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どこから見るか/エッセイ


「ピカソの絵ってなにが良いのかわかんない」
そう言った美希に数年前まで共感していた。
当時、さほど絵画に興味のなかった私でも知っていた彼の絵は、左右非対称で口があり得ない方向に曲がっていたり、肌の色が突然変色していたり、指が足りなかったり、一言でいうなら理解不能なものだった。


その絵は代表作ともよばれている「泣く女」

髪の飾り物までトンチンカンな形をしており、リボンが乗っているのか船が乗っているのか思案したほどだ。
こんな絵を数千万出して買う人がいるなんて驚きでしかなかった。


しかし、彼がこれまでの画家人生の中で幾度と絵のタッチを変えていることを知り、私の見方は180度変わった。

この絵は彼が15歳の時に描いたものだ。
明らかに私が知っている彼の絵とは似ても似つかず、とても同一人物が描いたとは思えない。

若かりし頃には見たままの表面上の光景をキャンバスにそのまま描いた。
そして、歳を重ねるごとに彼は内面をも描くように変化したのではなかろうか?
まさに代表作ともいえる「泣く女」は
私には耳についたチャックを開きかけているように見え、その仮面の下には歯を食いしばる女の姿が見える。表面上では眉をハの字にしてお淑やかに泣いているのに。

よく凶悪殺人犯なんかのインタビューで近所の人が口を揃えて
「普通の青年だった」「そうは見えなかった」と言うのは、まさにこのピカソの絵と重なる。

誰かから見ると良い人でも誰かから見ると凶悪な犯罪者。誰かから見ると憎悪の対象でも誰かから見ると心から愛する人。

人間にはいくつもの顔があり、彼が描きたかったのは各方面から見た1人の人間だったのではないのだろうか。
どこからでも見れるように。

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