今日のこの日に誓うこと

今日は、2021年3月11日です。

「3.11」が特別な言葉となった日から10年

節目の10年?
それともただ、10年がたっただけ?

この10年の間になにが変わっただろう。なにが進んだだろう。

テレビや新聞やネットニュースが伝える情報は数多。

だけど、私が私の言葉で紡ぎだせることは、ない

いろいろと思うことはあるのだけれど、言葉にできないことだらけ。

だから

自分の言葉で発信することのできる出来事を積み重ねること

それが、今のわたしがやりたいこと。

多くの人にとって、そして日本にとって特別な意味を持つ3月11日

もちろん、まったく関係のない行事やイベントや会が今日もいろんなところ(屋外でも屋内でもオンライン上でも)でおこなわれていて、「ふつう」の日、という時間が今日も流れている。

だけれど、ある人にとっては「ふつう」ではない「特別」ないちにち。

その「特別さ」を少しでも知っている人は、「ふつう」の今日の中に一つでも、ひとことでも、添えることができる人は素敵だな、と思う。

3月11日のことだけを言っているのではない。

誕生日、とかもね。それにあたると思う。

ひとこと、「おめでとう」が言える人にわたしはなりたい

そういう、いろんなことにアンテナを張れている人をなんていうんだっけ、ちょっと今言葉が出てこないんだけど

とにかく、誰かの「特別」を、自分の「ふつう」にちょこっと添えて

それに気づくことができる人になりたいな、と今日思ったのです。


最近、広告ってすごいなって思う。

社会に何かを訴えるためにデザインを武器として伝える広告。

昨日、はっと目を引いたのはこんな広告。

「2021年3月10日は、2011年3月10日かもしれない」

こんな言葉を見出しに、2011年の3月10日のTwitter上でのつぶやきをまとめたプロジェクト。

「ふつう」のつぶやき、「ふつう」の日々が流れている。

だれも明日が「3.11」になるとは知る由もない。

当たり前だけど、「ふつう」の明日がくることは限らなくて、だれもわからない。

なのに、「明日やればいいや」「明日にしよう」

そういって明日がくることに疑問視しない。

明日がくることが当たり前じゃないとどこかで分かっていても、頭のすみっこに追いやってしまう。

あ、私のことです。

だけどね、やっぱり毎日を100%ホンキで生きることって難しいなとも思う。

「明日がくることは当たり前じゃないのだから、今日という一日を大切に生きなさい」

そんな言葉はこの世の中にはびこっているけれども、捉え方によっては毎日100%本気で生きることで毎日いっぱいいっぱいになってしまうこともあるかもしれないな、と思ってしまう。

うーん

あれだな、「余白」を含めて毎日を100%大切に生きる生き方を私はしたい

『けっきょく、よはく。』っていうデザインの本があるけれど、そんな感じかな?

だけどやっぱり、明日が当たり前にくるとは限らないのはその通りで、

そんなことを実感できる今日というこの日に私は一つだけ、誓いたい。

連絡やメッセージはその日のうちに返す

これを、今日からは意識して頑張ってみたいなと思います。

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