【映画感想】アメリカン・スナイパー

二十歳前後だったと思う。原因は覚えていないけど腹を下し、家のトイレに駆け込んだ。

ゆるい便が出るのだろうな、とは思っていたが、その時のうんこは私の予想の遙か上を行く前代未聞のゆるさで、しかもそれらがまるで水道の蛇口を一気にひねったかのような勢いで、ビシャー!! と大量排出された。私と私の肛門は今まで人生を共に生きてきたうちで体験した事の無いこのトラブルに腰を抜かし、それを受けてちんこの方も座りしょんべんを漏らすほどびっくりした。

洋式便器ならまだ良かったのだろうが自宅のトイレは和式だったので、そのうんこは排便エリアにもりもりと溜まっていった。あふれ出たらどうしよう、という考えが頭をよぎり、冷や汗がドッと出た。

幸いにも排便は便器から溢るること無く終了し、私は感覚的にその腸内在庫が一掃された事を感じつつ安堵して尻を拭いたのだが、その際ふと目を降ろしたその便器の排便エリアに展開された凄惨な光景を、私は未だに忘れることが出来ない。

以降腹痛を感じて便所に向かう際に、その日の光景が頭をチラつくようになった。またあの時のような勢いでうんこが出たらどうしようという恐怖から、肛門は以前のごとく豪快にそのバルブを開放する事は無かった。

ちょっと開けてはキュッと閉じ、またちょっと開けてはキュッと閉じ。それは私の意志でもあった。心の中では一気に便を放出したいと望んでいても、それを肛門に命ずることが出来なくなっていたのだ。


─ PTSDとは、命の危険を感じたり、自分ではどうしようもない圧倒的な強い力に支配されたりといった、強い恐怖感を伴う経験をした人に起きやすい症状です (厚生労働省HPより) ─


「アメリカン・スナイパー」では主人公はじめ、多くの登場人物がそれぞれの理由でPTSDを患っていた。程度の差こそあれ、前述の通り日常生活において排便PTSDに苛まされている私には共感できる部分も多い作品だった。

冒頭から「アッラーフ・アクバル(アラーは偉大なり)」の連呼でびっくりしたり、幼いころの主人公が自分の父親の事を「Sir」付けで呼んでいてびっくりしたり、ネイビーシールズにおける訓練の過酷さにびっくりしたり、戦場では女子供も敵とあらば容赦なく殺す事にびっくりしたり、交戦中に奥さんにカエルコールしててびっくりしたり、映画本編がいきなり終わってびっくりしたり、エンドロールが演出として無音になっててびっくりしたりした。

特にびっくりしたのが物語序盤、主人公がロデオ大会から帰ってくると、どっかの男に自分の彼女のプッシーがブルズアイでスナイプされていた、という事だった。

彼女は言う。あなたが構ってくれないから、私は浮気したのよ!! と。何て言い訳だ。第一そんな理屈が通るなら、私がパクる。おまえが構ってくれないから俺は出張ヘルスを呼んだんだ、とか、お前が構ってくれないから俺は汁男優のオーディションを受けたんだ、とか、おまえが構ってくれないから俺は尻に長めのアナルビーズを挿れているだ、とか言い訳する。それ聞かされて「まぁ素敵 流石アンタだ 惚れなおす♪」って……ならねぇよ!! バカ!!

しかしそういったお互いの考え方の違いが、戦争という、誰もが不幸になりながらも簡単には終わらせる事の出来ない災厄の原因の一つになっているのかもしれない。

つまり製作陣がこの映画で言いたかったこと、それは、

「戦争は良くない!!」

という事ではないか。 本編のあちこちにちりばめられたそのメッセージを、私は感じることが出来た。私と同じく本作品を観た他の観客にも、それが伝わっている事を願って止まない。

─ 了 ─

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