見出し画像

信州上田市内の大学受験生へ志望別合格祈願すべき場所

早稲田大学

写真1:大隈重信_国分寺石垣石柱

もし貴方が、私学の雄、早稲田大学に合格したいなら、信濃国分寺に参りましょう。信濃国分寺の垣根に、早稲田大学の創立者、大隈重信さん由緒の石碑があるのを知っていますか。その石碑には東京早稲田の伯爵大隈重信が、金一万疋を寄贈したことが刻まれています。場所は信濃国分寺境内北側の小道側にある石の垣根で、石の橋の辺り。ここにお参りすれば、貴方は、第一志望の早稲田大学に合格間違いなしです。

首相を目指す人へ

写真2: 羽田孜_蛭澤川改修碑

もし貴方が、国立大学の雄、東大の法学部に入って末は首相になり天下を取りたいなら、常田新橋の近くにある参上神社に参りましょう。信州の出身で今までに天下を取った人は2人しかいません。木曽義仲と羽田孜です。2人ともあまりにも任期が短く、木曽義仲は15日、羽田孜は30日あまり。信州から出た人はなかなか天下を維持できないというジンクスを貴方は、払拭すべきです。木曽義仲は、京に攻め上る前に参上神社において、家来の今井四郎兼平の息子今井蔵人豊成に、ここで義仲の行く末を祈り永代奉仕するように命じたといいます。そしてなんと800年後の今も宮司さんは今井氏です。ここにお参りして、貴方は天下を狙いましょう。因にもう一人の羽田さんですが、その直筆の書は、市立図書館近くの「蛭澤川改修碑」がそうです。でも人気が今一つない羽田さんではご利益が少ないという人は、長期政権だった中曽根康弘の直筆の石碑に参った方がいいでしょう。彼は隣の群馬県の出身ですが、この際、長期政権の首相の方に参った方が、東大受験前の気分がいいでしょう。東大法学部出身の中曽根さんの直筆の石碑は、殿城の赤坂公民館の中にあるので訪ねてみて下さい。

東京農業大学

写真3:榎本武揚_中之条しいのみ学園前バス停横力士上田嶋の碑

もし貴方が、語学の天才になりたい、化学の天才になりたい、あるいは古い伝統のある東京農業大学に合格したいなら、市内中之条にある「力士上田嶋之碑」に参りましょう。この石碑は榎本武揚の書によるものです。「子爵榎本武揚」と署名が入っています。榎本武揚は、幕末幕府からオランダ留学した天才で、オランダで5カ国語がぺらぺらになり化学と国際法を習いました。日本のナポレオンになろうと戊辰戦争のおり北海道に蝦夷共和国を樹立して明治新政府に対抗したことは有名です。五稜郭の戦いに敗れ捕らえられましたが、人材を惜しんだ新政府に迎えられました。後に、旧幕臣の子弟に、つまり、没落を余儀なくされた武士の子供たちがこれから生き抜いていけるように、殖産興業の能力や技術を教える東京農業大学を創立し、初代学長となりました。また、オランダで化学をはじめとした科学技術も学んだ関係から、日本化学会と日本電気学会の初代会長にもなりました。この石碑にお参りすれば、貴方は第一志望の東京農業大学に合格間違いなしです。また、語学や科学技術の文理両方の才能が授けられるでしょう。

教育学部や教員試験を目指す人へ

写真4:辻信次_信濃国分寺の石垣の石柱

もし貴方が、教育学部や教員試験に合格したいなら、信濃国分寺に参りましょう。信濃国分寺の垣根の石柱に、男爵辻新次が、金一万疋を寄贈したことが刻まれています。場所は信濃国分寺境内北側の小道側にある石の垣根で、石の橋の辺り。大隈重信さんの石碑の隣です。

