江戸蕎麦とは、お金を払って食べる江戸で普及したそばを指します。江戸時代に蕎麦が広く浸透した理由には、次のようなものがあります。
・小麦と比べて収穫までの日数が短く、土壌が豊かでない土地でも育ちやすかった
・茹で上がるまでの時間がうどんより短かった
・ビタミンB1や食物繊維が豊富に含まれており、カロリーも控えめだった
江戸時代中期から後期にはつなぎを使った製麺技術が発達し、それ以降、つなぎを使う蕎麦が主流になりました。また、江戸時代には蕎麦屋が多く、江戸末期には3763店もの店が軒を連ねていたと言われています。
[3] 「ミツカン 水の文化センター」の説明:
お金を払って食べる江戸のそばを「江戸そば」、それ以外の地域で食されるそばを「郷土そば」とすると、郷土そばは家庭を中心に食べるものでした。それが参勤交代、あるいは地方に買い付けで出向いた江戸の商人を通じて江戸そばが知られるようになり、郷土そばも変わっていったのです。
https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no76/03.html#:~:text=%E3%81%8A%E9%87%91%E3%82%92%E6%89%95%E3%81%A3%E3%81%A6%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%8B%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%AE%E3%81%9D%E3%81%B0%E3%82%92%E3%80%8C%E6%B1%9F%E6%88%B8,%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
[4] 手打ちそば屋 かんだた 「そばに年貢だなんて、そんな杓子定規な、、、。(役にたたないそば屋の話10)」https://note.com/quick_falcon7423/n/n3d9852e35cba
[5] 手打ちそば屋 かんだた 「そばなんか、金を払って食べるものじゃない(役立たないそば屋の話13)」https://note.com/quick_falcon7423/n/na4ed1e45c155
*なお冒頭の写真は、
林 英夫 監修 若尾 俊平 / 浅見 恵 / 西口 雅子 編「近世古文書解読字典」柏書房 2022、p342-343:年貢金江戸差立之図
を引用させて頂きました。
この図中の暖簾には「しなのや」、看板には「二八そば、うどん」という文字が見えます。
令和6年(2024年)11月9日 随筆
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