今更ながら2023年の抱負

今年ももうというかまだというか、1か月が経ちましたというか経ったところです。去年からちょこちょこ書くようになったnoteですが、今年はもう少し習慣的に書いていきたいなと思っています。

というのも、2023年の抱負は「自分に向き合う」だからです。
noteを書く習慣をつけて、今まで以上に自分と向き合っていきたいです。

なぜ今年、「自分に向き合う」なのか

それは2022年の抱負を全うしたところで人生における課題が浮き彫りになったからです。

2022年の抱負は「推しを推してく」でした。去年は「推し」ブームだったこともあったし、自分には今まで「好き」と言えるもの、打ち込めるものがなく、好きなものに人生を捧げている人に少なからずあこがれを抱いていました。そこで、去年はちょうど社会人になる年でもあったので、可能な限り自分の「推し」に時間とお金を費やしてみることにしました。その年の初めに決めた抱負を年末まで覚えていて実践できたのはこれが初めてでした。「推し活」および「推しのいる生活」はとても楽しく、Twitterで推しをきっかけにいろいろな交流が生まれたのは嬉しい経験でした。何より推しを基準にいろいろな選択を決めていくという人生の過ごし方には一貫性があり、これが自分にとってはとても新鮮で取り組みがいがありました。

「推しを推してく」という行動基準に終わりを感じたのは去年の後半でした。もともとの「熱しやすく冷めやすい」という自分の性格と、推しが休養期間に入ってしまったことが重なり、実際的に推したくても推しきれない時期がありました。それぐらいから読書や周囲の環境の影響もあって、自身のこれまでの生活を見直すことも増えました。すると、全力で推しを推してきたことで見えてきたことが3つありました。

①推しに投資するのは結構。でも自分への投資を忘れていないか。
②推しを推すことで犠牲になっているものごとはないか。
③推しを推すことで人生を直視することから逃げているのではないか。

健康、お金、家族とのコミュニケーション、心に宿る野望など、推しに時間を捧げて満足感を得ている裏で自分がすべき大事な何かが犠牲になっているのではないか。推しを推す行動によって、困難が多く目をそむけたくなる現実を逃避しているのではないか。そういうことを考え始めると、「推しを推す」という行為における人生の主体は自分ではなく推しであることに気づきます。

という、こんな紆余曲折あって、2023年は昨年軽視してきた「自分」と「向き合う」ことを抱負にしたいと考えたわけです。もちろん推しは推す。でもそれは人生の中心には置かない。そういうスタンスで行こうと思います。

「自分に向き合う」というと、具体的には、
・本を読む
・スマホの時間を減らす
・自分の身体をいたわる
・感情、考えを書き出す
・何もしない時間をもつ

モノにあふれ、情報にまみれるこの時代、現実から目を背けるのは容易で、その手段はいくらでもあります。Amazonが「取り戻そう 自分時間」とうたっていますがPrimeVideoやレコメンドのアルゴリズムによって人の集中力を奪う彼らのことなど信用できません。自分に向き合うのって、相当な意志力が必要なことだと自覚しています。

だからこそ、2023年は「自分に向き合う」

限られた時間が知らぬ間に失われてしまわぬよう、意識的にこの1年を過ごしたいと思います。

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