写真5:辻信次_吉田神社前参道横退筆碑

また、直筆の墨跡は上田市芳田の吉田神社参道脇にある「退筆碑 正三位勲二等 辻新次」の文字があります。ここに参ってもいいでしょう。男爵辻新次は近代日本の学制の創始者で、教育国日本の基礎を築いた人です。彼は信州松本藩の出身で、若い頃江戸に出て学問を志しました。維新の後は明治政府の官吏になるべく、大変苦学しました。お金がなく食事にも困るほどで、おなかを空かしたまま勉学している姿に、近所の飯屋の若い女の人がとても見かねて、おにぎりを何回もそっと無料で運んでくれたそうです。辻新次はついに文部官僚として大出世しましたが、この時の恩を忘れず後にこの女の人をお嫁さんに迎えました。飯屋の女給が男爵夫人に出世したと、世間はこの美談を浪曲「出世の縁結び」として今に語り伝えています。貴方がここにお参りすれば、貴方は、教育学部や難しい教員採用試験に合格し出世間違いなしです。

防衛大学校

もし、貴方が、防衛大学に入って立派な自衛隊幹部や軍人になりたいなら、ぜひ、次の立派な将軍が書いた石碑や額にお参りしましょう。

東郷平八郎(海軍):上田城公園内の赤松小三郎の碑、これは東郷さんの直筆で彼の花押もあります。市民プール入り口付近にあります。ご存知のように東郷平八郎は、日露戦争のとき日本海海戦に勝利した偉大な将軍です。「天気晴朗なれど波高し」の打電文はあまりにも有名ですね。ついでに、上田市紺屋町の八幡神社にも足を伸ばして参りましょう。この拝殿の額の金文字は、やはり東郷平八郎の直筆の書です。因に八幡様は戦勝祈願や武運長久を祈るための神様ですね。

写真6:東郷平八郎_上田城公園内赤松小三郎之碑

写真7:東郷平八郎_紺屋町八幡社額

乃木希典(陸軍):乃木さんは、ご存知のように、日露戦争のとき旅順の203高地でロシア軍と戦い、2人の子息を含め多くの犠牲者を出しながらも、勝利した偉大な将軍です。私が小さい頃、明治生まれの近所のおばあさんが「水師営の会見」の文部省唱歌を「てきのしょ〜ぐん、ステッセル〜」と歌っていたのを覚えています。さて、話が横に行ってしまいましたが、この将軍が書いた石碑は上田市内に多数あります。10カ所以上はあると思います。代表的なものを3つあげます。ここにお参りすれば、貴方は、陸上自衛隊や陸軍の中で立派な将軍になれること間違いありません。ひとつは、上田城公園内の招魂社拝殿向かって左にある大きな石碑です。署名が源希典となっていますが、乃木さんは時々、源氏姓を名乗っていたので、こうなっていますが、これは乃木希典さんの直筆に間違いありません。

写真8:乃木希典_上田城公園内

もう一つは、信濃国分寺の境内の一番奥北東の隅に「日露戦役紀念碑 希典」という大きな石碑です。記念が紀念となっているのが特徴です。乃木さんの石碑は全国的に漢字がこうなっているようです。この他に、市内秋和八幡大蔵京古墳頂上に設置されている碑は巨大なコンクリート製の砲弾型(ロケット型)で、その表面に上と同じ碑文が乃木さんの直筆で書かれています。この形にはびっくりします。一見の価値があります。乃木さんの直筆の石碑は、上田市内に他にもたくさんあります。

写真9:乃木希典_信濃国分寺内

写真10:乃木希典_秋和八幡大蔵京古墳頂上(砲弾型)

電気通信大学や電気学科・通信学科

幕末、信州松代藩の偉大な学者、佐久間象山先生は、嘉永2年(1849)に、日本で初めて電信の実験に成功した人です。幕末にオランダ語の本を読んで、ダニエル電池と通信機器を自作し、日本で初めて電信の実験を行い成功しました。信州は、電機や通信の発祥の地なのです。佐久間象山先生は、県歌「信濃の国」にも歌われ、信州の人には子供のころから大変良く知られた大学者ですね。もしあなたが、電気通信大学や、電気学科・通信学科に進学したいなら、上田市内にある佐久間象山先生の直筆の石碑に参りましょう。

