金沢湯涌江戸村芸術祭2018

9月2日(日)昼間

金沢ナイトミュージアムの一環で行われたこちらの芸術祭がとても面白かった。
江戸村にある古民家を使った贅沢な芸術祭。

例えば、べとべ(日本)の「スキャナーマン」。日本のあらゆる場所をスキャンして回っているホームレスの男性を追ったドキュメンタリー映像作品。「彼の物語を、(中略)華やかで裕福な歴史を持つ石倉家住宅で見せることは、とても正しいことのように思えました」と説明文にあるように、天井が高く広々とした贅沢な日本邸宅の中に突如現れた薄いLED画面の中で、自分の行いについて淡々と語るスキャナーマンの姿と話す宇宙的な内容があまりにもミスマッチで、笑ってしまうくらい皮肉が効いていた。
(後述の理由で、私はスキャナーマンが実在するのかどうか大変に気になっている。)

また、マーク・クラップハム(イギリス)の「NAGAI SAN AND MY BELIEFS」が展示されている旧永井邸の外観を眺めると、一筋の光が漏れているのを発見する。この光は「永井が”貴方自身の内にある”と言った光」の比喩として表現されていると言い、全ての邸宅を見てから改めて永井邸の中から先ほどの光の正体を確認すると、光の出元付近は改修工事中で、作業用のLEDライトが外に向けられていただけであることを知る。

アストリッド・フランク(ノルウェー)の「TWINGS AND TWINE」はこの作品群のなかでは飛び抜けて大型の立体作品。旧園田家の大きく開けた入り口正面を入ると、作品の全体が目に飛び込んでくる。悠久の自然を日本的に抽象化したような(我ながら何を言っているかよくわからない)、大量の藁を使った作品で、「スキャナーマン」のミスマッチとは対照的に、この日本家屋のためにあるような、恒久展示したら?と思うほどの堂々たる完成度だった。

「えっ、これだけ?」と思う作品も中にはあったが、全体的に見応えがあり、古民家に配慮した良いコラボレーション展示だった。旧平家にはコマや竹馬、缶ぽっくりなど昔のおもちゃが置いてあり、途中で昼寝から起きた息子もそこそこ遊ぶことができた。

ところで、私はこの市の事業「金沢ナイトミュージアム」の内部者であった。今は育休中だが、昨年度までディレクターとしてイベントを企画する側にいた。予算規模もスケジューリングも大体わかるし、今年のナイトミュージアムについては3月末までその企画会議に参加していた。その段階では微塵もこんな話は出ていなかったのに、こんな立派な国際芸術祭を行う話がどこから来たのか?ノルウェー、フランス、イギリス、ドイツ、スコットランド、アメリカ…失礼ながら、この2日間のために世界各国からこんなに作家を呼んでくる予算がどこに?7日間で制作展示したとあるが、企画自体1年以上前からしていないと、どう考えても無理じゃない?知っている作家こそいないけれども、ナイトミュージアムのいちイベントだとしても広報が弱すぎでは…?芸術祭キュレーターのMP氏とは、相当なやり手ではないか!などなど、疑問が浮かぶ。

数々の疑問の一部を、ぶつけることができた人物がいた。江戸村の受付付近でお客さんの対応をしていたその人は、MP氏の奥様とのことだった。よくよく聞いてみればMP氏を私は間接的に知っていて、やはりナイトミュージアムディレクターの一人と懇意にしている方だった。さすが、ナイトミュージアムのダークホース。
しかし奥様は、永井家の仕掛けの話など展示の見所は教えてくれたが、さすがにスケジュールについてや作家のつながりの話などについては詳しくわからないようだった。そりゃそうか、とその時は納得していたが、彼女は全ての展示を見終わり帰路につきかけていた私たちを呼び止め、夜に開催が予定されているキュレータートークを前に素晴らしいカミングアウトをしてくれた。

「これ、実は全てMute Pigeonひとりによる作品なんですよ…」

えっ

まじかよ…そうだとしてもとんでもねえな…
と、「世界的アーティストらしい人」を一人7役でこなしたMP氏(とNMディレクターのMさん)の凄まじさが言葉にならない。
なんとこの芸術祭に展示されている作品は、すべてMP氏によるもので、作家はみんな架空の人物、説明文にある作家解説も全てフィクションだというのだ。

7人の性格とバックグラウンドを創作し、7人7様の表現を確立し全く疑わせないところまでもっていくのに、どれだけの時間がかかったことか(案外こういうのが得意な人にとっては時間はかからないのかもしれないが、私は彼と接触したことがない)。知った上で読んでみれば、来場者を納得させるために、説明文の作成にもとことん「それらしさ」を盛り込んである。「あー、こういうコンセプトのコンテンポラリー作家、いそう」というバリエーションを取り揃え、絶妙なところをついてくるのだ。命の危機を感じたことがある、信仰がテーマ、アートを通した社会階級の平等性を提唱、過去と未来を視覚化する…手法も、写真、映像、音を使ったインスタレーション、彫刻などかぶりがない。
広報物のデザインにもこだわったそうで、MP氏とMさんが物量に苦しみながらも楽しんでこの芸術祭を作っていたことが想像できる。

奥様が、私が内部者だと知ってこの事実を教えてくれたのか、来場者には可能な限り教えているのかはわからない。だが、少なくとも私がこの事実を知ったことでさらに深くこの芸術祭を楽しめたことは確かである。

昨今、地方で行われる「芸術祭」は人を呼べるらしい。予想を上回る来場者で、昨年の奥能登国際芸術祭も「成功」と言われるばかり。この小規模な「芸術祭」に、私も心を奮わされ、なんとか子連れでも見に行きたいと思った。自分の足で行ける距離で「芸術祭」を開催してくれることが嬉しいくらいだった。
このナイトミュージアムは、金沢市が所有する施設への来場者を増やすために、財団と招聘ディレクターがイベントを企画するものである。金沢21世紀美術館を中心に、金沢市街地に集中する施設に対し、この湯涌エリアは毎年ディレクター陣にとって企画が難航する場所で、「芸術祭」を開催するのはとても理にかなっているように思う。奥様は、大混雑ではないものの途絶えない客足の対応に追われ、忙しそうにしていた。きっとMP氏の姿も近くにあったのだろう。

つまりこの試みは、「芸術祭に見せかけたMP氏の大規模個展」だったわけである。いま、「地方で行う芸術祭」の魅力を最大限利用してナイトミュージアムの集客数と話題性に貢献し、作品や思考力の多角性を見事にアピールしてみせた氏は素晴らしいし、今後もこういう「ええ!?!?」と言わせるイベントがどんどん出てきてほしい、あるいは、自分もいつかそういうものを企画できる柔軟性を得たいと思った。

さて、私はラッキーなことにこの種明かしを教えてもらえたわけだけれども、果たして他の来場者がこれを自主的に発見できる術があるのだろうか…。行かなかった人はもちろん「あー、湯涌でこんなことやってたんだ、見逃したな」で終わるだろうし、よっぽど作家に心酔して検索でもかけない限り、作家が架空であることには気づかないだろうな…

などと思いながら、展示を見に行きよっぽど面白かったことを反芻するために、芸術祭のパンフレットを細かく見返すしか発見の糸口がないことに、私はこの文章を書きながら気づくのであった。
タイトルに潜む「LIE」の太字が、MP氏とMさんのしたり顔を中空に浮かび上がらせる。

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