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リレーコラム:ギルティ!(花岡)

ギルティ:英語で「有罪」の意味。
楽曲や小説、映画などのタイトルでも多く使用され、題材となっている。とのこと。

最近私がハマっているアニメシリーズで、「戦姫絶唱シンフォギア」シリーズというものがある。
現在5期までシリーズ化されており、一旦はシリーズは完結を迎えている。
元々は旦那が大好きなアニメで、旦那に勧められてU-NEXTで一気見してからものの見事にハマってしまった。

シンフォギアシリーズの世界観は複雑でここで一挙に説明するには難しいのだが、簡単に言うと女の子たちが歌いながら敵と戦う物語である。

「聖遺物」と呼ばれる神話や歴史上の遺物の欠片に眠っている微量なエネルギーを、適合者による特定振幅の波動=「歌」によって活性化させエネルギーとして還元し、再構築された鎧(あるいはそのシステム)を「シンフォギア」と呼ぶ。
シンフォギアは誰にでも纏えるわけではなく、その聖遺物の特定振幅の波動を持つ者でないと扱うことはできず、特定振幅の波動を持つものを「適合者」、適合者としてシンフォギアを纏うものを「装者」と呼ぶ。

で、彼女たちは何と戦っているかって、「ノイズ」と呼ばれる認定得意災害(人を飲み込んで炭化させてしまう生物)だったり、それを故意に召喚している人だったり、あるいはそのノイズを人為的に生み出して世界を解体することを目的とした錬金術師だったり、その残党だったりする。
ラスボスはこの世界を創造した神だったりもする。

このシンフォギアシリーズはある一貫したテーマ性を帯びている。

「人と人が言葉で繋がることはできるのか」という点である。

シンフォギアシリーズの完結としては、人類はアヌンナキに創造された地球の生態演算端末群であったため、繋がることは世界の破滅を導くこと。
そのため人類は創造主(神:アヌンナキ)によって「繋がらないように」共通言語を奪われ(バベロニア(旧約聖書で言う「バベルの塔」))、言葉と言葉では人類同士は決して繋がり得ない存在となった。
「人類は言葉で繋がってはいけなかった」。

それでも繋がりたいと、理解したいと、わかり合いたいと求め合う人類の罪深さと愛おしさについて、考えさせられるエンディングで本シリーズは終焉を迎える。

ちなみに作中の戦闘シーンで流れる装者たちの歌は、本当に声優さんたちが現場でアテレコしている。当初は劇中歌としてCD音源を流すつもりだったらしいのだが、「実際に歌ったほうが臨場感が出ると思う」という声優さんたちからの立案で実現したそうだ。
この熱量がすごい。本当にすごい。ライブを行えばチケットは入手困難、しかも会場中が一体となって全曲フルコーラスで熱唱する。ライブ行きたいのだがあいにくまだ行ったことはない。

そして声優さんたちの、作品・キャラに対する愛情、熱意。
ライブBlu-rayでも伝わってくる。
主人公・立花響役の悠木碧さんが歌っている姿なんて、もう、響だ。響がそこにいる。闘ってる。すごい。見える。響が見える。
決して「上手いこと歌おう」としていない。そこにいるのはガングニールをまとって闘っている響なんだ。
なんか今日気持ち悪くてすみません。

どんなに時代が進化して、どれだけデジタル化されて、どれだけ色々なものが手軽に簡略化できても、その創作物に対する「熱意」を薄れさせてはいけない。
アニメはデジタル作画で作れる。動画もデジタル。CGで何でも作れる。
だけどそれを演じる演者はいつだってナマモノだ。特にシンフォギアは作中実際に歌っているから、本当にキャラが歌いながら闘っている。
そしてそのアニメを作る作り手は、いつだって人間だ。AIに物語なんて書けない、歌は歌えない。
いつだって創作物とは、人間の熱意が生み出すべきものだ。シンフォギアはそれを如実に訴えてくれる。
なんか今日気持ち悪くてすみません。本当すみません。

ここまで熱意を持って「アツいから見て!」って言えるアニメが久しぶりすぎて興奮しています。
結構どんな作品でもハマりやすいのですが、今まで全く通ってこなかったジャンルにここまでハマったのは初めてです。罪な作品です(ムリヤリ)。

しかし罪と罰ってよく行ったものですなぁ…。

では鈴木さん、次は「最近何かアツいものってありますか?」で。

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