写真11:佐久間象山_常田毘沙門堂石碑篆額1

写真12:佐久間象山_常田毘沙門堂石碑篆額2

上田市常田にある常田毘沙門天は、佐久間先生が、学んでいた「先賢問答處」があったところで、信州のレオナルドダビンチのような活門禅師から中国語、オランダ天文数学など多くの高度な学問を習っていました。この境内には、先生の活門禅師を顕彰した石碑があり、その篆額は弟子の佐久間象山によるものです。

写真13:佐久間象山_五加八幡境内「五反幟」写

また、塩田地区の五加八幡境内には佐久間象山が書いた「五反幟」の写しが石碑になっていつでも見られるようになっています。これらの石碑に参ればあなたは、電気通信大学や電気学科・通信学科に合格間違いなしです。

国際関係学部

幕末に松本藩士の子として生まれた福島安正は、江戸の開成学校(前身:蕃書調所)で複数の外国語を学び、英、独、仏、露、北京官話の5か国語に堪能になったといわれています。明治に入ってからは、このような語学力を生かして、国際情勢を把握し分析を専門とするインテリジェンス部門の将校となりました。明治25年2月11日には、駐在武官として滞在していたベルリンを、単独で馬に乗って出発し、東欧諸国、シベリアを経て、ユーラシア大陸を横断して、日本海沿岸のウラジオストックまで、約14000kmを488日かけて踏破しました。この偉大な冒険旅行は、のちに「シベリア単騎行」とよばれています。この冒険旅行中に各地で情報収集をし、この情報が、日清戦争遂行や、日英同盟締結に役立ったと言われています。そこで福島安正は、日本最初のインテリジェンス専門将校と言われています。堪能な語学力と高度な国際関係情報収集能力を持つ人は、今も日本に必要な人材です。もし、あなたが、国際関係学部に進学したいなら、福島安正の直筆の石碑に参りましょう。

写真14:福島安正_諏訪形の参上神社内今井四郎兼平古跡の碑

写真15: 福島安正_室賀水上神社一の鳥居額

上田市諏訪形の参上神社拝殿に向かって、左側に回り込むと、そこに、安正が書いた直筆の石碑があります。署名が安正としか書いていませんが、この石碑は、福島安正の直筆です。また、室賀神社の一の鳥居にかかる額も、安正としか書いていませんが、福島安正の直筆です。上田市下塩尻の中島天神宮官公一千年祭紀念碑には、福島安正と署名があるのですぐわかります。上田市周辺で、福島安正の直筆の石碑等は、私の知る限り以下の6ヶ所です。
上田市諏訪形の参上神社内今井四郎兼平古跡の碑
上田市室賀水上神社一の鳥居額
上田市下塩尻の中島天神宮官公一千年祭紀念碑
上田市真田の山家神社内日露戦役紀念碑
上田市丸子町御岳堂の白髭神社内戦死者紀念碑
小県郡青木村宮渕神社前戦捷紀念碑

写真16:福島安正_下塩尻の中島天神宮官公一千年祭紀念碑

写真17:福島安正_真田の山家神社内日露戦役紀念碑

写真18:福島安正_丸子御岳堂の白髭神社内戦死者紀念碑

写真19:福島安正_小県郡青木村宮渕神社前戦捷紀念

これらの神社に参れば、貴方は、国際関係学部に合格間違いないです。そして、複数の語学に堪能な優秀なインテリジェンスや国際情勢分析官となるでしょう。

以上のように、上田市内には、上に紹介し切れなかった歴史上きわめて有名な方々の墨跡がほかにもたくさんあります。是非、皆さん、上田市内で、石碑の文字をだれが書いたか、気を付けてみていただければ、大学受験ばかりでなく各種の受験や新規事業を起業する時の大きな励みとなるに違いありません。


*冒頭の写真は、元帥侯爵大山巌の直筆の忠魂碑です。上田市真田本村の真田広山寺古墳前にあります。

信州上田之住人和親
2006年2月27日随筆
2006年4月26日追記
2007年3月24日追記
2007年4月8日追記
2021年12月10日加筆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?